休日労働
翌日は、都合のいいことに定休日だったので、キーラは情報収集に出かけた。彼女のレストランのある太い通りには、今日も朝から多くの人出がある。乗合いの馬車が通るルートではないのだが、私有の馬車は盛んに行き交う。時折、歩行者達を蹴散らすようにして通っていく馬車を、キーラはぼんやりと眺めた。
大きな商家の家紋が付いた馬車がまたやってきた。馬に鞭を当てながら、御者が叫ぶ。
「道を開けろぉ!」
慌てて飛び退く人々と一緒にキーラも道の脇に寄った。砂埃を巻き上げて走り去る馬車に向かって罵声が浴びせられる。
「危ねぇだろうが、この――」
「おいおい、あんまりでかい声で大商人の悪口言うもんじゃねえ。この辺で商売してるんだろ?」
「ちっ」
表通りは賑やかで、騒々しい。キーラはこの喧騒が割と好きである。歩いているだけで、少し気持ちが軽くなる。それでも、例え表通りを歩いていたって、自分は常に裏と表の境界線上を歩いているのだ、という気持ちが付き纏う。
「お嬢さん、お花はいかが?」
花売りの女が近づいてきたが、彼女は口許だけで笑って流した。女はさして残念な様子も見せず、ちょっと音程のずれた歌を歌いながら離れていった。
キーラのレストランから少し遠ざかると、大通りは分岐点に差し掛かる。右へ行けば皇都でも有数の高級宿屋が集まっている地帯だ。レストラン付近には安宿や娼館しかないが、必要とする情報次第では高級宿屋に出向くこともあった。しかし今日は、左へ行く。ブランドンなる者の素性はわからないが、まずは庶民の情報網から探っていこうと考えていた。
左の道を進むと、市場に辿り着く。市場と言うと、売り子たちが競い合って声を張り上げている様子を想像するが、ここは思いがけず上品な市場だった。キーラも初めて来た時には驚いたものである。
白色のパラソルが並び、太陽光を反射してきらきらと輝いている。商品の陳列棚や木箱も白で統一されており、色とりどりの野菜とのコントラストが目に鮮やかだ。売り子たちは執拗な客引きをすることもなく、ゆったりと構えているように見えた。実際、叫ばずとも客は来る。皇都という土地柄、単価の大きい顧客も多そうだ、とキーラは推察していた。
キーラは一つの店の前で足を止めた。
「赤唐辛子をおくれ」
主人は、他の店主たちと同様、洒落たガーデンチェアに深々と腰かけていた。起きているのか眠っているのか判然としない。
「は、どうもどうも……って、何だ、キーラじゃないか」
客がキーラとわかると、畏まった態度をあっさりと崩す。そもそも緊張感のない顔を晒した後で畏まっても、大した効果はないのだが。
「何だとは何だい、得意客に向かって」
「得意客だあ? お前さんなんか小口もいいところだろ」
何せ、赤唐辛子しか買わないんだからな、と主人は苦笑した。ここの店の赤唐辛子は、シェフのお気に入りだ。そして、他の野菜はそれぞれのお気に入りの店でしか買わないと決めている。
「でも、ここの赤唐辛子以外は使わないよ?」
「まあ、そう言ってもらえりゃあ赤唐辛子農家の奴らも本望だろうが……野菜売りとしては、微妙な気分だね。このパセリなんかは、上出来だと思うんだが」
「さあ……シェフ次第だから、あたしには何とも」
「そうかい」
主人はあっさりと引き下がるかに見えたが、
「じゃあ、お前さんの食卓用にどうだい? このトマト」
と、さらに売り込みを始めた。
「あたしの食卓なんて、いつも店のまかないさ。わざわざ買うとでも思ってるのかい?」
「ああ、そうかいそうかい」
主人は生温い目線をキーラにくれた。
「今日はただの仕入れか? それとも――」
「半々だね」
遮るように答えると、キーラは少しだけ主人に顔を近づける。
「ブランドン・ガーティンって知ってるかい?」
主人は考えるそぶりも見せずに即答した。
「ああ」
その上、きょとんとした顔で付け加える。
「お前さん、知らないのか?」
「へえ、そんなに有名人なのかい。寡聞にして存じ上げないね。近頃耳が遠くて困る」
「お前さんほどの“地獄耳”が、何を言ってんだよ」
軽口を叩き合いながらも、主人は声を低めて教えてくれた。
「奴は、宗教家っつーのか、そういう人種だよ」
「ふうん」
キーラは思い切り眉を寄せる。
「はは、嫌そうだな」
「そりゃ、できれば関わるのは御免こうむりたいね。ああいう手合いはお貴族様より厄介な時があるだろ」
「俺はお貴族様には関わったことがないからわからんが。そういうものかね」
主人は曖昧に呟いた。キーラはそういうもんだ、と言わんばかりに大きく頷く。
「宗教家の話は、占い師のやつらが詳しいんじゃないか? ちょっと商売敵みたいなところもあるだろうし」
「占い師ねえ……まあ、当たるしかないか」
占い師も商売根性のありすぎる輩とは関わりを持ちたくはない。かと言って良心的な占い師は如何せん口が堅く、情報を得るには難敵だ。難しい顔をしているキーラに、主人がにやにやしながら助け舟を出した。
「俺の知り合いを紹介してもいいんだぜ?」
今度はキーラが生温いまなざしを向ける。
「その代わりと言っちゃあなんだが……ほらよ」
主人は、満面の笑みと共に大ぶりのキャベツをキーラに押し付けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
紹介された占い師が開業している場所は、白いパラソルの波からは離れていたが、それでもかなり目立っていた。
「く、黒いね……」
その見るからに怪しげなテントの前に立ち、キーラは呟いた。
占い師というやつは、市場の端っこのテントか、町外れの掘立小屋にいるものだ。というのが、キーラが自身のごく浅い読書経験から導き出した占い師像である。
元々占いの類には些かの興味もない彼女は、本物の占い師を見たことがなかった。何せ、彼女は情報屋である。未来を予測したいならば、情報を収集して分析することだ。未来は水晶玉なんかには、絶対に映せない。
勿論キーラとて、占い師が水晶玉やら、得体の知れない力で未来を予見しているとは思っていなかった。彼らも、情報を元に統計をとって一般論を弾き出しているのだろうから。もしくは目の前の客を観察し、客が求めている言葉を憶測で告げる――
そう考えると、似た職業と言えなくもない。キーラは面倒見も悪くないと自負しているので、自分も向いているのでは、と思い巡らした。
「ま、やりたいとは思わないけどねえ」
テントにぶら下がっていた、おどろおどろしいしゃれこうべ型の呼び鈴を鳴らすと、いかにも怪しげな老女のしわがれ声が
「お入りくだされ」
と告げた。
キーラはテントの隙間に手を入れ、躊躇もなく引き開ける。
「ようこそ、おいでくだされましたな」
どんな魔女じみた占い師が出てくるのかと訝っていたキーラは、少し拍子抜けした。確かにがさがさとした声の老女だが、目つきは柔らかく、動作もどことなく優雅だ。背筋も曲がっておらず、鼻も曲がっておらず、魔女的な要素は声以外に一つもない。極めつけは、彼女のまとったワインレッドのドレスである。若い頃はさぞ妖艶な美女だったのだろう。痩せて皮膚がたるんでしまっても、その面影は隠れもなかった。
そして、これだけくっきり占い師の姿が見えるくらいに、テント内は明るかった。明かり取りの窓はないが、ランタンが数個吊るされていて、互いの姿ははっきりと確認できるだろう。
「意外そうなお顔でいらっしゃる」
占い師はいたずらっぽく目を細めた。
「あ、ええ、もっと暗いところかと思っていたもので……」
「これぐらい武装するのがいいのよ」
占い師は事も無げに言った。
「武装、ですか」
「外から見たら、丸っきり魔女の館でしょ?」
「そうですね」
「でも中は、普通の人生相談所なの」
人生相談所、とは。もしかすると、この人も占いを信じない人間なのかもしれない。キーラにしてみれば、その方がやりやすい。
「あそこの野菜売りからの紹介でしたねえ」
「ええ」
「用件は、占いではない、とだけ聞いていますが。それでよろしくて?」
キーラは、占い師の目をぐっと見据えた。
「占いではないとは、言えませんね」
占い師の目が、またいたずら好きな光を宿す。
「あらあら、そうなの?」
「あなたの分析をお聞かせ願いたいのです」