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数刻前。明るくても深夜だったのでナイアーラトテップ城群に住まう者達の大多数は眠っていた。
だが、突如異様な波動を感じた者達は飛び起きる。大抵は魔法使いだったが、騎士や獣騎士達で多少魔法の心得のある者達も起きた。
アルハザートいわく、魔法使いの中で一番偉い奴であるアズーアもしかり。だがアズーアの場合、下っ端の奴等とは違い深夜でも仕事があるのでまだ起きていた。
ナイアーラトテップに住まう者達は城の奥にある『門』を守っている。獣騎士の中で一番偉い奴(同時に偉いということは強いこともあらわす)アルハザートが里帰り中なので、魔物が『門』から現れた場合アズーアが中心となり、捕獲しなくてはならないのだ。
「な・なんですか あれは」
アズーアの部屋に駆け込んできた魔法使いが叫ぶ。ノックくらいしてほしいものだ。
風にそよぐ長い黒髪をいとわしげに掻きあげる。おなじく漆黒の瞳はドアを振り向きもせずに、窓から空を見上げたままだった。
あれがなにか、など自分で考えろ。
「魔物だっ ザイウェトロストの結界を破ったんだ」
別の魔法使いが叫ぶ。
早計だな。
「そうとは言い切れませんよ。魔力を感じたでしょう? 思念魔法だと思います。それも人為的なものですね」
「では来訪者はひとであると」
ざわ、とアズーアの私室に群がる魔法使い達はざわめく。
「とにかくその来訪者を見つけ出してから結論を出しましょう? 今言ったことはすべて憶測です。ではみなさん、一刻も早くその来訪者を見つけ出してください。ただ、ザイウェトロストの結界を破れるほどの者だということをお忘れなく」
そうしてようやく魔法使い達は動き出す。 やれやれ、自分の頭で判断して動けなくてどうするんですかね。
「ま、相手がひとであることを祈りますか。獣だと思考能力がありませんから、無差別な殺戮でもされたら、この世界は終わりですからね」
それとも、そのほうがまだいいのでしょうか。
来訪者が極悪非道な人間ならば、死んだほうがましな思いをさせられるかもしれない。 私室にひとり。ため息が重く響く。
「どちらにせよ、私には各城の魔法使いからの苦情、問い合わせの方が面倒ですねぇ」
窓の外が突然暗くなる。これでは下級の魔法使いは捜索に参加できない。上級の魔法使いはそう多くない。夜目が利くほど完全に同化できる獣騎士も今はいない。
「朝までに来訪者が暴れ出さないといいですねぇ」
不吉な呟きがもれる。
捜索は予想通り難行した。
「未だ見つかりません」
一刻ごとの報告にアズーアは、
「そうですか、がんばって続けてください」
と、毎回同じせりふを返す。
まぁ、朝までこの世界が無事なら、来訪者は無害なものだったということですね。
白み始めた空を見上げアズーアはほっと息をついた。
だがそう安心したのはアズーアだけだろう。
安心していない、各城からの使いが押し寄せる時が、やってきた。
ナイアーラトテップ城群中央、特に立派な城がある。そこで上級の魔法使いや獣騎士達が寝起きしている。
だがその中央城には各城からの客人を迎える応接の間もあった。
今、そこは大勢の人間の発する人いきれとざわめきに満ちていた。
「ナイアーラトテップは一体なにをしているのか、と城主はお怒りです」
「本来ナイアーラトテップは外敵を排除する集団であったはず。ザイウェトロストの結界を破った者を早急に捕まえ…」
「我らの仕事は我らがよく存じております。早く捕まえてほしければ、浮き足立って我らの邪魔をしないでほしいものですね」
すぱり、とアズーアの言葉が各城の使者達を裂く。
「何!」
「貴様、我らを侮辱するか」
予想通り使者達は色めき立つ。
「もし、今、門より魔獣が訪れたならば、どうします? ナイアーラトテップで使える者はほとんど出払っています」
言外に、魔獣からお前たちを守るものは自分だと言う。
さすがにそれを悟ったのか、使者達は引っ込まざるをえなかった。
「我らナイアーラトテップは命をかけて『門』を守る者。その仕事にあなた達は疑問を持つべきではありません」
使者達はなにか言いかけたが、なにも言えなかった。
「お忘れなく。『門』番であることに、我らは命をかけているのです」
立ち去り際に念を押す。ただの好奇心や不安のために、仕事を邪魔されたくないのだ。 若き魔法使いの姿が応接の間より去ると、使者達は金縛りが解けたかのように、のろのろと動き出した。
「お疲れ様です、アズーア様」
部屋に向かうアズーアに、下級の魔法使いがいたわりの言葉をかけた。
アズーアは立ち止まり首を横に振る。
「私はここを離れる訳にはいきませんから。できることをするのみです」
アルハザートが見たなら、この猫かぶりめと罵られただろう。
だが下級魔法使いは尊敬のまなざしで、立ち去るアズーアを見送っていた。
「まったく……、アルはどこで道草してるんだか。あの方が帰ってくれば私も捜索に出れるのに」
私室の窓から外を見下ろし呟く。
アズーアの私室からは、ナイアーラトテップ城群が見晴らせた。両側にそびえる左右城、そしてそれらをひとまとめに囲む『檻』と呼ばれる高い塀があり、正面に開けっぱなしの門がある。
門から各城の使者達が出て行く。
ふん、と鼻を鳴らし、アズーアは視線を門から外した。
偶然、塀の上に視線が行く。
そこに銀色のものをみつけた。
「やっとお帰りですか…」
アクアに乗ったアルハザートの姿をみとめ、ほっと息をつく。これで自分は動ける。 やがて近づきよく見えるようになる。
同乗者がいるのに気づいた。
アルハザートの姿を見上げた者が驚愕した波動を流した。
「!」
それを感じ取った途端、アズーアは窓より身を乗り出していた。
「アルハザート隊長殿!」
驚愕した叫びが、下を歩いていた男より放たれた。
暁は驚いて下を見る。
男の視線は蝦夷に注がれていた。
「よお。ただいま」
彼の驚愕に気づかないふりなのか、それとも気づいていないのか、アルハザートはのほほんと挨拶する。
「そ・その鳥はっ霊鳥ザイウェトロスト!」
「アルハザート」
男の叫びに重なり、厳しさを含んだ男の怒号が轟いた。
「?」
暁とアルハザートが声のした方を見ると、そこには空中に浮かぶ男の姿があった。
長いローブを翻しながら一瞬にして二人の目の前に移動してきた。
「アズ。丁度よかった」
「話は私の部屋で聞きます」
アルハザートの言葉を遮り、アズーアはアクアに指を触れた。
途端、辺りの景色が一変する。
魔法で移動を行なったのだ。
暁はきょろきょろとせわしなく部屋を見回す。本棚が壁一杯にある。それ以外は木でできた簡素な机とベットがあった。これがアズーアの私室だった。
苛立たしげにアルハザートを睨みあげていたアズーアは、アルハザートにはなにを言ってもどうせ無駄なのだと思い切り、暁に視線を向ける。
ただ目を向けたにしては長過ぎる間、アズーアは暁を見つめ続けた。
その頭の中では目まぐるしい勢いで暁の正体を推理しているのだろう。
「あなたは…、もしや異界の人間ですか?」
「え? そんなのいるのか?」
アズーアはアルハザートの質問に答えず暁の答を待つ。
「はあ。」
アズーアとアルハザートを見比べながら気の抜けた応えを返す。
「何が目的でこの世界に来たんです?」
アズーアの詰問にぼそぼそと暁は理由を話した。
蝦夷に連れられて、この世界に来たのだと。
なんかこのひと恐いなぁ…。
理由を聞き終え、アズーアはしばらく思いに更けると、自分の中でなにか結論を出したのか納得したらしい。
「この世界の者に、すぐに異世界人の存在をわからせるのは無理です。ですからあなたには、『門』より訪れる来訪者と同じく研究させていただきたいのですが、よろしいですか?」
もちろん、客人として扱い、生活の世話もする、と申し出る。
「なあ、この鳥があのザイウェトロストだって本当か? アキラが人間なら、ナイアーラトテップに閉じ込めなくてもいいんじゃないのか?」
アキラが応えないうちに、アルハザートが質問をたたみかける。
アズーアは忌々しげにアルハザートを睨みあげた。そしてあきらめたようにため息をつくと、二人に椅子を勧めた。
「わかりました。アルハザートにもわかるように説明しますから、その前に二つ約束して下さい」
アルハザートはむっとしたようだが何も言わず足を組み替えた。
「まずひとつは、あなたにお願いしたいのです。私の研究に協力していただけませんか?そちらの世界のことなど教えてくださる程度の協力なんですが」
べつに不都合もないので暁は頷く。
「私が教えられる程度のことならいいです」
そうするだけで衣食住を確保できるならお安いご用だ。
あちらの世界へ帰れる保証はないのだから。
アルハザートはなにが気にいらないのか、不機嫌な顔を崩さない。
それを見てアズーアは見透かしたように小さく笑う。
「そしてもうひとつは、アルハザートにお願いしたいのですが?」
アルハザートはアズーアの視線を受けてもなにも応えない。よほど機嫌が悪いらしい。 アズーアは笑いをこらえながら言葉を続けた。
「あなたが帰ったことを各城の使者達は目撃した者もいるでしょうね」
アルハザートは暫沈黙し、顔を上げアズーアに視線を合わせる。
最強の獣騎士アルハザートの帰還。使者達はそれを見て、来訪者を捕獲したのだと考えるだろう。
そう報告を受けた一部の城主達は、その来訪者を手に入れたいと考えるだろう。
「アキラは狙われるか」
アズーアは頷く。
「ですからアルには、アキラさんの護衛をお願いしたいのです。アキラさんが王城以外の城の手に渡れば権力のバランスが崩れますからね」
「わかった、まかせろ。だが『門』から魔獣が現れた時はどうする?」
「守りながらも仕事をしてください。あなたは、守るものを守りきれないような腕ですか?」
それもそうだ、とアルハザートは頷いた。 さて、と言葉を区切りアズーアは暁に向き直る。
「それではこの世界のことを説明しましょうか。この世界には六つの城と六つの街があります」
そう言うとアズーアは紙を取り出し、鳥の羽根のペンで、三角を重ねた図形を書いて見せた。六芒星というやつだ。その北の角を指す。
「ここがナイアーラトテップ城群。右回りにクトゥルー、ヴーア、アザトース、イリオンハスター城があります。アザトースは王城です」
六芒星の先に位置する鋭角を、順に指していく。
「そして…」
今指した城と城の間の内奥に、線が交差している。そこを指す。
「ここがバルサイの街」
ナイアーラトテップ城群とクトゥルー城の間の交差を指す。そこから右回りにペンを移動させる。
「順に、シュトリ、アドリカ、キシュ、ノーデンス、インクアノクの街となります。名前を覚えるのが面倒でしたら、12の城と街があるとおぼえていればいいでしょう」
図形の書いてある紙を暁に渡した。
「え、と…この世界にきたとき湖があったけど?」
「中央の六角形の部分に大きな湖があります。ウルヴァーハンプトン湖といいます」
カタカナだらけの名前ばかりで、暁の脳みそはスパークし始めた。
「ち・地理はもー結構です。このナイアーラトテップ城群から出れなさそうだし」
「ではザイウェトロストの結界のことをお話しましょうか。そうすれば貴女がなぜ狙われるのかもわかるでしょうし」
暁は頷く。
「無限に広がる岩山の群があります。それをルルイエといいます。その中に半円の結界に守られた世界があります。それがこの世界です。 ルルイエには無数の魔物が跋扈しており、それから世界を守るのが結界です。 結界は一部だけ穴があいており、それが『門』と呼ばれるものです。そこから魔物はこの世界に入り、我らナイアーラトテップの審査を受け、人間に有益もしくは無害と判断された場合はこの世界に受け入れられます。有害な場合はルルイエに逆戻りですね」
「その結界を張っているのが蝦夷……この鳥なんですか?」
「同じ種族の鳥です。ザイウェトロストも元はルルイエにいたと聞きましたから、あなたのもとに訪れたのは、ルルイエにいたザイウェトロストでしょう。それがこの世界を守るザイウェトロストならば、結界が消えてしまったでしょうしね」
かくん、と横に座っていたアルハザートの頭が下がり、暁は驚いて見やる。
アルハザートは居眠りをしていた。
暁に放っておけと目くばせすると、アズーアは話を続けた。
「このように、世界を守る結界を破ることが出来るのは、ザイウェトロストと同等の力を持つ魔物か、もしくはそれ以上の力を持つ魔物です。 昨夜結界が破られたのを感じ、ザイウェトロストを凌ぐほどの魔物が現れたのかと危惧して、ナイアーラトテップは大騒ぎでした」
アズーアはため息をつく。
暁は、なにやら悪いことをしてしまったような気がして、肩をすぼめた。
暁の訪問はこの世界に波紋を及ぼしてしまった。迷惑でないといえば嘘になるだろう。
「ああ、すみません。気になさらないで下さい。ザイウェトロストより強い魔物かと心配していたので……。あなたでよかった」
本当に安心したらしく、アズーアは他人にはめったに見せない心の底からの笑みを見せた。
「当分は使者への対応など仕事が忙しいので研究は置いておきましょう。アルハザートがずっとそばにいますから、わからないことなどは聞いて下さい。こいつはあなたを気にいっているようですし、まかせて大丈夫でしょう。アルハザートがわからないようなことは、遠慮なく私に聞いて下さい」
そう言うと、見かけによらず乱暴にもアルハザートの座る椅子を蹴る。
「うおっ なんだ? 話は終わったか?」
ずりおちそうになる身体を起こしながら、尋ねてくる。
「ではアルハザート、アキラさんのことは頼みました。部屋はあなたの隣がいいですね」「おう。」
立ち上がりながら応える。
ドアに向かうアルハザートについていくが、出際にアズーアがアルハザートを呼んだ。
「なんだ?」
振り向く。暁もつられてアズーアを見る。 アズーアは暁とアルハザートを見比べて何か言おうとしたが、やめる。
「なんだよ」
苛立たしげにアルハザートが睨んだ。
「いえ。……『何か』あれば私には遠視が出来るので、わかりますからね」
と言うが、言おうとした内容と違うのだろう。
釈然としないままアルハザートは暁を連れ、アズーアの部屋を出た。
「ところで気になっていたんですけど、アクアは?」
「ああ、アクアはでかいからな。乗らない時は同化してるんだ。離れている時に『門』から魔物が来たら困るからな」
確かに。
やがて案内された部屋は、必要最低限の家具がそろった、六畳ほどの質素な部屋だった。
魔法使いのなかで一番偉いアズーアとさして変わりのない部屋だ。城中の住居部屋は、全てこんな感じなんだろう。
ただで住まわしてもらうのだ。文句は言えない。
「寝る時以外は俺と同じ行動をしてもらう」
有無を言わせぬ口調に暁は頷く。
私を護衛しなくちゃなんないんだから、そうなるか。
「じゃぁ、少し休んでから…」
くるるる…、と普段おとなしい蝦夷が喉を鳴らした。