表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/28

帰還の蒼光

 淡橙に染まる天井が、静かに私を見下ろしていた。蛍光灯が、無表情にはめ込まれている。

 天井は均等に白く石造りの壁ではない、そしてランプではなく蛍光灯がある。

 

 なぜ……?


 それらに見覚えはあれど、疑問が浮かぶのだ。


 ここは、こちらなの?


 まどろみから覚醒しはじめた聴覚が、音をとらえた。

 視線を移動させ、音のする方を見る。

 低い電子音を放つのは、枕元の台に置かれた金属の箱だった。いくつかのスイッチがあり、その横に英語でなにやら書かれている。 箱からは半透明のホースが出ていた。それを目で追い、口元を覆っていた酸素吸入器に気づいた。

 外そうと手を動かし、うまく力が入らないことを知る。まるで長い間使われていなかったように。


『どうしましたか?』


 吸入器を外した途端、声が降ってきた。マイクを通したような女の声だ。

 視線をさまよわせると、天井にスピーカーがついていた。声はそこから降ってくる。


『……どうしましたか? 三輪さん、目がさめたんですか?』


「……はい」


 ここは病院だ……。


 上半身を起こして、室内を見回す。白い壁に白いベッド。病室の隅に置かれた台には、聴診器や手指消毒用の液剤があった。

 プ。と、電子音を最後に、ナースの声は止んでしまった。


「……私……どうしてここにいるんだろう」


 呟いても、だれも応えてはくれない。

 

 通話を切り、ナースは深呼吸した。

「先輩、207号室の患者、目が覚めたんですか」

 聞き耳を立てていた後輩は無視して、受話器を取る。そして医師のポケベルに送信した。

 207、と。

 



 その患者の状態を初めて聞いた時、ただの貧血かと思っていた。

 患者の名は三輪暁みわ あきら。若い女性ということもあり、ベランダで倒れているところを発見した隣人が、驚いて大げさにしてしまっただけだと考えていた。

 だが診断の結果、そうではないことがわかった。

 バイタルサインが全て低数値を示しているのだ。つまり、呼吸、脈拍、血圧、体温が異常なほどに低い。しかも、排尿、排便といった生理的機能が停止している。

 点滴を受ければ、口より食物を摂取せずとも排泄物は出るはずなのに。とりいれたエネルギーは、どこへ供給されているのか?

 まるで全精力を使い、自らを癒しているかのようだった。医師として、そんなことを考えてはいけないのだろうが。

 彼女に外傷はなかった。CTスキャナ等で精密検査を行っても、どこにも異常は見られなかった。ただ意識がなく、ただバイタルサインが異常なだけだった。

 三輪暁みわ あきらは眠り続けていた。

 つい、さきほどまでは。

 

 ベッドで上半身を起こしていた彼女は、ベッドの足下に取りつけられたハンドルを回して、ベッドの上部を背もたれのように起こそうとしたナースを制した。


「……このままで結構です。ありがとう」


「バイタルは?」


 聞くと、ナースは持っていたボードに目を走らせる。


「三六、七十、十八、一二十の六十です」


 頷き、ベッドへ近づいた。彼女は私を見上げる。きっと実験動物を観察するような目つきで、私は彼女を見返しているのだろう。だがそんなことはどうでもよかった。


「私は医師の田村という。三輪暁みわ あきらさんだね」


 彼女がうなずくのも、ろくに確認せず、私は手に持っていたファイルを開いて差し出した。


「これに、サインしてもらえるかな」


 彼女はきょとん、と、差し出したファイルを見ていた。


「……ドクター」


 とがめるように、ナースが呟いた。

 説明不足か、と気づく。


「ここは医大付属病院だ。これは、医大の研究に協力するという書類なんだよ。これにサインすると、君は

治療費を払わなくて済むんだよ」


 彼女が身寄りのない、孤児だということは救急車を呼びつけた中年女性から聞いている。両親の遺した遺産で暮らしているらしいが、それも遺産というほどのものではないそうだ。治療費を払わないで済むのなら、喜んで協力してくれるだろう。

 が、医師の予想に反して、暁は興味なさそうにファイルから目を上げた。


「今日は何日ですか?」


 逆にそんな質問をされ言葉に窮していると、背後のナースが身を乗り出した。

「貴方が倒れたのは二八日でしょう? それから一か月間眠っていたから、今日は二八日なのよ。十一月二八日」

 医師が暁を実験材料にしようとしているのがわかったのだろう。ナースはまるでかばうかのように、暁と医師の間に入り込み、やけにていねいに日にちを教える。


「え……?」


 息をのんだ暁を見返して、ナースは苦笑した。


「一か月も眠っていたなんて聞かされて、やっぱり驚いた? でも本当よ」


「待って下さい」


 いたわるように微笑むナースの腕を掴み、暁は必死の形相で再び尋ねた。


「私が発見されたのは、十月の二八日だというんですか」


 ナースは怪訝に暁を見返し、困惑して医師を仰いだ。


「そうだよ。なぜ疑問に思うんだい?」


「どういうこと……? エゾは時間も越えることができるのかしら……」


 医師の問いなど聞こえていないようで、うつむいてなにかを呟くと、再び顔をあげた。


「私は、どこで発見されたんですか?」


 妙なことを聞く。記憶に混乱があるのだろうか?


「……君の自宅のベランダだそうだよ。どうしたんだい? 記憶がないのかい?」


 暁は答えず、ナースの腕を離すと、口元に手をやり考え込んでしまった。


「三輪さん……?」


 ナースが呼びかけると、無理につくったとわかる笑みを浮かべる。


「ごめんなさい。なんでもありません。ちょっと、疲れてしまったようです」


 そう言われると、医師もナースも長居はできなくなる。


「じゃ、この書類については、また明日にしよう。身体に異常はないようだけれど、もう二・三日様子をみ

ようか」


「なにかあったら、枕元にあるボタンを押してくださいね」


 暁は力なく頷く。けれどその瞳には、なにか強い意志が感じられた。

 病室を染める橙に浮かび上がる、目に見えぬ炎のようだ。


 蒼い炎。





 医師とナースは病室を後にする。


「外から鍵をかけておけ」


「ドクター」


 医師は有無を言わせぬ鋭い目つきで、ナースを見下ろした。


「はい」

 




 その夜、西大付属総合病院から、ひとりの患者が行方不明になる。

 見回っていたはずの若い警備員は、ひどく混乱したまま、事情徴収を受けた。


「最初は悲鳴かと思ったんだ! けど、よく考えたら鳥の鳴き声みたいだった。知るかよ、なんだって病院に鳥がいるのかなんて関係あるかよ。俺の知ったことじゃねえよ。でもさ……もしかしたら、ただの雷だったのかもしんない。だって、なんか光ったんだよ。そう、あの鳴き声みたいな音と一緒にさ。光ったんだよ。蒼く」


 その鳥の鳴き声は、他の患者も聞いたというが、そんなものは事件になんの関係もなさそうだった。そして役にも立たなかった。

 結局、行方不明の患者は、治療費を払えないと判断し逃亡したということで、決着がついた。

 服もなく、靴もなく、金もなく、なにももたず、彼女は逃げたのだと。

 それが不可能だということは、ひとりの医師とひとりのナースが知っていた。

 病室には、外から錠がおろされていたことも、翌朝錠はそのままであったことも、あきらを探すのになんの役にも立たなかった。

 

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ