売られた喧嘩
その男が死んだという話がルーカスの耳に届いたのは、一週間後だった。仲介屋が教えてくれたのだ。
「殺ったのは、またあいつらしいんだよ」
仲介屋は不機嫌だった。まあ、自分の使える手駒が減るのだから、当然のことだ。
「へえ、黒い死神さん?」
「ああ」
「ふうん」
舐めた真似してくれるじゃねぇか、とルーカスは呟いた。
「何だ? お前が舐められたわけじゃねぇだろう」
仲介屋は怪訝な顔をするが、ルーカスは何も答えずに立ち去った。
黒い嵐。
最も凶悪な殺し屋。
殺し屋殺しも厭わない一匹狼。
あの男を殺したということは、次に狙われるのは自分だろう。奴は、俺の名前を利用したあの男の脅しを、無視したということだ。
――上等じゃねぇか。
その喧嘩、買ってやる。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「えっ、この前のと全然違う……これ、美味しいです!」
ジュリアが目を輝かせる。今夜ルーカスが頼んだのは、彼には甘ったるすぎる果実酒だった。ただのジュースでも飲んでいるような気分になる。
「あ、そう」
「ごめんなさい、何か……」
「別に」
ルーカスは今日もソファーでごろごろしているだけだった。ジュリアも所在無げに座っている。
「他の客、取ってねぇだろうな」
「はい」
「ここのおばさんには文句言われたけど、金払ってんだからいいよな」
女主人の仏頂面を思い出して、彼はにやりと笑った。
「神様はともかく、女神様は街で買えちゃうってわけだ」
ジュリアの唇に視線をやると、彼女はきっとルーカスを睨んだ。
「……神様も、女神様も、いませんよ」
「へえ?」
少し意外に思ったが、彼女が娼婦に身を落とした元お嬢様だということに思い至ると、まあ納得できないこともなかった。しかしどうしても、心底そう思っているとは見えない。というのは、穢れなき少女に対する幻想ってやつだろうか。
「何でそんな風に思うんだよ? 自分がこんなとこで暮らす羽目になったからか?」
彼女は俯いた。
「お家も、家族も失いました……」
そして、顔を上げる。
「私は……私自身は、娼婦だって何だってやります! そんなことはかまわないんです! でも……みんなには……」
その後は、もう言葉にならなかった。嗚咽を漏らし始めた彼女の肩に思わず手を回した。細いなと思った。
「おう、よしよし。泣け泣け」
しゃくり上げる彼女に、ルーカスは話しかける。
「神を信じるのは普通の奴だ。普通っていうか、中間層ってやつだな。運が悪い奴は神を恨む。運がいい奴は神を蔑ろにする……って、誰かが言ってた。で、神を信じないなら、自分でも他人でもモノでもいいから、何か信じてればいいんだってさ」
誰が言っていたかは、もう忘れてしまったけれど。
彼女は、涙で顔をぐちゃぐちゃにしたまま、言う。
「ルーカス様は……?」
「俺? ああ、俺が信じてるモノか? 何だろうな」
――自分の、右手、だろうか。
しかし、彼ははぐらかした。
「あんたのこと、信じていい? 女神様」
女神は、首を振る。
「私は、あなたについて行く方です。ルーカス様」
「俺は嘘つきだぜ」
「それでもいいんです」
「あ、そう」
物好きだな、と笑った男は、女神の髪をくしゃりと撫でた。




