第10章 帝国史上最大の夜襲 第2話
皇后私室前の廊下。
灯りは抑えられ、静寂が張りつめていた。
エルフリーデはフードを深くかぶり、アレクシウスの後ろで固く息を呑んでいる。
「……本当に、来るのですね」
その小さな声に、アレクは振り返らずに答えた。
「来させるんだよ、フリーデ。――君を狙う者たちを、一箇所に」
その声音は冷たく、しかしどこか彼女を守るための強さを帯びていた。
皇后私室へ通じる南回廊。
最初に現れたのは――若ハインリヒェン侯ルーディガーの私兵部隊だった。
甲冑の金具を抑え、音を立てずに進む百名近い私兵。
その中心で若侯爵が荒い息をついている。
「医療棟へ移送中……この回廊を通るはずだ……!先に押さえれば、皇太子妃は我らのもの……!」
後ろの部下が焦った声を出す。
「しかしルーディガー様、あまりにも――」
「黙れ!皇太子が混乱している今こそ好機なのだ!!」
だが、その言葉とは裏腹に若侯爵の額には冷や汗が浮かんでいた。
(……まさか、本当に策など――)
だが油断していた。
次の瞬間、闇の中から銀の光が走る。
――ギンッ!!
私兵が一人、悲鳴もなく崩れ落ちた。
若侯爵が後ずさる。
「な……何者だ!?」
闇から姿を現したのは――ゲルト率いる近衛十名。
彼らは剣先一つ揺らさず、完璧な盾壁を作り上げた。
「反皇太子派。皇太子妃への接触、ここまでだ」
ゲルトの声は低く、獣の唸りのようだった。
同時刻、反対側の北回廊。
祈りを唱えながら進む数十名の神官部隊――。
彼らは巡礼者の海を率いていた側近たちで、全員が武器を隠し持っていた。
「妃殿下を正しい場所へ……」
「神の器を帝国の檻から解放するのだ……!」
その声は祈りというより、呪詛に近い。
先頭に立つ神官が合図を出した瞬間、聖典の表紙に仕込んでいた短剣が抜かれる。
そして扉へ向かって突進した。
だが次の瞬間――床の石板がカチリと音を立てた。
「……!?」
神官たちの足元が、一斉に沈む。
アレクが数時間前に設置させていた重石落下の罠(古い通路の構造を利用した簡易仕掛け)だ。
天井の梁から、巨石が落ちる。
――ドォォォォンッ!!
神官たちは悲鳴を上げ、崩れた石材に押し潰された。
回廊が揺れた。
後方にいた兵士が震え声で叫ぶ。
「な、何が……!?帝国は我らの動きを読で……!?!」
誰かが呟いた。
「いや……読んでいたのではない。来させたのだ……!」
暗い排水通路でレオポルト将軍は迷いなく進んでいた。
「この奥が皇后私室の裏手。必ず移送ルートの影に出る」
部下が囁く。
「しかし将軍……妙です。罠の気配が――」
「罠が無い方が不自然だ。だが――構わん。今回は保護が最優先だ」
その時、通路の前方にぼんやりと灯りが揺れた。
小柄な影が二つ。
一人はエルフリーデに見える。もう一人は侍女。
どちらもフードを深くかぶり、怯えた様子で立ち止まっていた。
……いた……!
レオポルトの瞳に、わずかな熱が宿った。
「妃殿下…!我らゼラニアが、あなたをお守りする――」
だが、その瞬間。
影の一人が、アレクシウスと同じ声色で呟いた。
「――ようこそ。待っていた」
レオポルトの目が見開く。
「なに……!?」
次の瞬間。灯りが一斉に弾け、通路全体が明るく照らされる。そこにいたのは――
エルフリーデではなく、精巧な影武者。
そしてその背後の通路を、帝国近衛の精鋭が完全包囲していた。アレクシウスの声が通路全体に響く。
「――ゼラニア。君たちは最も慎重に見えたが……ここが、一番単純な罠だったよ」
レオポルトの全身が強張った。
「アレクシウス皇太子殿下…仕組まれていのか……!?」
「全部だ」
アレクの声が鋭く通路を裂く。
「国教会が陽動を仕掛け、反皇太子派が議会で暴れる。
――そしてゼラニア、お前たちだけが 本当の獲物を狙うため、影に動く」
レオポルトは歯を噛みしめた。
「……餌だったか」
「違う。鏡だ」
アレクの声が冷たく落ちる。
「三勢力の本音を映すための、鏡だ」
そして最後に告げた。
「――君たちは、君たち自身の欲で落ちた」
レオポルトは剣に手をかけかけたが――周囲の帝国近衛に阻まれ、静かに手を下ろした。
「……見事だ、皇太子殿下」
三方向。
三勢力。
すべてが――アレクの想定した一点に集められ、封じられた。
影の長が報告する。
「殿下。反皇太子派――侯爵と私兵百名拘束」
「国教会側――神官三十名無力化」
「ゼラニア――レオポルト将軍以下、影部隊捕縛」
アレクは短く頷く。
「……あとは、本丸だ」
エルフリーデがアレクの外套を掴む。
「アレク様……本丸、とは……?」
アレクシウスは彼女を見つめた。瞳の奥は静かに燃えている。
「―この混乱を利用して動かせる最後の者。イザベラだ」
エルフリーデの喉がひりつく。
「彼女は必ず動く。レオポルトが捕まった今、焦って直接仕掛けてくる」
彼は、エルフリーデの震える手を包む。
「フリーデ。ここからが――最終局面だ」
エルは小さく頷いた。
(アレク様……怖い……でも……離れたくない)




