2:《俺》と《私》の生きる意味
自分がアルフォンソだと理解してしまえば、もはや腹を括るしか無い。俺の心境はそれだった。今までの世界だって、どうあがいても抜け出すことは出来なかった。ならば俺は、この世界でアルフォンソ・ソル・ラ・クインティーヌとして生きていくしか無いのだ。
腹を括ってしまえば、次は状況の確認だ。
今、アルフォンソはいったい何をしようとしていたのか。自分の中の記憶をたぐる。どうやら、《俺》いや《私》は、貴族の子息ばかりが通う全寮制の学園を卒業して、王都にある侯爵家の別邸に戻ってきているらしい。ここはあくまで別邸で、侯爵家の本邸は領地にある。
だが、派手好きの両親はこちらで社交に大忙し。領地の方は、代々使えてくれている執事が優秀で、典型的お貴族様である両親がいなくても問題は無い。むしろ、彼らがいない方が領地はつつがなく回っているだろう。その両親は、《私》アルフォンソが執事と定期的に連絡を取り合い、領地の治政に気を配っていることを、きっと知らない。
《私》が、領地に戻らずに王都にいるのは、両親の意向が大きい。学園を卒業したのだから、未来の侯爵として方々と人脈を作れということらしい。お言葉だが、学園時代にそれなりに人脈は築いている。ただし、それは両親が望むような、先祖代々の以下略といったお家の人々では無い。むしろ新興貴族や下級貴族の中でも目端の利く、そして、民のために権力を行使することをいとわない、真の貴族の精神を宿した人たちだ。
…そう、《私》は本当に落胆していたのだ。
学園に入学して、年齢の近い貴族の子息達と、この国の政と民の為の貴族の在り方について話が出来ると、楽しみにしていた。けれど、親に連れられて出向いたパーティーで何度も言葉を交わした《知人》達は、誰一人《私》の話を理解してくれなかった。理想論と片付けられたのでは無い。彼らは、《私》の話の意味が本当にわからなかったのだ。
絶望して、彼らとの交流もほどほどに(それでもまったく無関係ではいられないのが、貴族社会の礼儀というヤツだ)、一人真面目に勉学に励んだ。武術にも励んだ。魔術も滞りなく覚えた。優等生と褒めそやされても、何一つ嬉しくは無かった。それらは、《私》におべっかを使う人種でしか無かったのだから。
そんな折、不意に聞こえた雑談に、《私》は驚愕した。それは、民の生活を潤すために、貴族である自分たちが何が出来るか、という内容の話だった。驚いて会話の主を見てみれば、下級貴族や新興貴族の子息達だった。
彼らは、力の無い自分たちの家で何が出来るのか、必死に模索していた。《私》は彼らに接触して、共に様々な議論を重ねた。彼らこそが、紛れもない学友と呼べる存在だった。名ばかりの貴族ではない、真実の貴族だ。
あぁ、そうだ。落ち着いたら彼らに手紙を書かなければ。彼らはそれぞれ領地に戻ってしまっている。王都の状態を教えて欲しいと、切実に頼まれていた。…この、腐敗していく王都を、その腐敗に飲み込まれる民を、《私》達は決して見捨ててはならないのだと、誓い合ったのだから。
…うん、だんだん思い出した。そうだな、アルフォンソ。《俺》はお前の記憶を間借りしているような状態だが、確かにわかる。《私》が何をするべきか、しなければならないのか、それをお前が必死に探していることはわかった。俺もそうするべきだと思う。
毎回毎回、こうして転生して記憶を取り戻す度に、《俺》という人格は様々な意味で上書きされていくのだろう。きっと、この世界でアルフォンソとして生きていくにつれて、一人称も私になっていくんだ。それが怖いわけじゃない。次の世界にいけば、また、《俺》が戻ってくる。それを俺は知っている。
さて。
何となく状況はつかめた。アルフォンソの思いも理解した。何しろ、自分のこととして記憶があるんだから、そこに付随する感情まで思い出してるんだから、他人事にはならないよな。
現状、俺がすべき最優先事項は、味方を見つけることだ。
レジスタンスの仲間ってだけじゃない。アルフォンソの望みと志を同じにしてくれる、真実の貴族とかその協力者とかだ。間違っても両親は味方にならない。弟妹もならない。というか、親類縁者で味方になってくれそうな人間を探すのが難しい。生粋のお貴族様だからなぁ…。
あげく、その本心は隠しておかなければならない。
侯爵家の嫡子がそっち方向にハイパーミラクル善人サマだと知られても、良いことは一つも無い。というか、別に慈善事業に精を出してるような家なら大丈夫なんだろうけど、あの両親とか親戚抱えてるこの家で、それは不可能だ。庶民=自分たちの下僕とかいう扱いだ。アレだ。パンが無ければお菓子を食べなさいとかいうタイプだ。
だからアルフォンソは、学友達と話をするときでさえ、気を配っていた。表向きは普通に勉学の話しかしないのだ。余人を追い出して、自分たちの空間になって初めて、真実の貴族となるためのアレコレを話す。そして、アルフォンソがそういう思想の持ち主だということは、彼らにも口止めする。
理由は簡単だ。こういう考え方だと知られた瞬間、アルフォンソは首を切られる。
殺されることは無いかも知れない。だが、辺境に追いやられる可能性は出てくる。何しろ、弟がいるのだ。それも年が近い。成績は優秀だ。武術も含めて。ついでに、中身も両親とそっくり。反抗的な長男を心の病とかにしてしまって、次男に跡を継がせる可能性が無いとは言えない。だから、アルフォンソは自分の思想をひた隠しにしてきた。
いずれ、侯爵家を継ぐ。まずはそれが通過点だった。力無き正義に意味は無い。正義無き力に意味も無いが、何一つ力を持たない人間が理想論を振りかざしたところで、意味は無いのだ。だからアルフォンソは、侯爵家を継ぐそのときまで、少なくとも父親に邪魔をされなくなるまでは、自分を偽ることを決めていた。
考えれば考えるほど、アルフォンソ、お前は本当にすごい男だな。
学園を卒業したての18歳で、じゃない。こいつがこの思考に思い至ったのは、10歳になるかならないかだ。領地の視察をして感じたことを素直に両親に言って、見当違いの解釈をされて意思の疎通が図れないことに気づいた。気づいて、領地を治める執事に話をしに言って、彼に全てを理解された。
そしてその時から、アルフォンソは信頼できる人間にしか、自分の本心を見せることは無い。
…どうやら、その信頼できる数少ない人間が、来たらしい。
「アルフォンソ様、お茶のお時間です」
「…レール」
「はい。何かご用件がおありですか?」
礼儀正しく一礼する青年に、俺は笑みを浮かべた。現段階で、アルフォンソが唯一信頼できる人物、レール。今の彼を見て、スラム街の孤児出身だとは誰も思わないだろう。完璧な礼儀作法と執事教育を受けている上に、護身用として武術も嗜んでいる。
レールは、《ラベ太陽》本編にも登場する人物だ。アルフォンソの腹心の部下にして、親友として描かれている。仲間になることは無いが、様々な情報を届けてくれたりと、縁の下で支えてくれる有能執事だった。
緑混じりに黒髪は首の後ろで結わえてあって、獣の尻尾みたいに揺れる。柔和に微笑む顔立ちはそれほど美貌とは言わないが、立ち居振る舞いで驚くほど映える。その中で、思慮深い意思を宿した灰色の瞳だけが、時々怖い光を放つ。14歳でアルフォンソに拾われるまで、彼はスラムで大人達とやり合いながら生き抜いてきた、猛者だったのだから。
視察に出かけたアルフォンソが、スラム街のチンピラに襲われた。そのときに助けてくれたのが、レールだった。貴族は嫌いだが、だからといって暴力で子供をどうこうするのはもっと嫌いだと言うことだった。荒っぽい口調で、お前を助けたわけじゃ無い、お前達みたいな貴族など知ったことかと啖呵を切ったレールだったが、決して浅くは無い傷を負ったのをアルフォンソが自宅に連れ帰ったのだ。
アルフォンソは、レールの言葉を真摯に受け止めた。領民にそう言われる貴族なのだということも、だ。その上で、レールに自分の傍に来ないかと持ちかけた。薄汚れたスラムの子供を、アルフォンソは同じ人間として扱って、彼に頭を下げて、懇願したのだ。
アルフォンソが欲しかったのは、まさに、苦言を呈してくれる人間だった。貴族社会しか知らない自分が、庶民の生活を知るためのきっかけとなる存在。そして、自分が進む道を見届けてくれる人間。発端はそういうエゴだったが、何がレールを動かしたかは知らないが、結果として彼は、執事としてアルフォンソの傍らに仕えている。
「これからも、よろしく頼むよ」
「…私の全てはアルフォンソ様の御為にございます。どうぞ、お望みの道を歩んで下さい」
「ありがとう」
心から、俺はレールに礼を言った。俺がこれから歩む道は、アルフォンソが歩もうとしていた道だ。ゲームではあっさり語られていたが、途方も無い労力を必要とするだろう。きっと、レールにも凄まじい負担をかける。それがわかっているはずなのに、レールはこう言ってくれる。今の俺には、本当に、勿体ない言葉だった。
「旦那様と奥様がお待ちです。お急ぎ下さい」
「わかった。お二人をあまりお待たせすると大変なことになるからな」
苦笑を浮かべた俺に、レールは何も言わずに頭を下げた。使用人である彼が、侯爵と侯爵夫人を悪し様に言うことは許されない。だが、ちらりと見えた彼の灰色の瞳は、嘲るような冷え切った光を宿していた。それを柔和な笑みに隠すのだから、こいつは本当に有能な執事様だと感心してしまった。
さて、会いたくはないが、両親とご対面といきますか。
イケメン侯爵子息にはイケメン執事(チンピラ上がり)がついています。
単純に筆者の趣味です。申し訳ない。主従というモノが大好きですので。




