パズルゲーム
リアさん、と少年は言う。その響きは修道女達が口にする時より、いくらか温かく、そして甘美だった。
あの子も、ここよりもっとあったかい街から来たんだって。一年中あったかいところ。
と、少年が他の子を指さして教えてくれた。
君は、この村の生まれなの? と聞くと、少年は首を横に振った。
少年は、いや、修道院にいる子供達は、全員孤児だ。彼女もそのことは聞いていた。
村で子供を捨てたら、親は村にいられなくなっちゃうよ、と少年は年に似合わない苦笑いを浮かべてみせる。
でも、この近くの村の生まれだと思うよ。
冬じゃなくてよかったね、と彼女は言った。この極寒の村の修道院では、雪に埋もれた門の前に捨てられ、体が凍えてしまう子供も少なくないからだ。
しかし、少年は首を傾げた。
――そうかなぁ。
彼女はその時、そうだよ、と安易に元気付けたのか。
そうかなぁなんて言わないでよ、と悲しんでみせたのか。
そう思わないの? と聞き返したのか。
気圧されて黙ってしまったのか。
彼女は、何と答えたかを、もう思い出そうとしないことにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
占い師は、ブランドン・ガーティンの名前を聞くと小さく唇を歪めた。
「ああ……彼のことなの?」
「ええ」
「占いのお客様のことでは、私、口はとっても堅いのよ。でも、関係ない人のことを話すならば問題はないし……そうね、噂話は好きよ」
わざわざ前置きしてから、彼女はふと首を傾げる。
「でも、彼のことなんて、私じゃなくたって知ってるでしょう?」
「野菜売りの御主人でも知っていましたしね」
何も知らないのを悟られるのは得策ではない。そう思ったが、野菜売りから得ただけの知識で話を繋ぐのは、なかなか厳しいものがあった。
「もちろん名前は知っていますよ。近頃街で評判の宗教家だってことも。けれども私はあなたの人間観察眼を見込んで、お聞きしてるんです」
「人間観察と言っても、私、会ったことはないわよ」
「そうなんですか」
「あの野菜売りだって、会ったことはないんじゃないかしら。街で大々的に布教活動をしているってわけでもないもの……そもそも、信者にすらほとんど顔を見せないと言われてるじゃない?」
「そうでしたね」
キーラは適当に相槌を打つ。
「最初に噂になったのは、一ヶ月くらい前だったわね。何でも、自分は死者の世界から帰って来た、蘇りを果たした、って言ってる人間がいるとかいう話だったわ」
「蘇り……まさか、信じてませんよね?」
アレンが殺した男を騙る者は、自分からそんなことをのたまっているのか。キーラは少々呆気にとられた。
「信じてないわよ。でもそんなの、本当だって証明も、嘘だって証明も難しいでしょう?」
「正体を暴けば、嘘だって証明はできますよ」
「正体って言ったって、人前に姿を現さないんだから」
そこがまず、怪しさ満点なのだ。しかし、確かに怪しいだけで、証明は難しいかもしれない。
「じゃあ、その人が絶対に死んでて、今も死んでるって証明できれば?」
「お墓を掘り返すということ?」
占い師は眉を寄せる。
「それでも、別の体に転生したとでも何とでも言うでしょうよ」
「そうですよね……」
「実際彼は、みんなに信じさせるために、ブランドン・ガーティンの生まれてから死ぬまでの記憶を語ったそうよ。古くからの知人は、この人は絶対に本人だ、って言ったそうなの。で、生き返った人間、って触れ込みで宗教家活動をしてるってわけなんだろうけど……気になるわよねえ」
占い師はため息を漏らすように言った。
「理由、でしょ?」
「え?」
「あなたが知りたいのは、彼が、生き返った理由……いえ、彼を復活させる必要があった、理由とでも言えばいいのかしらね」
キーラは頷いた。
「やっぱり、誰かが彼の名を騙っていると思われるんですね?」
「まあ、そう考えるのが妥当だけど、目的は全然わからないわ」
占い師は憮然とした表情で言う。
「宗教勧誘みたいなことをしている占い師連中は、商売敵が現れたって戦々恐々のようだけど、私はそんなのどうでもいいの。ここは人生相談しかしてないんだから、競合していないしね……誰かが彼を生き返ったことにしたとすると、そこには何かしらの意図があると思うわ。まあ、ただ面白がってというのも、ないとは言えないけど、それじゃつまらないわよね」
ああ、こういう人なのか。と、キーラは思った。
「あなたは、なぜ占いを?」
「唐突ねえ」
占い師はちょっと口を尖らせる。
「人間観察が好きだからだ、って言わせたいの?」
「いえ……お金のためではないのだろうな、と思ったので、聞いてみただけです」
キーラがそう答えると、彼女は肩を竦めた。
「そうねえ……占いに頼る人は――宗教にはまる人もそうでしょうけど――ただ心に隙間ができているだけだと思うの。だから、そこを埋めるものが必要なの」
「それが、占いだと?」
「別に占いじゃなくてもいいのよ。ここに来た人の求めるもので、私に渡せるものがあれば、それをお渡しするだけのこと。パズルゲームのようなものよ」
占い師はカードのようなものを手に取ったが、しばらく眺めた後に、また元の位置に戻した。
「あなたにだって、隙間はあるのよ、きっと。でも、あまり気にしていないように見える」
「目を瞑っていれば、見えませんから」
キーラは微笑んだ。
「私は、耳が聞こえればそれで十分なので」
「ふふ」
占い師は笑みを漏らすと、また口を開いた。
「あなたの心にあげられるパズルのピースがなくて残念だわ。その上ブランドンさんの方のパズルゲームも難解だし……まず、ピース自体ほとんどないのだもの」
「占い師仲間の方や、御知り合いの信者の方とかで、はっきりと姿を見た人は本当にいないのですか」
「いないわねえ」
「じゃあやっぱり、死んだ方のブランドン・ガーティンの関係者を当たるしかないのか……」
「かもしれないわね。特に、その人の記憶を聞いて、同一人物だと確信を得たという知人」
「あなたは、どう思われますか? 誰が、何のためにやっているのか」
「まず、私のような街の噂好きが、ブランドン・ガーティンという人が亡くなった話を知らないわけだから、その人はこの辺の人ではない可能性が高いわ。実は市場の人とも少し話したのだけど、誰もそんな人、知らないのよね。近所の人に別人だと言われてしまうのを恐れて、無関係の土地で復活したのかもしれないけれど、それだと目的は更に予想しづらくなる」
そこで一旦言葉を切って、占い師は宙を睨んだ。
「ブランドン・ガーティンの関係者を当たるのは、もし彼が何か事件や事故で亡くなっていて、真相を知る者が脅しのために名を騙っている、なんてドラマチックな背景があるのなら有効な手段ね」
キーラは内心ぎょっとするが、おくびにも出さない。いや、出していないつもりというだけだが、自信はあった。確信を持った言い方でもなく、あくまで一つの仮説という調子で占い師は語る。
「でも、都合がいいから選んだだけっていうのが一番ありそうな話だわ。遺体が絶対見つからないってわかってるから、とか、先にブランドン・ガーティンを選んでいて、遺体はもう片付けたとか」
「つまり、生き返れるなら誰でもよかった、と」
「何か変な言い方だけど、そういうこと」
キーラは、ここら辺が潮時か、と思い、姿勢を正す。
「ありがとうございました。……あの、これ、つまらないものですが」
袋から取り出した大ぶりのキャベツがランタンに照らされ、真っ白な光を反射する。
「あら! よろしいのかしら?」
「ええ」
「あなた、これはただの好奇心で聞くのだけど……亡くなったブランドン・ガーティンの関係者の方?それとも、ブランドン・ガーティンの名を騙る宗教家の関係者の方?」
キーラは立ち上がりながら答えた。
「私自身は何も関係ありません。これは仕事ですから」
「じゃあ、ブランドン・ガーティンを葬った側の方、かしら?」
遮るように占い師は尋ねてきた。キーラは心中で舌打ちをしたが、その表情はほとんど変わらない。
「同じお答えしかできませんが」
「そう。お会いできてよかったわ」
テントを出ても、太陽が眩しいとは感じなかった。キーラは赤唐辛子を手に、レストランへと戻っていった。




