兎の世界に実がなれば(前編)
「ルイさん。お話があります」
ロナさんが所用で外出した隙に、私は机について難しい顔をしているルイさんに声を掛けた。
お茶の時間とも少し外れている。正直タイミングとして良いとは思えない。思えないけれど……どうしても、いわなくてはいけないことがある。
「あの」
「聞こえています。僕が忙しいのを分かっていて中断させているんですよね。それほど重要な話。興味はあります、で、何ですか?」
―― ……前置きのハードルが高すぎます。
ルイさんは中指で眼鏡の中央を押し上げながら顔をあげると、背もたれに、ぐっと背中を押し付けて問い返してきた。
何故だろう……私たちのこの関係はいまいち変わらない。今は書斎に二人きりなのだから、もっと……まぁ、仕事中だからそれは良いとして。
「えっと、その、もしかして、なんですけど、」
しどろもどろで話を続ける私にルイさんは片方の眉を引き上げて、皺を寄せる。
怖いんですけどっ!
どうして私睨まれてるんですか?
ちょっ、もう、その眼鏡外してくださいっ! 表情読めなくて益々怖いですっ!
私は貴方の、恋人ですよね?
違うんですかっ!
思ってもそれを声に出していうことの出来ない私は相変わらず根暗で弱虫だ。
「―― ……、んが……かも……」
「はい?」
「だから、子どもが出来たかもしれないっていってるんです!」
「……そ、そんなに怒鳴らなくても聞こえます」
思わず声を張った私にルイさんも怯んだ。
そして、こほんっと一つ咳払いしただけで、素に戻るルイさんは流石だ。私はまだ心臓がバクバクいっている。
「分かりました。医者を呼びますから、もう、そのまま部屋に下がっていなさい」
「え」
「ですから、医者を」
「驚かないんですか?」
私の素朴疑問にルイさんは僅かに首を傾けた。
「原因があっての結果ですから、別に驚くようなことではないでしょう?」
「……そう、ですよね。分かりました」
そして私は回れ右。静かに書斎をあとにした。
やっぱり、ひゃっほー! とかってなるのはテレビとか本とかの世界だけだよね? 実際はあんなもんなのかな?
いや、でも、どこかの寒いホームドラマのように超絶笑顔で抱き上げて、あはははは……って回ったりしたら……
「―― ……気持ち悪すぎる……」
夢に見そうなくらい最悪な図だと思う。
私にどれだけ想像力があったとしても、とてもじゃないが追いつかない。満面笑顔のルイさんって、ロナさんならまだしも……悪夢だ。
自分で生み出した悪夢を振り払い、思考を呼び戻す。
でも……やっぱり、こっそり病院を紹介してもらえば良かった。
フィズに最初に遅れていることを相談したら、医者も多分普段の掛かりつけの医師ではないと思うから、ルイさんに伝えてから……というから、それから丸三日は悩んだ。
かなり、悩んだのに……こんなことなら、さらっといってさらっと済ませれば良かった。
ぼんやりと部屋に戻って椅子に腰掛ける。庭の見える一角で私が一番気に入っている場所だ。
窓を開けていたから、優しい風が吹き込んできて私は瞳を細める。
「諸手を挙げて喜ぶ……とは思わなかったけど、ね?」
原因があって、結果って……仕事の一環ではないと思うのだけどな。
出来たものは仕方ない。って感じなのかな? 喜ばしいことではない、のかな……ほんの少し寂しく思って小さく溜息。
―― コンコン
「はい?」
そして、聞こえてきたノックに私は立ち上がり扉に手を掛ける。フィズでも様子を見に来てくれたのかもしれない。相談してから、彼女だけはとてもよく私のことを気に掛けてくれているから。知ってるのもフィズだけっていうのがあるんだけど。
かちゃりと扉を開けると、知らない年配の女の人が立っていた。
「えと、こんにちは」
「はい、こんにちは。あたしは、トリスっていって、医者っていうか産婆だね?」
早すぎませんか?! と突っ込める雰囲気でもない。相当急いできてくれたのか、少し上がった息を整えながらそういってくれるトリスさんに、私はこくこくと頷きながらとりあえず部屋に通した。
「子どもは初めて?」
「え、はい」
「そうかい、あたしも落人見るのは初めてだよ。まぁ、初めて同士仲良くね?」
にっこりと笑みを浮かべてもらっても、それって大丈夫? っていってもそうだよね。私はこの世界ではたった一人の普通の人間なんだもんね。そっと、私をベッドサイドに腰掛けさせて触診とかしてくれつつ、世間話をする。
優しそうなおばさんで良かった。