第11章 裁きの朝、皇太子は傷を隠す 第2話
大審議の場――
円形の議場には、すでに重苦しい沈黙が満ちていた。
国教会の高位聖職者。
反皇太子派に連なる貴族たち。
そして、ゼラニア王国の使節団。
誰もが、自分の立場を測りかねている。
やがて、扉が開き皇帝が入場する。
全員が立ち上がり、頭を垂れる。
その背後、一歩下がった位置に――アレクシウスがいた。
軍服姿。
背筋は真っ直ぐ。
顔色も、呼吸も、平静そのもの。
誰一人として、その下に隠された傷に気づく者はいなかった。――ただ一人を除いて。皇帝が、玉座の前に立つ。
「――始めよう」
その一言で、帝国を揺るがした三つの敵に対する裁きが、今まさに、幕を開けようとしていた。
議場には、朝の光が差し込み始めていた。
高窓から射し込む淡い陽は、夜通し続いた審議の疲労を照らし出すように、冷たく、容赦がない。
玉座の前に集められた者たちは、誰一人として声を発さない。貴族、神官、他国の使節――その全員が理解していた。
ここで語られる言葉は、帝国の「結論」だ。
皇帝は、静かに立ち上がった。
手にしていた巻物を閉じる音が、議場に重く響く。
「――夜の混乱について、帝国としての裁定を下す」
その声は淡々としていた。怒りも、激情もない。
それがかえって、場の空気を張り詰めさせる。
「まず、国教会について述べる」
神官たちの肩が、目に見えて強張った。
「信仰は帝国の柱だ。ゆえに、国教会という組織そのものを裁くことはしない」
安堵の気配が、かすかに広がる。
「――だが」
皇帝の一言が、それを断ち切った。
「神を語り、帝国を操ろうとした者は別だ」
名が呼ばれる。
「大司教モレノ。司祭コンラート」
二人は、逃げ場のない視線を受け止めるしかなかった。
「この二名をもって、今回の暴走の全責任者とする。
即刻、聖務停止。
全財産没収。
以後、神の名を語ることを禁ず」
それは死刑ではない。
だが――宗教者としての死だった。
国教会は生き残る。
しかし、その“牙”は完全に抜かれた。
皇帝は、視線を移す。
「次に、反皇太子派」
議場の空気が、さらに重くなる。
「本件において、私兵を動かし、皇権を脅かした行為は明白だ。よって、主導者は皇権侵害として裁く」
若侯爵が、力なく俯いた。
「ただし」
皇帝は、わずかに間を置いた。
「家名は滅ぼさぬ。罪なき者まで巻き込めば、混乱は続く」ざわめきが起こる。
「よって、罪を犯した当主の爵位は剥奪する。領地は帝国直轄とし、家督は、関与の認められぬ次代へ移す」
それは温情ではない。反乱を断絶させるための処罰だった。
「当主は平民として生きよ。家の名を背負う資格は、もはや無い」
若侯爵の肩が、崩れ落ちた。
最後に、皇帝は他国の使節へと向き直る。
「ゼラニア王国について」
場の視線が、一斉に集まる。
「本件について、ゼラニア国王より、此度の一連の事態はレオポルト将軍の独断専行であり、国家としては一切関与していないとの正式な書簡が届いている。
帝国としては、誠に遺憾ではあるが――現時点においては、その見解を受け入れる。レオポルト将軍はこちらで刑に服して頂こう。」
ゼラニア使節は、ほっと息をついた。
「国家としての責は問わぬ。使節団は即刻退去。――だが」
皇帝の視線が、鋭くなる。
「再発防止のため、帝国は国境監視権の拡大、および通商条約の全面見直しを要求する」
拒否権はない。それは、戦争を避けた代償だった。
そして――
「ゼラニア王妹、イザベラ殿下」
議場の空気が、わずかに揺れる。
「今回の件、直接的な命令および武力行使の証拠は確認されていない」
イザベラは、顔を上げた。
「よって、罪には問わぬ」
だが、続く言葉は冷酷だった。
「しかし、帝国は――今後、殿下を正式な外交相手とは認めない」
静寂。
「以後、帝国との交渉は、ゼラニア王、もしくは正規の外務官のみとする」
それは処刑ではない。帝国側での存在の抹消だった。
彼女を罰すれば、ゼラニアは「被害者」を装うだろう。
だからこそ、帝国は罰さない――それは、最も冷酷な排除だった。
議場を出るとき、誰もイザベラに声をかけなかった。
審議の後、皇帝私室でアレクシウスは、静かに立っていた。軍服の下、左脇腹に走る鈍い痛みを、表情には一切出さずに。
――本来なら、立っていられるはずのない傷だ。
それを、父皇帝は見抜いていた。
沈黙を破ったのは、父のほうだった。
「……進言に、迷いがあったな」
責めるでも、試すでもない。
ただ事実を確かめるような、穏やかな声。
アレクシウスは、一瞬だけ言葉を選んだ。
「……皇太子として、取るべき選択だとは分かっていました。しかし――」
言い切れなかった言葉を、父は見逃さない。
「イザベラを、完全に切り捨てられなかったか」
責める声ではなかった。ただ、見抜いたという声音だった。
アレクシウスは、小さく息を吐く。
「……はい。情を挟みました。フリーデとの婚約前、儀礼的に付き合いがあった頃、打算が無かったわけではありません。それを勘違いさせてしまったのなら――少なからず、私にも非があるかと」
皇帝は、ふっと笑った。
「それでいい」
そして、淡々と続ける。
「情を持つのは、今はまだお前の役目だ。帝国が冷酷である必要は、私が皇帝である限り――私が引き受ける」
アレクシウスは、深く頭を下げた。
その動きに、左脇腹が僅かに疼く。
――それでも、倒れることはなかった。




