灰色の夢想と黒い世界
変わり映えのしない、しみったれた景色を窓から眺めながら、ルーカスは紫煙を吐き出した。ルーカスのねぐらは、実はキーラのレストランから近い場所にある。周りには安い宿屋や庶民的な店が立ち並んでいるが、彼はあまり利用しない。仕事がない日は、こうして一日中家に籠るか、繁華街に出るかのどちらかだ。一日部屋にいたところで、訪ねてくる者もいない、はずだった。
唐突にけたたましいベルの音が鳴り響いた。しかし、一度だけだったので、ルーカスは無視を決め込む。
と、今度は窓ががたりと音を立てた。
「何だよ、うるせぇなあ……アレンか?」
ルーカスは右手でナイフを構え、こちらから窓を開けてやった。
「いるなら出ろ」
案の定、アレンだった。
「何か用?」
ルーカスは不機嫌に煙を吐きかける。アレンは少し顔を背け、言った。
「レストランに行ったが、キーラがいなかった」
「はあ? 今日、定休日だろ? 副業の日なんじゃねえのか」
だったら当たり前だろ、と彼は笑ってみせた。
アレンは、睨むでもなく、ただルーカスに顔を向けただけだった。それだけでも、妙に背筋が冷えるのは、きっと気のせいじゃないんだろう。
「ルーカス、お前……あいつはただの情報屋だ。何かあったらどうする」
「何だ、ばれてんの?」
相変わらず鋭い奴め。ルーカスは諦めたように首を振る。
「俺は、知りたかっただけだよ。本当に、死人が蘇るのか、お前も知りたいだろ?」
「蘇るわけがない」
「夢がねぇなあ」
「夢だと」
アレンは眉を顰めた。
「蘇って、俺のこと殺してくれねぇかなっていう、夢だよ」
「……馬鹿げた夢だな」
「馬鹿げてるのは、現実の方だろ」
ルーカスは肩を竦めてアレン越しに窓の外を見やる。
「暇なら来い」
アレンが有無を言わさぬ口調で言った。
「何だよ、アレンもキーラさんのこと、お友達とか言い出すんじゃねえだろうな」
「……そんないいものじゃない」
「へえ? お友達って、いいもんなのかよ」
ルーカスが聞くが、アレンは答えない。
「さっさと行くぞ」
「へいへい」
ルーカスが家の外に出ると、アレンはすぐに歩き始めた。
「おい、キーラさんの居場所わかってるのかよ?」
「わからん」
「ふうん」
アレンはわからないと言いつつも、市場方面と高級宿屋街への分岐点の方を目指しているらしかった。ルーカスはアレンの僅か後方に陣取って歩くことにした。
多くの人々にとって今日は休日ではないが、大通りは賑わっている。
「あいつは恐らく今日、ブランドン・ガーティンか、その信者辺りに会いに行ったんだろう?」
「だろうな」
「場所はわからないが、全く人通りのない所には、呼ばれたところで出向かないだろう。少しは人目のある喫茶店か、レストランか……」
「とりあえず分岐まで出ようぜ」
ルーカスはそう提案してみる。
「そうだな」
アレンは珍しくルーカスの意見を受け入れた。
「あれ、今日はやけに素直だな」
そう言ってみるも、返事はない。ルーカスはにやりと笑った。
「……キーラさんに何かあったらさあ、俺のこと殺す?」
「これ以上俺の仕事を増やす気か」
アレンは歩く速度を上げる。
「ちっ」
が、アレンはすぐに足を止めた。
「どうした?」
ルーカスはアレンの目線の先を追って、雑踏に目を凝らす。
「あれ、キーラさん?」
短い髪のせいで男か女かよくわからないが、何となく見覚えのある姿が分岐の辺りに差し掛かっていた。大通りの方に曲がってくるところだ。
「ん? 何か、すげぇ急いでる?」
ルーカスの呟きは、追い越してきた馬車の唸り声と砂塵にかき消された。前方では人々が慌てて道の端に寄っている。
妙に速い馬車だ。ルーカスは呆気にとられて馬車を凝視する。馬車以外の音はもう何も聞こえなかった。
砂埃に包まれた馬車が嵐のように左へ曲がっていった後、人々は少しずつ道に広がり出す。
だが、その中に彼女の姿はない。
「おい、アレン」
ルーカスが言った瞬間、アレンは走り出した。そしてあっという間に人混みに紛れてしまった。
全速力で市場の方へと去っていく馬車は、この辺りでよく見かける、立派な装飾を施したものではなかった。カンヴァス地の布を張った、古めかしい幌馬車である。幌馬車と言っても木製の荷馬車に幌を掛けただけのものだ。ならば御者は、荷馬車の一番前に腰かけているのだろう。大人数が乗るような乗り物でもないから、連れ込まれた人間もそこに乗せられたとみていいはずだ。
アレンも同じことを考えたのだろう。ルーカスが前を追いながらも見つめていると、何の前触れもなく幌の後部が一瞬で引き裂かれた。必死で目を細めると、予想通り前方に御者らしき人影が座っているが、キーラはどこにいるのかわからない。人影は更なる襲撃を警戒してか、伏せたように見えた。
「おいおい、あいつ、ナイフ投げたのかよ……」
大胆なことすんなあ、とルーカスは苦笑し、スピードを上げる。
前方の幌馬車は、止まらなかった。市場の奥まで逃げられてしまえば、荷馬車だらけだ。幌を外されたら絶対に見失う。
「どうする気だよ」
車輪を壊したり、馬を下手に襲って暴れられれば、キーラにも危険が及ぶ。一発で仕留めればすむことだが、馬の急所は確か頭だ。
まさか。
次の瞬間、裂いた幌の隙間と御者の頭上を通って、何かが弾丸のように馬の頭を直撃した。馬はどうと音を立てて地面に沈む。
「パチンコか? 準備良すぎるだろ……しかしどうすんだ、これ」
急に馬が倒れたことに驚いた人々が馬車の周りをすぐに取り囲んでしまい、少し離れたところから襲撃したアレンには不利な状況になってしまった。
まだキーラと御者は馬車の中にいるはずだが、これでは喧騒に紛れて逃げられるだろう。
「何考えてんだ、あいつ……馬を殺るなら、もうちょい人が減ってからにしろよ」
わざとか? キーラをどこかに置いて逃げると踏んだのだろうか。
雑踏の中でアレンを見つけると、彼は至って涼しい顔をしていた。
「行くぞ」
「はあ? どこへだよ」
「あっちへ消えたのが見えた」
「なあ、お前――」
全部お見通しなら、何で。
――何で、殺し屋なんかしてるんだよ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
共同墓地を歩く足取りは軽いのだけれども、自分の服装は、人からはさぞ重苦しげに見えるのだろうと思うと、何だかとても可笑しかった。こんな所で喪服の人間を見たら、誰だってそう思うだろう。もしかしたら、こんな時間だから、人間だと思ってすらもらえないだろうか、それはそれで正解かもしれないなあ、なんて考えると、また笑いが込み上げてくる。
周りを見渡しても、誰もいなかったから、それはすぐに杞憂になった。
城から持ってきた供花を鼻に近づけると、濃厚な香りが漂う。私の庭の匂い。
一つの石の前で、足を止める。
「……誰」
我ながら抑揚のない声を喉が発した。
女が倒れていた。大地に埋め込まれた墓石の上に、倒れこんでいる。
目立った怪我はないし、ただ気を失っているだけのように見えたから、揺さぶってみると、女はすぐに顔を上げてこっちを見た。
「……キーラ」
「あ……あんた……」
なんで、と呟いた声は、夕闇に紛れて消えていく感じがしたから、キーラを抱き留めて捕まえた。
「あ」
「ど……どうし、たんだい……?」
「友達」
自分が笑っているのが、可笑しくて、もっと笑えてきた。横を向いたら、アレンと、金色の人間が、墓石の前の細い道を歩いてきていた。
「誰だよ、この美人さん! アレンの知り合い? なあ、紹介してくれよぉ」
場違いな声を上げながら金色が揺れていたけど、世界は黒かった。




