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笑わない男の、左手  作者: 柚木
Kと友情
2/19

噂話

 幅の広い表通りに面したレストランに二人の影があった。

 閉店時刻はとっくに過ぎている。U字を描くようにカウンター席で囲った中に、大きく厨房が配置されているが、シェフらしき者はいない。

「ウェントワース家って、名ばかり貴族だが、財はそこそこあるはずだぜ? 何か臭わねぇか? ……おい、聞いてんのかよ」

 男は先刻からカウンター席で酒を煽りながら一人喋っていた。急に意見を求められ、短い髪の女が気のない返事をする。

「さあ……」

「どうしたんだよ。やる気ねぇなあ、キーラ姐さん」

 “キーラ姐さん”はカウンター席ではなく、四人掛けのテーブル席についていた。そこが彼女の定位置である。

 キーラが黙っていると、男はキーラの正面の席に移動してきた。酒の入ったガラスコップが目の前に置かれる。男は腕を投げ出し、顎をテーブルに乗せた。そしてなぜかガラスコップ越しに上目遣いでキーラを見上げてくる。

「ウェントワースのお姫さまは消されちまった。弟君は死んだ。夫人は寝込んでる。臭うだろうが、え?」

「臭うのはお前さんの酒だよ!」

「何だぁ、今日は機嫌悪いなあ……」

「お前さん、そんな情報しか持って来られないなら、コップ一杯の酒代にもならないよ。それからさ、悪いけどそこの席は空けといてもらいたいんだ」

「キーラ姐さんは厳しいなあ」

 男はため息をついてまた酒を口に含み、渋々といった様子で立ち上がった。

「こんな夜中に誰か来るってのは……あんたのいい人か?」

「残念ながら――」

 キーラはにこりともしないで言った。

「愛想の欠片もない殺し屋だよ」



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 キーラはレストランオーナー兼情報屋である。若いが有能、と名高い女帝陛下を擁する某大帝国の、皇都に程近い街に、その店はある。路地裏の酒場が情報屋を兼任している、というのはその街でもよく聞く話だ。しかし彼女のレストランは堂々と大通りに面していて、入りにくい雰囲気のない、小洒落たレストランであった。勿論、情報屋であることを知らずに利用する者の方が圧倒的多数だろうが、裏社会の者たちには、彼女が仕入れてくる情報は正確なもので、特に身分の高い者たちの情報に精通していると評判を呼んでいる。

 実は彼女自身は情報を売り買いするのがほとんどで、諜報活動はあまりしていない。普通に街で暮らしていては行き当たらないようなお貴族様の情報は、大抵はスパイを生業とする者や、金に困った使用人から得られるのだ。また、一部の暗殺稼業の者たちもかなりの情報を持っていた。今日やって来る殺し屋も、貴族からの依頼を多くこなしている男で、昔から知っている人物だ。

 昔とは言っても、キーラはまだ二十一歳なので、せいぜい五、六年の付き合いになろうか――


 件の殺し屋がやって来たのは、男が帰ってさらに二時間程経ってからだった。

 チリンチリンとドアベルが鳴ったが、ドアの閉まる音と彼の足音はほとんど耳に届かない。

「ご苦労さん」

 キーラは四人掛けの席で待っていた。彼は彼自身の定位置、キーラの向かいに腰掛ける。彼女は挨拶も端折って躊躇いなく本題を切り出した。

「ウェントワース男爵の体は、大分悪いのかい?」

「いや。変わらない」

 彼は常に言葉少なに語るので、脳内で補完する作業が必要になる。

 彼らが住む帝国の貴族は公爵を筆頭に、侯爵、伯爵、子爵、男爵と格付けされている。つまり男爵は、爵位を持つ貴族の中では格下に位置づけられてしかるべきなのだが、ウェントワース男爵家というのは数少ない例外だった。ウェントワース家はやり手の当主に恵まれたため、豊富な資金を生かし、伯爵を凌ぐ権力を持つに至っているのだ。そして、不相応とも言うべき権力の大きさ故に敵も多く、その情報は高値がつく。

 彼はそのやり手の当代男爵に何度か雇われたことがある。今回は、老齢のためかなり弱っていると聞きつけた別の貴族の差し金で、昔の伝手を辿ってウェントワース家を探りに行っていたようなのだ。彼の言によれば、男爵には昔から持病があり、寝込むことも珍しくない人なので、明日をも知れない状況というわけではないらしい。

 そして、そのウェントワース男爵家は、先程男の噂話に出てきた家である。キーラとしては、そこも探りを入れたいところだ。

「ふうん。ところで、別の貴族ってのは、誰か……聞いてもいいのかい」

「いや」

「じゃあ、当ててみようか。リッジウェイ伯爵家」

 キーラはじろりと彼の目を見る。黒々とした、深い目だ。彼がリッジウェイ伯爵にも伝手があることを踏まえての発言だったのだが、どうも外れらしい。

「……違うね。リッジウェイ伯爵家はウェントワース男爵家とはそこまで繋がっていないし……」

 彼の目は、何も語らないが、キーラは喋り続ける。

「キャベンディッシュ公爵家だったら面白いけど、ウェントワース如きを気にするタマじゃないだろ? 皇帝陛下の周辺でもないだろうし。やっぱりウェントワースと同格くらいの家か……ただウェントワースは家格以上の扱いだから、かなり有力な貴族が動向を探ってても驚かないねえ」

 キーラはため息をついた。

「まあ、教える気がないなら仕方ない。あんたに金払ってまで聞く必要はなさそうだし。ただ、さっきウェントワース家の話を聞いたもんだから、気になると言えば気になるねぇ」

 彼は、少しだけ目線を上向けた。

「お、興味があるかい?」

「俺も聞いたのを思い出しただけだ」

「娘が消されたとかいう話だろ」

 キーラは情報を小出しにする。しかし彼は、

「ああ」

 とだけ答えた。本当に娘のことを聞いたのか、家族の話を全部聞いたのかはわからなかった。心中で舌打ちをしながら続ける。

「情報を持ってきた奴は、消されたって言い方をしてたけど、どういう意味か知ってるかい? 死んだのか、幽閉でもされてるのか」

「知らない」

 キーラは少し身を乗り出す。

「ウェントワース男爵位が争いの火種になるって見る向きもあるけど、それは無難に、男爵の長男が継ぐんじゃないのかねぇ」

 彼は首を振った。

「長男は五十代で、子供がない」

 それは確かに、貴族の名前を継ぐには不利な条件だ。

「次男と三男にはいる。四男は未婚だ」

「娘はいたっけ?」

「いや」

「ってなると、次男と三男の争いか?」

「あるとすればな」

「消された娘ってのは……確か、男爵から見たら孫娘か」

「ああ。次男の娘だ」

「そりゃあ三男の方を疑うしかないじゃないか……長男や四男も怪しいけどさ」

「さあな」

「子供のいない長男は、男爵位に興味はないのかい?」

「あの男は、子供がいても辞退するだろう」

「えぇ? それはまた、無欲というか……変わり者というか」

 貴族というものは基本的に領地がなければ収入源がない職業である。そして領民の納める税で暮らす、お気楽な職業だ、とキーラは考えている。

「どうやって暮らしてるんだい? そんな不安定な地位で」

「私立学校を建てた」

「へえ?」

 確かにウェントワース男爵位を継がずとも、領内の小さな土地を利用して学校を運営すれば、暮らしていけるだけの収入は得られるのだろう。

「学校経営より、貴族として土地を支配した方が儲かるのに」

「さあ。金に興味がないか、教育が好きか、両方だろう」

「教育かぁ」

 キーラとて、生まれた時から裏稼業に就くことが決められていたわけではなかった。ごく普通の家庭に生まれ、最低限の読み書きを教える学校は出ている。

「そう言えば、アレンって学校は行ってたんだっけ?」

 彼――アレンは首を振った。

「ふうん」

 アレンの昔話は、五年くらいの付き合いの中で一度も聞いたことはなかった。断片的なことは聞けても、全く核心には迫っていない。ただしそれはお互い様で、アレンもキーラの話を聞き出そうとはせず、キーラも話したいと思わなかった。だから何の問題もなかったのである。

「質問攻めにして悪かったね」

「いつものことだろう」

「はは、そうだね」

 キーラは苦笑した。

「ウェントワース男爵家の動向の情報は、高値がつく。また何かわかったら、来ておくれよ」

 アレンはキーラを見上げる。

「そのことなんだが」

「え」

 キーラは眉を顰めた。アレンから何か頼んできたり、進んで情報を提供してくれたりすることは稀だ。アレンに利がなかったのだろうから、当たり前と言えば当たり前だが。

「三年前のことだ。ウェントワース男爵に頼まれて、殺した男がいる」

「はあ」

「その男の偽者が現れたそうだ」

「……名前は?」

「ブランドン・ガーティン」

 口の中で、一度だけその名前を咀嚼するように繰り返す。

 ブランドン・ガーティン。

「初めて聞く名前だよ」

「そうか」

「確かに偽者なんだね?」

「あの時は、名前だけ聞いて殺したんじゃない。名前を聞いた上で実際に見て、あいつをやれ、と言われた。男爵が直接言ってきた。それで、殺した」

「間違いなく?」

「ああ」

「でも、それじゃ男爵が勘違いしてる可能性も捨て切れないわけか。最近その男の名を騙ってるって奴には、会ってはいないのかい」

「ああ」

 アレンは肩を竦めた。

「ウェントワース男爵も噂だけ耳にして、気になっているようだった」

「ふうん」

「それだけだ」

 キーラは立ち上がりかけるアレンに胡乱な目を向ける。

「そいつを調べろってかい」

「別にそうは言っていない」

「言ってるようなもんだろ」

「部屋、借りるぞ」

「はいはい」

 アレンは腰の高さまでの戸を通過して、厨房に入っていく。二階の部屋に上がれる階段は厨房内にしかないのだ。

 二階には個室が何室もあり、キーラは何年もそこで生活している。しかしキーラのいる一室を除いては、ほとんど空き部屋になっていた。アレンはここに来る度、空き部屋の一つを宿にしているのだ。

「いいのかねぇ……」

 キーラは一人ごちた。キーラは、こういう仕事は嫌いだった。

 こういう仕事とは、つまるところ、身近な者の過去を探る仕事である。ブランドンとやらのことを調べるとはいえ、調べていけば遠からずアレンに辿り着くことは目に見えている。つつくまでもなく埃っぽい殺し屋ではあるが、今まではその悪行の子細に目を向けることは――恐らく意図的に――避けてきていた。

 しかし問題はキーラの気持ちよりも、アレンの方だ。

「奴の方から頼んできたんだから、いいんだろうね」

 アレンはキーラに暴かれることなど、何とも思っていないということだ。

 それはそれで、数年来の『知人』としては哀しいものがあるが、キーラは納得することにして、レストランの戸締りを今一度確認し始めた。


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