日常
チュンチュン……
雀のさえずりが聞こえる。
顔に、春の柔らかな日差しを感じる。
気持ちのよい朝だ。
「んーーー……」
目を閉じたまま背中を伸ばす。
そのまま寝返りをうつと、おなかに温かいものがぶつかる。
眠いながらそれに手を伸ばすと、温かいふわふわが顔のほうによじ登ってくる。
たまらず、ふわふわに顔を埋める。
なんて良い匂いなんだろう……まるでお天道様の匂いだぁ……
「マ〜〜ロ〜〜〜ちゃ〜〜〜〜!!!かんわいいねぇぇぇぇぇぇ〜〜〜!!!!!!スゥーーーーーーーーッ」
「何度嗅いでも素晴らしい!!!スゥーーーーーーーーッ」
「あーーーーーーーーいいッ(語彙力無し)スゥーーーーーーーーッ」
俺の1日は、世界一可愛いぬこ様、マロを吸うことから始まるのだ。
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俺の名前は吉田太郎。30歳独身、社会人6年目、至って普通のサラリーマン。
生活の主軸はもちろん、愛してやまない我が家のぬこ様、マロが第一である。
マロが喜ぶ高級おやつ『ニャオハーデン 天然サーモン贅沢三昧』を買うために、残業は進んで引き受け、趣味に使うお金も節約している。
朝起きてマロを吸うことから始まり、マロにおなかを踏まれながら眠りにつく、そんな最高の毎日。
こんな自己紹介をすると、俺が火力強めの ”ぬこ教信者” だと勘違いされそうだ。
※ぬこ教とは ”猫は何よりも可愛いという思想のもと、猫を崇拝・愛する人々の総称” である(AI調べ)。
ぬこ以外の動物が嫌いかと問われればそうではない。
ぬこ様を一番可愛いと思っているが、生き物全般が大好きだ。
ゾウ、クマ、ウシ、キリン、パンダ、キツネ、ヤギ、なんでも。爬虫類や虫、植物も好きだ。
ぬこ教なので、同じネコ科のライオンやチーターは他よりも可愛く見えてしまうが。
我が家にはペルシャ猫のマロ以外にも、ネザーランドドワーフのきなこ、ボールパイソンのミヤビがともに暮らしている。
植物も、モンステラ、エバーフレッシュ、アンスリウム……、挙げたらキリがないな。
まあとにかく、小さい動植物園のようになっているということだ。
大学は獣医学を専攻しており、将来は獣医を目指していたのだが……
色々あって、今はマーケティング会社のサラリーマンとして普通に働いている。
「おはようございます、吉田先輩」
今年から俺の下についた後輩、成瀬。1年目にしては仕事が早く、気配りもできる後輩だ。
「おはよう成瀬。来週のプレゼン資料のたたき、作ってきたか?」
「はい、先ほどチャットにお送りしました!かなり自信作です!」
「ありがと、確認する」
チャットに送られたデータを開き、1ページずつ確認する。
ふむふむ。ふむふむ…。
「……うん、構成とアイデアは良いね。デザインは少し直す必要があるけど、ほとんどこのままで問題ないな」
「ありがとうございます」
「……でも。ここも!ここも!ここも文字の変換おかしいよね???!!!!
しかもこの(後手アーン)てなに?!ご提案ってこと?!後ろ手に縛ってアーンって!!エロ同人になっちゃうじゃん!!」
「確かに!!!すみません!!」
「このなんか焦ってる顔 (>人<;) は???!!!」
「それは!!!たぶん(お願い)の変換ミスですね!!!」
「……」
……うん。人には得手不得手があるもんな。
まあいい。このくらいの誤植なら、修正に時間はかからないだろう。
今日は年で一番大切な日!そう!!マロ7歳の誕生日なのだ!!!
サクッと仕事を切り上げて、家に帰るぞー!
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——ピンポンパンポン♪
『まもなく18時をお知らせします。社員の皆さんは————』
定時だというのにまだ終わらなーーーーいーーー!!!
まったく。今日に限って部長がインフルエンザで欠勤とは、運がない。
「お疲れ様です〜」
「お疲れ様で〜す!お先に失礼します」
定時になり、俺以外の部員は皆帰って行った。
華金だし、そりゃみんな帰るよね。
くそ〜。今日はマロのために、超絶かわいい誕生日ケーキを用意してるのに!
確か受け取りは20時までだったかな。
死ぬ気で終わらせてやる!!!
「うおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
——30分後。
無事に全ての仕事を終えた俺は、足早に『パティスリー髭』へ向かう。
『パティスリー髭』は、昔からお世話になっているケーキ屋兼ペットフード専門店。
普通のケーキとペット用ケーキを販売している、珍しい店である。
ここのケーキは、味はもちろん、菓子細工がとんでもなく凄いのだ。
花やリボンだけでなく、レースや水滴など、細かいデザインも息を呑むほど綺麗に再現してくれる。
——20時ギリギリに到着。
重厚な木扉を開けると、カラン、と鈴が鳴る。
「いらっしゃい、待ってたよ!」
ニカっと笑いながら男が出迎える。
2メートル近い身長、シャツが破れそうな分厚い胸板、たっぷりと顎髭を蓄えたこの大男は、この店の店主である。
まさか店頭に並ぶファンシーなケーキを、この男が作っているとは思えない。
「遅くなってすみません、仕事が長引いてしまって」
「いーのいーの、兄ちゃんはウチの常連さんなんだから」
「それよりも早く帰ってやりな、今日はマロちゃんの誕生日だろ。ほい、頼まれてたケーキ」
笑顔のマロを囲うように、宝石と花を散りばめたデザイン。
お揃いのデザインで、自分用とマロ用のケーキを作ってもらった。
砂糖やクリーム、マロ用はゼラチンを使っているのだろうが、本物にしか見えない。
菓子細工のクオリティには、毎回驚かされる。
「いつもありがとうございます。ここのケーキはマロも大好きなので、きっと喜ぶと思います。またお邪魔しますね!」
「はいよ!またいつでもおいで」
代金を支払って店を出ようと木扉を閉めると、
ギィィ……バコン、と、今まで聞いたことのない音がした。
===
それにしても、いつもより遅くなってしまった。
マロもお腹を空かせているだろうな。
「早く帰らなきゃ————あれ」
ふと目をやると、一本先の道路に白い猫が座っている。
月夜に照らされ、そこだけが異空間のように美しい。
猫は微動だにしない。
……こちらを見ている?
まさか、マロ?
いや、そんなはずはない。
家を出る時に施錠したし、そもそもこの道を知っているはずが……
でも、もしもマロだったら?
家と反対方向だが、白い猫の方へ向かう。
マロではないと確認したら、すぐに帰宅しよう。
「ニャーォ」
だが、俺が近づくと猫は遠ざかり、俺が足を止めると猫も止まる。
これでは埒が明かない。
なんなんだ、この猫は。
「ッッオラァァ!」
猫の不意をついてダッシュを決める。
全力疾走したのは何年振りだろうか。
死角のない、広い一本道。
猫に逃げ場はない。
「よし、捕まえt————」
猫の背中に触れようとした瞬間、世界が真っ白になった。
——————。——————。
目を開けると、真っ白な光の中で俺は倒れていた。
もしかして俺、車にはねられたのか……?
この明るさはヘッドライトか……やけに眩しい。
世界がぼんやりと霞んでいく。
遠のいていく意識のなかで、何かが赤く煌めいていた。




