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101話 白銀と山頂

 ギリシャを出発してしばらく経ち、私――ラファエルとウリエルは、白銀の世界へと足を踏み入れていた。


 上空から見下ろす景色は、見渡す限り白一色に広がっている。


 無数の雪山と広大な雪原が、冷たい空気の中に静かに横たわっていた。


 私たちは羽ばたきを緩め、眼下の山並みを注視する。


「……この辺りかな」


 私が上空から周囲の地形を見渡すと、隣を飛ぶウリエルも辺りを確認した。


「おそらくな」


 目指す山を見つけた私は、広げていた翼をゆっくりと畳んだ。


 凍てつく風が頬をかすめる。


「じゃあ、ここからは歩いて向かっていこう」

「分かった」


 私たちは雪山の麓へと舞い降りた。


 着地すると同時に、足元の深雪が私たちの重みでわずかに沈む。


 振り返れば、静まり返った白い雪原の上に、二人分の足跡がひとつ、またひとつと残されていた。


「スカディは、この辺りを住処にしているんだろう?」

「ええ。前にも来たことがあるけれど、この辺りにいたはず」


 私たちは急がず、一歩一歩、踏みしめるように山を登り始めた。


 周囲には、驚くほど音がなかった。


 時折吹き抜ける冷たい風が雪を巻き上げ、視界を白く霞ませるだけだ。


 静寂に包まれた雪山を見回しながら、ウリエルが口を開いた。


「……静かすぎるな」

「うん」


 私は足を止め、風が吹き抜けていく先をじっと見つめた。


「でも、きっといるはず」

「なぜ分かる?」

「なんとなくかな」


 少し首をかしげながら、私は柔らかく微笑んだ。


「こういう場所って、スカディらしいと思って」

「……確かにな」


 ウリエルも納得したように、小さく頷く。


 私たちは再び歩みを進めた。


 ザクッ、ザクッと雪を踏みしめる足音だけが、静寂の広がる山の中に響いていく。


 しばらく進んだ頃だった。


 私の感覚が、前方にある確かな気配を捉えた。


「……いた」


 足を止め、視線を向ける。


 雪原の向こう。


 白銀の世界に溶け込むように、一人の女性が佇んでいた。


 彼女の周囲だけ、ひときわ冷たく澄んだ風が静かに巡っている。


「スカディ」


 私が声をかけると、女性はゆっくりとこちらへ振り返った。


「……天使か」


 氷のように気高く、美しい佇まい。

 スカディだ。


「久しぶりですね」

「久しぶりだな、ラファエル」


 スカディの透き通るような瞳が、私の隣に立つウリエルへと向けられる。


「そちらは?」

「はじめまして、ウリエルです」


 ウリエルは軽く頭を下げた。


「そうか」


 スカディは私たち二人を静かに見つめ、穏やかな声で問いかけてくる。


「何かあったのか?」

「ううん。今回は様子を見に来たんだ」


 私は安心させるような穏やかな口調で答えた。


「ミカエルから、各地の神々の状況を確認するように言われているから」

「なるほど」


 スカディは小さく頷いた。


「こちらは特に問題ない」

「人間たちとの関係も?」

「ああ」


 彼女の視線が、雪山の下方に広がる遠い麓の土地へと注がれる。


「今のところ、人間と争う理由もない。彼らも私たちを恐れてはいない」

「それなら、良かった」


 それを聞いて、私は心から安心したように笑みをこぼした。


 世界の均衡を守る私たちにとっては、神々と人間が穏やかに共存できていること以上に嬉しい知らせはない。


「何か変わったことがあれば、いつでも知らせて」

「分かった」


 スカディは静かに頷いた。


 舞い散る白い雪が、私たち三人の間をゆっくりと通り抜けていく。


 スカディとの会話を終えた私は、ふと遠い空を見上げた。


 今頃、他の仲間たちはどうしているだろうか。


 それぞれの担当地で、それぞれの神々と向き合う仲間たち。


 離れていても、私たちは同じ目的のもとで繋がっている。


 冷たい雪山に佇みながら、私は遠く離れた仲間たちの旅路に静かに思いを馳せていた。


***


 ギリシャを出発して、私たちは東へ向けて飛び続けていた。


 私――サリエルとラグエル。


 二人の影が、果てしなく広がる青空を背景に、進んでいる。


 視界には険しい山々が連なっていたが、私たちは地上へ降り立つことなく、雲よりも高い空を進んでいた。


「……まだ上なのか?」


 ラグエルが眼下の山並みを見下ろしながら、呟く。


「まだまだ、上だよ」


 私は羽ばたきの速度を保ったまま、ふふっと微笑んで答えた。


「インドラは、かなり高い場所にいるらしいからね」


 私たちが飛ぶ遥か下を、白い雲が流れていく。


 山々の頂きを次々と越え、さらに高度を上げていくと、いつの間にか空気はひやりと冷え、澄み渡っていた。


 地上の喧騒など届かない、静寂の世界へと入っていく。


「ここまで高いとは思わなかったな」

「インドラらしい場所だよね」


 私は空を見上げて笑った。


「雷を扱う神なら、空に近い場所の方が落ち着くのかも」

「そうかもな」


 ラグエルも納得したように肩をすくめる。


 さらに空の奥深くへと進んでいくと、天を突くように佇む、切り立った巨大な山が見えてきた。


 その山頂付近には、まるで生き物のように分厚い黒雲が渦巻いている。


 その奥から――。


 ゴロゴロゴロ……。


 空気を震わせる重厚な雷鳴が響き渡った。


「……あそこだね」


 ラグエルが目を細める。


 私たちは羽ばたきを緩め、その雷雲の前で静かに滑空しながら停止した。


 すると、渦巻く雲が割れ、中から一人の男がゆっくりと姿を現した。


 その巨体の周囲には、激しい青白い雷光がバリバリと音を立てながら火花を散らしている。


 圧倒的な威厳をまとった神――インドラだった。


「天使か」


 インドラは鋭い眼光で、私たち二人を見下ろす。


「何用だ?」

「ミカエルの指示で、参りました」


 私が落ち着いた声で応じる。


「インドラの様子を確認しに来ました」

「なるほど」


 インドラは口元を少しだけ緩め、小さく笑った。


「ミカエルらしいな」


 私は前に出て、穏やかな笑みを向けながら尋ねる。


「こちらでは何か変わったことはありませんか?」

「今のところはない」


 インドラは腕を組み、遥か下方にある大地を見つめた。


「人間たちも穏やかだ。神々も、それぞれの土地で役割を果たしている」

「それなら良かったです」


 私は心からホッとして微笑んだ。


「天使たちが連絡役をしてくれていることには感謝している。神々は世界中に散らばっているからな。直接会うことが難しい者もいる」

「だから私たちがいるんです」

「そうだな」


 インドラはふっと息を吐き、広大な空を見上げた。


「ところで――」


 少しだけ間を置いてから、彼は尋ねてきた。


「ミカエルは、今回一緒じゃないのか?」


 ラグエルが頷く。


「ああ。ミカエルなら、ガブリエル、カマエルと一緒に、日本へ向かったぞ」

「そうか……日本に向かったのか」


 インドラは静かに目を細め、空を見た。


「それならば、きっと大丈夫だろう」


 その言葉に応じるかのように、遠くの雷雲の中で再び雷鳴が響いた。


 スカディのもとへ行ったラファエルたちも、きっと無事に役目を果たしているだろう。


 そして、日本の空を目指したミカエルたちも――。


 世界中に散らばる神々と、それをつなぐ私たち。


 遠く離れた空を見上げながら、私は仲間たちの無事を願い、静かに祈りを捧げていた――。

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