Kの思案
キーラが階下に降りると、アレンはまだ定位置に鎮座していた。勝手に厨房に入って淹れたのか、湯気の立つコーヒーカップを手にしている。
「こんな時間にコーヒーかい。眠れなくなるよ」
つっけんどんに言ったが、案の定返事はない。
彼女は、カウンターの上の無造作に重ねられた食器に目を留めた。
「ああ、ありがとうね」
「――すまんな」
「え」
唐突な謝罪に、キーラは純粋に驚いた。
「あいつのことだ」
アレンは息を吐き出す。
「あいつはいつも、悪ふざけがすぎる」
「ふうん」
キーラは何気ない調子で水を向けてみた。
「ルーカスとは付き合いが長いのかい?」
「いや」
即答だった。キーラが黙っていると、珍しく彼は後を続けた。
「渾名は随分前から知っていたが、会ったのは……三年前か。お前より短い付き合いだな」
「三年前って、それじゃ、ルーカスは出会ったばっかりの奴にブランドン・ガーティンの件の情報を託したって言うんだね?」
アレンは答えず、彼女に一瞥をくれた。何の感情も籠らない黒い目を、キーラは一度見返したが、すぐに逸らす。
キーラは三人分の食器を流し台に下ろし、蛇口を捻った。
実行者がルーカスだと聞いて、初めこそ面食らった。が、アレンが自分に相談したことに違和感を感じていた彼女は、むしろ納得しかけていた。
やはりこいつはそういう奴なのだな、と思う。思ってしまった、というのが正しいのだろうか。
友達だと思ってほしいだなんて、贅沢は言わない。
けれども、もし狙われているのが自分一人だったら、こいつはあたしに絶対話したりしない。
そう確信できてしまうのが悲しかった。
「どうした」
背後から話しかけられ、はっとする。
「落とすぞ」
洗い終えたガラスコップを皿の上に置こうとしていたのだが、ガラスコップを持った手は皿とは全く違う方向を彷徨っていた。
「あ、ああ。何だか、ぼうっとしてたみたいだね」
「……そうか」
「いきなり後ろに立たないでくれないかい? あんた、足音がしないもんだから怖いんだよ」
キーラは早口で言った。アレンは、すまん、とだけ言うと、空になったコーヒーカップを流し台に置いた。
「寝る」
「あ、アレン」
慌てて呼び止めると、彼は無言で振り返った。
「ルーカスの奴がね、あたしの隣の部屋にアレンを泊めるなってさ」
キーラはできるだけ自然な笑顔を作る。
「焼餅だか何だか知らないけど、意味がわからないよねえ。本当に、変な奴だよ」
「わかった」
アレンは特に嫌な顔もせず、頷いた。
そして、音も立てずに階段を上っていった。
割られた窓ガラスの破片を箒で掻き集めながら、キーラは思案した。
この部屋から窓の外に目をやると、見えるのは隣家の壁だけだ。
一階の正面エントランスから、堂々とピッキングで入るのは危険極まりない。キーラの部屋と、反対側の角部屋も同じく危険だ。なぜなら、窓の位置が違うからだ。この二部屋の窓は、レストランを大通りから見た時の側面になるため、目撃されやすくなるだろう。
そう考えると、壁同士が隣り合う数部屋の窓は目撃される危険が少ないが、どの部屋も同じ条件だ。
やはり、アレンが泊まっていた部屋に、何か拘るようなものがあったのか。
しかし、アレンの部屋は固定ではない。彼が何かを持っていたとしても、ルーカスが今日この部屋から押し入ったところで、手に入れられたとは考えにくい。
とはいえ、彼の頭が空振りを予測できなかったとも思えない。
では、持ち歩かないようなものか? この部屋に隠してあると知っていたなら、それもありだ。
ガラス片をごみ袋に詰め込む。
「そして……あたしにも、アレンにも入らせたくなかった……。しかし、調べてみるったってねぇ」
彼女はかがんでベッドの下を覗き込んだり、書き物机の引き出しを開けてみたりした。
駄目だ。ある程度、予想をしてからでないと、捜しようがない。
「まさに闇雲ってやつだ。ブランドン・ガーティンの話も、雲を掴むような話だしねぇ。藁でもいいから掴みたい気分だよ……」
これで使い方あってたっけ、とキーラは一人呟いた。
「ちゃんと学校で勉強しとくんだったな」
キーラはゆっくりと、静かにドアノブを回した。そして慎重に廊下に出る。廊下はしんと静まり返り、どの部屋からも物音は聞こえなかった。
ふう、と息をつきながら、キーラがドアを閉めた。
そうして、錆びついた心は部屋の隅に転がったまま、床の上で夜に包まれた。




