第7章 デルミア遠征 崖崩れと光 第2話
エルフリーデの身体が光に包まれた。
額の紋様が――初めて明確に姿を現し、金色の輝きを帯びる。
「ひ……妃殿下……?」
ゲルトの声は震えていた。
次の瞬間。
風が爆ぜ、大地が息を吹き、光が斜面から溢れた。
崩れた土砂が、まるで逆巻く波のように巻き戻っていく。
斜面の下に押し込められていた岩塊が浮き上がり、砂利が流れ、押し固められていた泥が割れた。
二人の近衛の身体が、光に包まれながら大地の上へ押し上げられた。
土砂の重みに押し潰されていた骨が奇跡的に無事で、呼吸は弱々しくも――確かにあった。
「……生きてる……!?そんな……こんなこと……!」
騎士たちは言葉を失った。まるで神聖書に描かれる地を動かす奇跡。
誰もが震えていた。それは、三百年ぶりの――紋章の覚醒。あれは、神話の話ではなかったのか?お伽話ではなく本当に――。
エルフリーデは、光の中で立っていた。
髪がふわりと舞い、淡金色の瞳は揺らぎ、額の紋様が脈打つ。
人の姿のまま、確かに神の器だった。
「妃殿下……その額……!」
「紋様……!本当に……紋様が……!」
「俺たちは何を見たんだ……エルフリーデ様は神の使いか?」
エルフリーデは何もわからなかった。
胸が苦しく、足が震え、呼吸が追いつかず、
(わたくし……が……?)
――光が砕け、地面が大きく沈む。
その瞬間、ゲルトの胸には別の情景が鮮やかによみがえった。
まだ初冬の冷たい風が残る朝だった。
ディアス侯爵夫妻の急逝を受け、皇家へ保護された二人の子──兄レオナルトと、小さな銀髪の少女。
護衛隊としてその場に控えていたゲルトは、少女をひと目見て、言葉を失った。
幼い身体を震わせ、兄の外套を握りしめ、それでも必死に泣くまいとしていた。
小さな顎を上げ、振り絞るように声を出す。
「……エルは、おりこうにします」
たったそれだけの言葉に、ゲルトは胸のどこかを掴まれた。孤独も、恐怖も、誰にも頼れぬ痛みも、この小さな肩がすべて引き受けようとしている。
(……この子は、きっと折れない)
その健気さに、理由もなく心がざわついた。
だがそのとき、ゲルトはまだ護衛ではなく、皇家直属の騎士団の若い一員にすぎなかった。
そして──数か月後。
皇太子アレクシウスが、少女との婚約を宣言した日。皇城全体がざわつく中、ゲルトは名前を呼ばれた。
「ゲルト。お前がエルフリーデの専属護衛となれ」
皇帝の命だった。
驚きとともに、胸奥に熱いものが灯る。任務としての護衛ではない。これは、運命から託された使命に近かった。
結婚はしていたが、子供には恵まれずに夫婦で諦めた矢先の辞令だった。
迎えに行くと、少女は小さな靴を揃え、両手をぎゅっと握って待っていた。
「……ゲルト……さま?エルを……まもってくださるの……?」
不安でほどけそうな声。それでも、こちらへ手を差し出す勇気だけは失わない。その手を取った瞬間、ゲルトは悟った。
(ああ……私は、この子の盾になる)
安心させる様に笑顔を作り答えた。
「ゲルト、とお呼びください。エルフリーデ様。私が必ずあなたを守ります」
命より重い何かを、あの日確かに受け取った。
光が弾け、世界が割れる。
エルフリーデの身体がふっと力を失った瞬間、
ゲルトの身体は反射より速く動いていた。
「妃殿下──!」
落ちるより早く、抱きとめる。細い肩が腕に沈み、熱が皮膚に焼きつく。こんな熱を、少女がひとりで抱えていたなんて。瞬時に、先日の陛下の言葉を思い出す。
エルフリーデの額に輝く紋様を見て騎士たちがざわついたが、ゲルトは怒声でその声をねじ伏せた。
「今見た事は他言無用!エルフリーデ様の額の紋様に関しても、今起きた事全てにおいて箝口令を敷く!これを破ったものは命が無いと思え!帝国に誓って護るのだ!」
「はっ!」
その場にいた全ての者が、ゲルトに抱きかかえられているエルフリーデの足元に跪き、騎士の礼をとる。
その中心で、燃えるように熱いエルフリーデの体を抱きながら、ゲルトは静かに、深く心に刻んだ。
(泣かせたくない。あの日差し出された小さな手の願いを、私は必ず守り抜く)
震える彼女の指先をそっと包む。
四歳のあの日と同じ──守ってほしいと頼る、小さく温かな手。恐れ多くも、密かに娘がいたらこんな感じなのか、と成長を見守った。
ゲルトは喉奥で言葉にならない誓いを呑み込みながら、
エルフリーデを胸に抱き締めた。
皆が見たこの軌跡の瞬間は後にエルフリーデの最初に起こした軌跡として語り継がれる事となる。
神の器としての力が解放された瞬間でもあった――




