九話
椅子に座っている俺の前の机に羊羮と抹茶が置かれている。
竹で出来た串で羊羹を刺し、それを口に放り込む。甘くて美味しい。
串を置き、続けて抹茶をいただく。するとどうだろう、先に食べた羊羮のわずかな甘味が、抹茶のほろ苦さを引き立てている。
幸せな気分だ。
「相手の考えていることを読み取る。それが桂月様がおっしゃられていた力なのだな」
机を挟んで俺の反対側に座っている一矢様に話しかけられ、茶碗を机に置く。
幸せの余韻に浸っていたところを邪魔された。
これで二度目だ。はじめは確か、紀伊が握り飯を食べているときに横槍を入れて来たんだったな。
「はい。やつらが裏切った戦でこの力に気付きました。この力のお陰で、やつらがいつ、俺のどこを斬りつけようとしているか考えているのが分かったため、対処できたのです」
八咫の将たちに裏切られ、窮地に立たされたあの時、この力がなかったら俺は首を切り落とされていただろう。改めて桂月様には感謝だ。
ふと、横に座っている美幸様を見ると、顔を赤らめている。
まあ、考えがだだ漏れだとこうなるのは当たり前だろう。
(今後は、なるべく考えないようにしよう。変なことを考えないでよかった……)
一矢様の考えが脳内に流れてきた。
その思考、だだ漏れですよ一矢様。それに変なことってなんですか。変なことって。
「話は変わるが、あるものを買ってきた」
そう言って一矢様は背負うために紐が二本付けられた縦に長いつづらの蓋を開け、中を探り始めた。
このつづらは、一矢様が買ってきたものだ。この中に俺と美幸様が買ってきた小道具などを収納し、持ち運ぶ事になっている。
そこから茶色と白の布を二枚と帯と思われるものを二本取り出し、俺に茶色、美幸様には白。そして、帯をらしきものを一本づつそれぞれ渡してきた。
布は人の形をしており、前が開かれている。どうやら、服のようだ。
「これよりの旅はそれを甲冑の上より羽織って行う。それで、甲冑が隠すことで目立ちにくくなるだろう」
確かにこれをうえから羽織れば甲冑は隠れて見えにくくなり、先ほど一矢様と美幸様が睨み合っていた時のように目立ちづらくなる。
いや、甲冑のことがなくとも十分目立っていたな。
三人は一矢が用意した服を羽織って帯を締めた。それによって、甲冑が隠れ、服の下に甲冑を着ているとは分からなくなる。
それぞれ、服の色は、直正は茶色、美幸は白、一矢は黒だ。
「さて、そろそろ龍神様のところに戻ろう」
そう言って一矢様は立ち上がった。俺と美幸様も続いて立ち上がる。
紀伊には昨日から雑木林で武器の見張りをさせている。
雑木林の中で一人ぼっち。流石に可哀想だ。
町から離れた雑木林の中、それはいた。
深紅色の体に羽を生やした龍、紀伊が地面に横たわり、寝息をたてている。そして、紀伊の前には町に行くときに預けた俺たちの武器が置かれている。
「紀伊。待たせたな」
俺の声に紀伊は目を覚まし、起き上がってあくびをした。寝ぼけているようで、じっと、俺たちを見つめている。
「あっ、戻ったんだ。お帰り」
紀伊はそう、間抜けな返事をする。相変わらず威厳のないやつだ。
「もう、ひどいよ! ほぼ一日放置するなんて!」
「悪い悪い。お土産を買ってきたからこれで機嫌を直してくれ」
先ほど、茶屋で購入しておいたお土産を差し出す。中身は俺たちが食べたものと同じ、羊羮だ。
「ふん! そんなもので私の機嫌を直そうというの? 浅はかだね。でもまあ、もらっておいてあげるよ」
などと、上から目線で言っているが、羽を何度もばたつかせている。嬉しいのだろう。素直じゃないやつ。
包を解いて地面に置いてあげると、紀伊は勢い良く羊羹にかぶりついた。すると、一瞬のうちに羊羹は無くなった。
買った羊羹は、お土産用として売られていたものだ。店側はご家族、四人ほどで食べることを前提に、一人二切れで計算して八切れできる大きさだ。
一人では一口で食べることは不可能だが、紀伊は人よりも大きい龍。当然口も大きい。
よって、羊羹を一口で食べてしまうと言うわけだ。
紀伊は笑顔になった。何とも幸せそうだ。
「直正殿。もう、月輪は持っているな?」
一矢様が声が声をかけてきた。
紀伊から目を逸らして一矢様と美幸様を見ると、二人とも出立の準備はできているようだ。
ちなみに月輪とは、相手の考えを読み取る能力を授かったあの時、能力だけでなく甲冑と共に授かった刀のことだ。
「いえ、まだ持っていませんが?」
武器の置いてある所を見ると、何もない。あそこに月輪を置いた。
では、一矢様と美幸様のいずれかがお持ちなのか? 一矢様と美幸様を見ても、月輪を持っておられる様子はない。
次に自分を疑う。実は既に帯びているのか。
だが、俺は今まで紀伊を観察していた。その間、出立の準備はしていない。つまり、月輪を帯びてなどいないということ。元に両手と腰を見ても、月輪はない。
ふと、紀伊を見た。さっきまでの幸せそうな表情は消え、俺から目を逸らしている。
「――紀伊。何か知っているな?」
質問してみたが、紀伊は微動だにしない。
知りませんよと言わんばかりに、遠くを見つめている。
これは、何か知っているな? 脅かしてみるか。
「そうか、知らないか……桂月様に報告しないと。すごく怒られるんだろうな……」
「お、お願い! それだけは!」
紀伊は驚き、慌てて訴えてきた。
脅しは効いたようだ。
「じゃあ、言え。何があった?」
「その……月輪。盗まれちゃったみたい」
二人の男が雑木林の中を歩いている。
歳は中年。二人とも無精髭を生やし、髪はボサボサ。恐らく、死んだ熊から剥ぎ取ったであろう毛皮で作った服に身を包んでいる。
一目で盗賊と分かる姿をしていた。
「へへ、あんなところでこんなにいいものが手に入るとは思わなかったぜ。なあ、兄弟」
一本の刀を大事そうに抱えている男が言った。
それは、紛うことなき直正の刀、月輪だった。
「しかし、兄貴。刀一つだけで良かったんですかい? 他にも良さそうな武器がありやしたが」
「馬鹿野郎、こういうのは一つでいいんだ。あんだけあるんだ、一つ無くなっても一つくらいと諦めて追いかけてこないもんだよ。まあ、追いかけるも何も、持ち主のやつらは俺たちがどこにいるか知らないだろうがな」
月輪を抱いた男は豪快に笑った。
弟分らしき男はさすが兄貴とおだてる。
「あなた達ですね。申し訳ありませんが、それは貴重な物なのです。返していただけませんか?」
男たちは驚いて声のした方を向いた。
そこには、桂月が笑顔を浮かべて立っていた。
「な、何だ女か。脅かしやがって……おうおう! 俺たちが誰かと知って声をかけて来たんだろうな! 巫女さんよう!」
「兄貴! あの女よく見ると美人ですぜ!」
弟分の男の言葉に月輪を抱いた男はにやける。
「かーっ! 今日は付いてるな、オイ! 高そうな刀は盗めるし、こんないい女に出会うしよう! 女、俺のものにならねぇか? 悪いようにはしないぜ?」
二人の男は気持ち悪い笑みを浮かべて桂月に近づいて行く。
「返してくださらないみたいですね……仕方ありません」
桂月は手を叩いた。
同時に、月輪を抱いた男は月輪を抱いたまま、前のめりに倒れこんだ。
男は起き上がろうともがくが起き上がれない。
「な、何だよこれ! 何が起こったんだよ!」
月輪を抱いたまま男はそう叫ぶ。
それを見て、弟分の男は何が起こったのか理解できずに慌てている。
「その刀を返していただければ、あなた達を開放いたしましょう。返していただけないのであれば、ひどい目にあっていただくことになりますが?」
桂月は笑顔を投げかけ、二人に質問する。
二人は恐怖し、顔から血の気が引いていく。
「わ、分かった! これは返す! だ、だから助けてくれ!」
桂月は再び手を叩いた。すると、月輪を抱いていた男は起き上がることが出来、男二人は月輪を放り出し、悲鳴を上げながら雑木林の中へ走って消えていった。
紀伊の話によるとこうだ。
今朝、お腹がすいた紀伊は、持ち場を離れて朝食となる野生の動物を捕まえるべく、雑木林の中を探索した。
朝食を終え、持ち場に戻ってきた時には月輪が無くなっていたということだ。
「困ったな……」
誰に言うでも無く言った。
紀伊が怒られるのであり、自分が叱られる心配はないだろうと思われるだろうが、紀伊に月輪を預け、放置した俺自信にも責任があるのだ。
武器はまた調達出来るものの、あれは桂月様から授かった物。それを失ったとなれば怒られることは容易に想像できる。
「お困りのようですね」
突然声が聞こえ、声のした方を向いた。一矢様と美幸様も声のした方を向く。
そこには、桂月様が立っていた。
「け、桂月様!」
「ふふ、何をそんなに驚いているのですか? 何故驚いているか、当ててみましょう。そうですね、何か不都合なことがあるとか」
桂月様は笑顔で言った。
まずい、これはどう考えてもバレてるぞ。
「更に、その不都合の原因となる種を当ててみせましょう。これですね?」
桂月様は相変わらず笑顔で、一本の刀を差し出してきた。
見覚えがある刀だ。
と、まあ、見覚えがあるも何も、どこからどう見ても月輪なのだが。
「はい。正解です……」
言い逃れは不可能。素直に白状した。
「月輪もそうですが、もう一つありますよね? 直正」
もう一つ? 何かあっただろうか?
考えてみるが駄目だ、分からない。
「分かりませんか? 堺の国に行く途中、兜を捨てましたね?」
思い出した。あれも桂月様から頂いた物。目立つからと捨てたんだった。
「全く、雑兵たちと同じ格好、武器を不満に思っていた割には、随分と雑に扱いますね」
桂月様は笑顔で言う。
しかし、笑顔とは裏腹に心の中では相当怒っているはずだ。
仕方がない、自分が悪いのだ。潔く怒られよう。