第五話
それから、ルイさんは帰ってこなかった。
その日も勿論、そのあと何日も……行動に制限をかけられ、仕事も取り上げられた私を心配して、ロナさんも良く様子を見に来てくれたし、フィズも休憩のたびに寄ってくれたけど、私は殆ど誰とも会わなかった。
ルイさんが屋敷をあけることは、珍しいことじゃない。基本的に自分でなんでもやってしまうひとだから、遠方などにも割りと出掛けてそれっきり数日帰らないことも間々ある。けれど、私と結婚してからは、夜になればちゃんと帰って来ていた。
遅くても、朝目が覚めれば隣に居た。
「愛人の下に通いつめる夫を待つ妻」
ぽつ、と独り言を零す。誰も聞きとめることはない。
はぁ、まるで、昼メロだ。
このあと、ふらりと夫が連れて帰った子どもの面倒とか私が見始めるのだろう。
そのあと、愛人さんも一緒に生活とか始めて……凄いな、どろどろだぁ……。
そういえば、以前フィズと、ルイさんがモテるのかどうかという可愛らしい? 話題になったことがあった。
『オーナー? そうねぇ……確かに、贈り物とか結構届いてたりするし、やっぱり、モテるのかしら?』
『あの性格だよ?』
『でもオーナーは、あれで何でもそつなくこなす方でしょう? 地位もある方だし。女性問題を屋敷に持ち込んだことはないけれど、全くないともあたしはいいきれないなぁ』
愛らしく人差し指を顎に押し付けて、そう答えてくれるフィズに、だよね。と、同意してしまった。そのあと慌てて『今の話じゃないわ!』とわたわたしていた様子がとても可愛かった。
フィズ、可愛い。シル○ニア……。フィズには何をいわれてもほわほわになってしまう。
それはそうと、確かに、顔も派手ではないが整っているし、あの計算高い人が、自分にとって不利益なボロを出すとは到底思えない。オーナーだし。女の人が寄り付かないわけないよね。
あの時は…… ――
『なるほど、居もしない恋敵に嫉妬ですか? ユーナは器用ですね?』
と鼻で笑われた。
『やっぱり、口には出来ないような女性遍歴が?』
『なんだか妙ないい方しないでください。あっちが勝手に寄ってくるんですよ? 僕の知ったことではないです。ずるずる後を引くような付き合いしません』
『……うわぁ……絶対、付き合いたくないタイプですよね?』
『その付き合いたくないタイプを恋人に持つユーナは酔狂ですね』
ああ、本当に。本当。あのときはそう思った。私は酔狂だ。
『そう心配しなくとも、僕は毎晩ちゃんと帰って来ているじゃないですか。他所で遊んでいるほど、暇じゃないです』
『えーっと、それは、私が自惚れても良いところですか?』
『是非どうぞ』
ルイさんの確固とした態度は私を安心させてくれるだけのものだった。
「―― ……でも」
今回、私がいい出したことだ。それをルイさんは分かったといい、屋敷を出たきり戻らない。ロナさんやフィズは「仕事で」としかいわないけど、その前段階を知っているのだから、無意味だ。
自分で撒いた種。泣いたり落ち込んだり、するべきじゃない、よね……。
でも私ってば、どうして欲しかったんだろう。
そんなこと気にしなくて良いよ。と抱き締めて欲しかった?
ユーナが、居ればそれで構わないといって欲しかった?
優しく抱いて、キスをして、心配要らないと、他人には何もいわせないと宣言して欲しかった……? そのどれもルイさんがするとは思えない。
私が不安で苦しくて、だから、なんとか切り出したのに、触れてすらくれなかった。馬鹿なことをいうなと怒ってもくれなかった。ただ、静かに怒って受け入れた。
私室のポーチから見渡せる庭は、今、色とりどりの花を咲かせている。空も綺麗に晴れ渡り、私の内側とは憎らしいほど正反対だ。
「―― ……はぁ」
もう、どのくらい離れているだろう。
最後に抱かれた赤い痣は、もう消えてしまいそうだ。気分が落ち込んで憂鬱で、気持ちが悪い。食堂に足を運ばなくなった私に、料理長自らが足しげく私の元に通って食事を届けてくれる。
私が体調を崩しているとでも思ってくれているのだろう。胃に優しそうなものばかりで、トレイに並んだ食事を見ると微笑ましくなる。
みんな良い人だ。
だから、手付かずで返すのは、余りにも申し訳なくて、少しは手をつけるのだけど、身体がいらないという。食欲が全くない。
それでも、無理に押し込めば戻してしまうことも何度かあった。
こんなに、弱っているのは良くないと分かってる。
ルイさんが戻ったとき、私はお帰りなさいといえるだろうか? そう思うと堪らない。ずきずきと胸が痛んで、体中が軋む。
今、彼が何をしているのかが分からない。
今、彼が何を考えているのか分からない。
今、誰と一緒に居るのか考えるのが恐い。
今、誰と一緒でどんな優しい言の葉を紡いでいるのだろうか?
私には決して掛けられることのなかったような、甘い台詞も平然と口にするだろう。彼は作れる人だ。私だって、本当のルイさんの姿なんて分からない。知ったつもりで、全然知らない。
どんなに歩み寄ったつもりになっても、直ぐに遠ざかってしまう。私の前で見せる顔が本当なのか、私には分からない。
私には、何も分からない
何もすることがなくて、頭に浮かんでくるのはルイさんのことばかりで、もう、身体ではなくて、心が壊れてしまいそうだ。