鬼さんと私(1)
―― ……コツコツコツコツ
いつもの静かな廊下で規則正しい靴音が響く。
今年はどういうわけかこんな時期に派遣人数が増えて、こちらの人手が少々不足気味ですねぇ……。
束になった書類をぺらぺらと捲りながら、館の主は中央の塔から書斎を目指していた。いつもの決まったルートを通る。
忙しいということは良いことですし、まあ、こちらはロナとユーナをフルで使えばなんとか補えると思う、……にしても、さっきから……。
「何をしているんですか?」
廊下の柱や、花瓶の陰からひょこひょこちらちらと見え隠れする姿に足を止め嘆息する。
「うわぁっ! 見付かったっ! おにはーそとっ!」
えいっ!
「館主様ごめんなさぁいっ! ふぅくはーうちっ!!」
えいえいっ!
「きちくぅ!」
えーいっ!
文字通りぴょんぴょんと物陰から出てきた、小さきものたちが何か小さなものを口々にごちゃごちゃ叫びながら投げてくる。こつんっこつんっと当たるそれは特に痛くはないが……鬱陶しい。僅かに眉を寄せ、ぱしっと顔にめがけて飛んできたものを掴まえた手を開くと
「―― ……豆?」
吃驚して出てきてしまった耳が疑問にぺこんっと折れる。
というか、今、若干一名に鬼畜と呼ばれた気がしたのは気のせいでしょうか?
はぁと嘆息したところで、ぎゃあっ! と可愛くもない悲鳴が聞こえた。もちろん、聞き覚えのあるものだ。
「そこは駄目だっていったでしょぉぉぉっ!!!」
「ユーナ、これは一体」
「お邪魔しましたーっ!」
……一陣の風の如く、小さきものたちを、わしっと抱えて走り去ってしまった。
この屋敷の中で唯一うさぎではないはずなのに、まさに脱兎の如く逃げ出した。その後姿を無言で見送って、ふわりと風に散った前髪を整え、館主は冷たく瞳を細める。
「―― ……フィズ。説明しなさい」
「え、あ、はい…… ――」
おろおろとユーナのあとについてきていたフィズは逃げ遅れていた。
***
「なるほど、災厄を祓う豆まき……ですか」
「はい、その……」
「どうしてそれで僕が豆を投げつけられないといけないんでしょうねぇ……」
いいつつ、そっと廊下の窓から階下を見下ろす。
今度は庭でロナが犠牲になっているようだ。逃げ惑うロナに容赦なく豆シャワーは注がれている。
「え、ええと、その、それは……」
「まあ、良いです。遊び終わったら、ちゃんと片付けさせて置いてくださいね」
「は、はい」
「それから、こちら側ではいつどんな騒ぎが起こるか分かりません。小さきものたちは、ちゃんと別棟で遊ばせてください」
「はい……申し訳ありませんでした」
注意は促されたものの思いの他簡単に解放されそうで、フィズはほっと胸を撫で下ろした。
「そのあと、ユーナに書斎に来るように伝えてください」
締め括ってにっこり。
その笑顔の裏に明らかに冷たい怒りを感じて「え」と返してしまうと「聞こえませんでしたか?」とさらににこり。光の加減で口元の笑みしか確認出来ない。
フィズは背筋がすぅと冷えて「聞こえました!」と声が裏返った。
ぱたぱたと軽い靴音を立てて、その場を去ったフィズを見送り、再度階下を見下ろす。
鬼は外ーっ! 福は内ーっ! の掛け声と共に、きゃあきゃあとここまで小さきものたちの声が響くことは普段あまりなく、屋敷の中が子どもの声で騒がしいなど珍しいことだ。
遊んでいる暇など与えていないはずなのに……ぱさりと、持っていた書類で窓の桟を叩いて、館主は当初の予定通り書斎へと戻った。
***
すーはーすーはー。
書斎の前でユーナは何度目かの深呼吸をして、そして、もう何度目かになるがノッカーに手を掛けて降ろした。
子どもたちの退屈しのぎの遊び。というだけだったのだけど、まさか子どもたちが標的を館主に定めるとは思わなかった。ユーナは大きな溜息を零して肩を落とす。
「だって、ユーナ、おーなーのこと鬼ーっ! きちくーって叫んでるじゃん」
「きちくーって鬼のことだよねっ!」
子どもたちの素直な笑顔が眩しかった。
明らかに自らの落ち度だ。取り繕う場所もない。
「入るならさっさと入ってください」
「ひいっ!」
もう一度、と手を上げたところで頭上から声がした。
「なな、なんで後ろに居るんですかっ!」
いつも! と付け加えそうになって飲み込んだ。
そんなユーナの焦りをあっさり無視して「貴方がいつも僕の前に居るんです」とユーナを追い越して扉を開けてしまう。
わたわたとその後ろに続いたユーナに部屋の主であるルイは「手のものはなんですか?」と重ねた。
「あ! こ、これですかっ。料理長に頼んで作ってもらった恵方巻きですっ!」
にこにこと書斎机に歩み寄ってそう告げたユーナは、手に持っていたお皿に掛けていたナプキンを取り除いた。綺麗に並べられた切り口も美しい巻き寿司だ。
「本当は、一本丸ごと恵方に向いて食べるんですけど、仕事の合間にというわけに行かないだろうから切ってもらっちゃいました」
はい、どうぞ。と、一切れ手渡して「お茶入れますね」と慌しく続ける。