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暁は木の上にいた。庭の中にある一番大きな木だったので、渡り廊下の屋根の向こうが見えた。その向こうも庭だった。そしてまた建物があり、その先は城壁に閉ざされていた。
そのずっと先にはナイアーラトテップ城群がある。シュブに方向を教えてもらったのだ。重いため息をつき、気を紛らわせようと髪をかき混ぜた。
髪に飾られた大輪の花の残り香が漂う。暁は正装から着替えていた。
議論のまとまらない会堂は一旦休憩し、その間にシュブと暁は解放された。暁は真っ先に化粧を落とし着替えた。シュブは残念そうだったが、もう正装など嫌だったのだ。歩きずらい服や塗りたくられた顔、それが耐えられなかった。
シュブは今、獣魔団の方へ行っている。それが彼女の本来の仕事なのだ。
会堂は暁の処遇について話し合っていたようだが、一向に決着はつきそうになかった。
振らつく頭を押え、またため息をついた。
「寝不足のせいかな」
無理矢理にでも、眠ったほうがいいかもしれない。もういちど城壁の向こうに目をやってから木を降りた。
ナイアーラトテップは…遠いな…。
ノック音で目が覚めた。いつの間にかうたた寝をしていたらしい。けれど熟睡していたわけではないので、どうも頭がぼんやりする。長椅子から身体を起こし、しばらくぼんやりと床を見つめていた。
悪夢を見なかっただけ、まだましかも…。
「ミワーキラ様? いらっしゃいますか?」
男の声。ヨグ=ソトースとかいう目つきの悪い奴だと思い出す。
誰だ? ミワーキラって。
「私のことか、もしかして」
三輪暁、そうシュブが言ったのをミワーキラと呼んでいるらしい。
だが今の姿だと着飾った暁ミワーキラだとは思えないだろう。
ヨグさんって苦手だしな。
ドアを開くと、花束が視界を遮る。
「ミワーキラ様? お? なんだ小僧、ミワーキラ様はいらっしゃるのか?」
暁を小間使いのガキとでも思ったらしい。
「えーと、あの方は、部屋を移られました」
でかけてる、と言えばまた来るのではないかと思い、苦し紛れに嘘をついてしまう。
「なに!どこに?」
「うーん、そういうことは私などには知らされませんので」
「シュブは!?シュブ=二グラス殿はどこにいるっ」
シュブに居場所を聞くつもりらしい。
「真面目にお仕事をなさっている方の邪魔をするような方は、ミワーキラ様はお嫌いだと思いますよ」
ヨグ=ソトースはぎくり、と暁を見ると頷いた。
「う・うむ、そうだな。あ、いいか小僧、くれぐれもリヴァイア=サンにはなにひとつ教えるな」
「は? 誰です?」
「司法省長官で始終目を閉じている奴だ。白髪でお奇麗そうな顔の男だよ。いいな?」
暁は黙りこくり、その特長を描いてみる。 うーむー。
「それって、そちらの方のことですか?」
さきからヨグ=ソトースの背後に立っていた者を見やる。一緒にいるので部下か友人なのかと思っていたのだ。
「細目で悪うございましたね」
にっこり、と微笑みつつ言うリヴァイア=サン。その笑顔が妙に恐い。
「汚いぞっ つけてたなっ」
ヨグ=ソトースの罵倒にリヴァイア=サンは笑顔を崩さない。
「会議が終わった後に貴方が真っ先に行くところといえば、誰でも見当がつきますよ」
「残念だったなぁ」
ふふん、とせせら笑いながらヨグ=ソトースは偉そうに胸を張る。
「ミワーキラ様はここにはいない」
「聞いていましたからそんなこと知ってますけど」
「じゃ、そーゆーことで」
言い合いが始まりそうな予感にさっさと扉を閉める。
ヨグとリヴァイアは言い合いしつつも仲良く去っていった。
「もう着飾るのはやめよう」
と、決意はするものの、王の御前では正装するのが決まりだ。
「おーい、坊主元気かー」
長椅子で一息ついていると、窓からセイが身を乗り出し暁を呼んだ。
「あ。ども。えーと、セイさん」
「おう。暇そうだな」
あんたもな。そういや、今朝怒っていたと思ったけど気のせいだったのかな。
「やることもありませんしね」
視線がつい城壁の向こうへいっていしまう。つられるようにしてセイもそちらを見てしまう。
「よぅーし、ちょっと付き合え」
ひょいひょい、と部屋を出るように手で合図した。
「どこへ?」
身軽に窓を出る。庭の案内でもしてくれるんだろうか。
「いーからいーから」
先に歩くセイの足取りはしっかりしたものだ。この庭をよく知っているらしい。
花壇の向こうにあった生け垣を越える。生け垣は迷路のように複雑に入り組んでいたがやはりセイの足取りは軽い。昨夜とはくらべものにはならない。
生け垣を越えると、渡り廊下が立ちふさがっていた。そこへ窓から入り込み、また向い側の窓から出ようとしているところにひとが通りかかった。
詰め襟服の長髪男。
「どこへ行くんですか、セイ」
「よう、シェード。ちょっと飯でも食いに」
ほほう、そうだったのか。
シェアリングはセイの向かっている方向を見やる。
「そちらには食堂などありませんが」
「はっはっはっはっはっ」
わざとらしく口で笑い声をたてながら、セイは窓を越える。そして暁を手招きする。
「……私はひと様に養っていただいている身分なので、お金は持っていないのですが」
ぽそ、とそう呟くと、セイとシェアリングが沈黙してしまい暁を見つめてきた。
実は謎な発言だったのかもしれない。
暁の外見からすると、宮廷で小間使いとして働いている坊主と思えるのに養われていると言う。坊主と呼ばれるとはいえ、もう働いていい年に見える。それでも金がなく養われていると言う。謎だ。
そもそも『養われている者』が宮廷にいること自体おかしい。宮廷では皆働いている。 宮廷に王族一家は住んでいない。王の両親は健在だったが、王に地位を譲った後城下町で劇団を営んでいる。
王族貴族に関わらず仕事をせずに生活している者は、子供か学生か王に限られていた。その学生もいるとすれば学館のある城だ。王城に学館はない。
ここ宮廷で『養われている者』は乳飲み子と王だけだ。しかし暁は乳飲み子には見えない。
「……昨夜泊めてもらったからな。その礼だ。金はこいつが払う」
妙だぞお前何者だ、などとは聞かずシェアリングを指さす。
暁も今の沈黙の中に、疑惑のようなものが現れたのを見逃してはいなかったので、こちらの常識をアズーアに習っておけばよかったと後悔していた。
「……別にいいですけどね。そうくると思ってましたし。ところで、名前を聞いていなかったな」
「暁といいます」
触れないでくれるのが嬉しかった。
「……ふむ。いまさらとは思うが、私はシェアリング。呼びづらかったらシェードでいい。こちらはセイ」
窓の外でセイがにっかり、と笑う。
「ようし、行くぞ。早くしろ」
おごられることに少し戸惑ったが、好意を受けることにした。
抜け穴を通り抜け城壁を越えた三人は城下町にきていた。その一角で、食事の後に酒を酌み交わしている。
男なら酒ぐらい飲めんといかーん、と言われワインに似たお酒を口にしてから思考が怪しくなってしまった。
「酔って吐かせようって腹ですか」
「安易すぎるか?」
テーブルの向かいで交わされた会話は、暁の耳に入らない。
「白い卵に触ったらぁ……壁にぶつかるんだぞぉ気ぃつけろよぉ」
「なんだそりゃ」
セイの言葉に応えることなく、暁はテーブルにつっ伏す。
「ああ、そういえばあまり眠れなかったようでしたしね。吐かせる前に寝ることも予測すべきでしたねぇ、セイ」
「ちぃっ」
セイがヤケになって酒を飲み干すと、暁がなにか呟いているのに気づき手を止めた。
「……信じてる」
シェアリングも手を止め暁を見やる。
「信じてた……だから…もういい…いいんだよ……アル…」
「『アル』?」
「よくある名ですよ、セイ」
驚く二人の反応など構わずに、暁はゆらりと立ち上がった。
「私はね、温室育ちなんだ。だから私を守るためにあのひとが傷つくのを止めさせたかった」
据わっている目で二人を覗き込む。
「ひとを傷つけられないんだ。だから命を狙われても何もできない。かわりにあのひとが手を汚す。慣れてるからいいんだって」
くっくっく、と自虐的に笑う。
「なぜか、って聞いてたよね」
セイを見る。黙って暁を見つめる目には深い色が漂っていた。
「慣れるはずないだろ!」
だん、と拳を叩きつける。震動で空になった酒瓶が床に転がった。
酒場の喧騒が一瞬消える。
「……主人、勘定」
おぼつかない足取りで店を出て行く暁。それを追うセイ。シェアリングは懐から金貨を数枚置きテーブルを離れて出ていった。
薄暗い街。空はどんよりと曇っている。もう十刻だというのに、未だ夜は訪れていない。
先を歩く暁が道端で膝をついた。慌ててセイが駆け寄る。
暁はぼぅ、と正面を見つめていた。
視える……
変哲もない街路。視界を遮る家々。けれど暁にはその先のものが視えた。
「……アキラ?」
気でも触れたのか、と不安を露にセイは暁を覗き込んだ。
「ああ……」
瓦礫の山。佇むひと。その背。
視えてしまった。
「……帰りたい…」
家へ。家族のもとへ。なまぬるい世界へ。
それはできないとわかっているからこその願い。
「帰りたい……」
故郷へ。ナイアーラトテップへ。
なによりも……
あのひとのもとへ。
「帰りたいよぉ」
手で顔を覆う。身体が前のめりになるのをセイが支えた。
見てはいけない。たったひとり、瓦礫の山にたたずむそのひと。
帰れないのだ。帰ってはいけないのだ。
だから…。




