兎の世界に実がなれば(後編)
「うん、確かそうだね。不安?」
「え、あ、いえ、えっと、ありがとうございます」
私の顔を覗き込むようにして訪ねてくれたトリスさんに、私は曖昧に礼を告げた。
不安、うん、もちろん不安だ。
妊娠だって、出産だって初体験なのに、その上異世界だ。でもって『お父さん』とやらはあの調子冷徹眼鏡だ。不安にならない要素があれば、是非ともご教授願いたい。
「あ、あのぅ」
「ん?」
「私は、人を生むんですか? それとも、兎?」
ごにょごにょと口にした私にトリスさんは、快活の良い笑顔を浮かべて「どっちだろうねー」と立ち上がり私の肩を叩く。
どっちだろうねって、ちょ、え?? 軽くパニックになるような発言だと思うんだけど。まぁ、そう、だよね。落人なんて少数だもん。知ってる人の方が少ないよね。
「どっちにしてもちゃんと取り上げてあげるから、安心して」
「え」
「そんなに泣きそうな顔しなくても大丈夫だよ。館主様も相当動転していたようだからね」
「え、ええっ! ル、ルイさんが?」
物凄い冷静だったのに、物凄く淡々としていたのにっ。
「あたしはこれでも忙しいんだよ。それをあの人ときたら、無理矢理、今すぐ生まれるみたいに引っ張って来るんだよ。まだまだ先だよ、全く。道すがら物凄く沢山質問もしてくるし、全く……取扱説明書でも書けっていうのかねぇ」
想像できない。想像出来なさ過ぎる。
「因みに質問って?」
「え? あー、そりゃもう色々だよ。食べるものとか、着るものとか、生活習慣とか、夫婦生活とか」
ひぃっ! 流石ルイさん最強。まず聞くことにそれを入れるっ?! ぼふっと反射的に顔が真っ赤になったのが自分でも分かる。
「なんか、あれは完全に腫れ物扱いだね。あんたに近づいたら流れるとでも思ってるんじゃないかい?」
「え、えーと……はぁ、すみません」
何故、私が謝るんだ。
「噂では、館主様は氷のような人だと聞いていたんだけどねぇ。ああいうタイプは確実におやば……」
「無駄話はそのくらいにしていただけませんかねぇ?」
―― ……ひぃっ!
同時に、私たちは冷水を浴びせられた思いがした。ぎくりと二人で肩を跳ね上げ、恐る恐る振り返る。開いた扉を背中で支えたルイさんと目が合って、私たちは曖昧な笑みを浮かべた。
「くだらない冗談はやめてください。大体、医者には守秘義務というものがあるはず…… ――」
***
「―― ……と、そのあと、延々とお説教される夢を見ました」
「なるほど、それをどうして、今、ここで話すんですか?」
「それは、まぁ、お茶のお供に……」
かちゃりと、丁寧にティーカップをソーサーに戻したルイさんの動きを眺めつつ、にこりと答える。そして、その傍では机に突っ伏して大爆笑しているロナさんが居た。
「ロナ、貴方はサボっていないでさっさと仕事に戻ってくださいっ!」
「あ、あは、あはは……は、はい。お父さん。そうします」
溢れる笑いを涙目になりながら堪えるロナさんを「ロナ」と一瞥したルイさんに、ロナさんはワザとらしく姿勢を、ぴっと正して立ち上がった。
「はい、オーナー」
じゃあ、ユーナ、あとでちょっと手伝って欲しいことあるから。とにこりと告げてから、立ち去っていった。
その後姿が見えなくなるまで、睨みつけていたルイさんは、ふぅと息を吐くと手ずからお茶のお代わりを注ぎ、カップを軽く傾けて赤い色に視線を落とす。
「それ、正夢になるかもしれませんよ?」
「え。どうしてですか? まだ、少し先ですよ?」
「その、女医。年恰好は少し違いますが、名前はトリスですよ」
「え」
「―― ……まぁ、原因は沢山ありますから」
いって、顔をあげたルイさんと目が合うと、にっこりと微笑まれて、私はただ顔を赤くして黙るしかなかった。
※おまけ※
「あの、ルイさん」
「はい」
やっぱり気になるからちょっと聞いておきたい。
「もし、子どもが出来たとしたら、それって喜ばしいことですか?」
私の問い掛けに、ルイさんはやや思案したようだけれど直ぐに肩を竦めて答えを出した。
「さあ、どうでしょう。出来たことないので分からないです。でもまぁ、例えユーナが何匹儲けてくれたとしても養うくらいの甲斐性はあるので心配いらないですよ」
「……は、はぁ」
「まだ起きていないことを案じることはないと僕は思いますけど?」
では、仕事に戻ります。と、立ち去るルイさんを見送って、私はどうしても口に出来ない突っ込みが心に引っかかった。
「やっぱり……」
―― ……何、匹……なんだ……。
私、兎を産むんですか?
ご愛読ありがとうございました。
にまにまうふふとしていただければ満足です。
※申し訳ありません。今回、私の判断でうさぎ数え方は「匹」としております。理由については「拍手お返事:ちょこっと広場」をご参照ください。ご理解の程、よろしくお願いします^^