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神の器と嘘つきな皇太子  作者: ゆうきあさひ


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第5章  婚約という檻、守護という嘘  第3話

翌日。夜会を控えた午後。

皇太子妃の私室では、侍女たちが忙しなく準備を進めていた。銀の髪をゆっくりと梳かれる感覚は心地よい。

鏡に映る自分を見て、エルフリーデは小さく息を飲んだ。

……なんだか、わたくし……

昨日より、自分に自信があるように見えた。

悩むのをやめて、心がスッキリして吹っ切れたらこんなにも変わる物なのかしら?

夜会の支度を進めながら、エルフリーデの脳裏には、かつてデビュタント、しかも婚約者として初めてアレクシウスの隣に立つ夜会のドレスを選んだ日が浮かんだ。

当時15歳の自分は、鏡の前で不安そうに揺れていた。

「この色……わたくしには派手すぎな気がするわ……」

するとアレクシウスは、候補のドレスをすべて一瞥した後、その中から迷わず一着を取った。

「これがいい」

「ど、どうしてでしょう……?」

「私の瞳と同じ色だから。―私の色を纏っている君を見たい。それに君の綺麗な銀髪にとても映えるよ。」

その言い方があまりに自然で、胸の奥が熱くなるのを誤魔化せなかった。

その夜のために仕立てられたドレスは、アレクシウスの瞳と同じ深いみどりを基調としていた。

光を受けるたびに色がわずかに揺れ、濃い影のような緑にも、湖面のような淡い翡翠にも見える。

まるでアレクの眼差しが布の中に息づいているようだった。


ウエストは強く締めず、そこから広がるスカートは三層になっており、歩くたびに深緑と薄い翡翠色がゆっくり混ざり合い、足元に淡い光の層が揺れて流れた。

背中は深く開けられてはいない。まだ15歳の少女としての慎みを残し、胸元が少し覗く程度の浅いVライン。

翠の布地に並んだ小さな金のボタンが、控えめに、しかし確かな存在感を放っていた。


全体として華美ではない。だが、気品があり、凛とした美しさを秘め、少女と皇太子妃の境目に立つ者だけが纏える静かな威光を宿していた。

そして、エルフリーデがそのドレスを身に纏って姿を現した瞬間――アレクシウスは息を呑んで固まった。


「困ったな……フリーデ、とても良く似合ってる。私が選んだけれど、私の色を纏ってしまったら……私は君から目を離せないし、誰にも見せたくないな。夜会はキャンセルして2人で部屋に篭もろうか」

その声音は低く、抑えきれない熱を滲ませ、エルフリーデの頬を染め上げた。

横で見ていた侍女たちは目を丸くする。

なぜなら、普段のアレクシウスは他の令嬢に対しては常に冷淡な事を知っているからだった。

「殿下、このドレス、新作の……」

「良い仕立てだ。優れた工房ですね」

「殿下、私はこちらのネックレス稀少なダイヤモンドで」

「立派な品だ。家門のご栄誉だろう。」

あくまで令嬢ではなく装飾のみを褒める。アレクシウスは皇太子として16歳で社交界にお披露目されてから12年、このスタンスは変わらなかった。

しかしその彼が、エルフリーデにだけは言葉も顔も柔らかく、選ぶ指先もなぜか丁寧だった。

――その日、侍女の一人がつぶやいた。

「殿下……好きな方には、こんな顔をされるのね……」


1人顔を染めて思い出に浸っていると侍女長が声をかけられハッと現実に戻る。

「妃殿下、今日は午前中に到着したゼラニアの使節団がご出席ですので……いつも以上にお美しくいてくださいませ」

「そういうものかしら」

「そうでございますよ!エルフリーデ様の美しさを最大限に引き出して見せつけないと!」

侍女達が皆口を揃えて任せて下さい!と拳を握る。そこへ、皇后の侍女がやって来た。

「皇后陛下より伝言です。夜会前に皇后陛下の部屋へ来る様に、と。綺麗に着飾った妃殿下を1番に拝見したいそうです。」

……皇后陛下……

昨日のあの温かさが胸に蘇る。支度を整え、皇后の部屋へ向かった。


皇后の私室に入ると──

「まあ……」

皇后は手を口元に当て、満足そうに目を細めた。

「綺麗よ、エルフリーデ。銀の髪に深い緑のドレス……。アレクの瞳の色ね。あなた、本当に帝国の宝だわ」

「……ありがとうございます、陛下」

「では、最後の仕上げね。このネックレス、これに付け替えなさい」

 そう言うと、後ろに控えていた侍女がスッと箱を出して開けた。

「っ!皇后陛下、これは……いけません。」

「なぜ?このネックレスが今1番似合うのは、貴女を置いて他にいないわ」

「エルフリーデ。今日の貴女は──皇室の光でなければならないの」

マティルダは、箱からネックレスを取り出してエルフリーデの後ろに回る。

「これは、歴代皇后や皇太子妃だけが身につけた至宝。星銀の首飾り。帝国の正統と、皇室の心臓の証」

そう言いながらネックレスを付け替えた。

「でも……わたくしにはまだ……」

「いいえ。貴女だからこそ、ふさわしい。この首飾りが輝くのはね……選ばれた者の胸元だけ」

エルフリーデの銀髪に、星銀石が淡く共鳴する。

「今夜、帝国の中で一番美しいのはあなたよ。どこの国の姫でもない──皇太子妃エルフリーデとして堂々と立ちなさい」 

「ほう……まるで春先の銀花のようだな」

と、その後ろから別の声が。皇帝陛下だった。

 エルフリーデは慌てて礼をしようとするが──

よいよい。堅苦しいのは嫌いだ、と手で制す、

「おや?マティルダ、ようやくそれを譲る気になったのか」

皇帝陛下は慈しむようにエルフリーデの姿を眺めながら、うん、似合っていると頷き、大きな手でエルフリーデの頭をぽんと撫でた。

その仕草は、驚くほど優しい。

「先日の昼餐会、よくやっていたな。さすが、我が国の誇りだ」

「……陛下……」

皇帝は少し照れたように笑った。

「エルフリーデ。……実はな、私は娘が欲しかったのだよ」

皇后が横で眉を上げる。

「あなた、またそんな事を言って」

「いや、アレクもニコも可愛げがなさすぎてな。可愛い娘を甘やかしてみたかったのだ」

エルフリーデは胸が熱くなる。

「……わたくしなどを……」

「お前はなどではない」

皇帝はゆっくり首を振った。

「お前がこの城へ来た時、私は嬉しかった。レオナルトと共に必死に生き延びた、小さな銀髪の女の子。あれからずっと、お前はこの家族の一員だ」

皇后も横でうなずく。

「娘ができて、私たちは本当に幸せよ」

皇帝はさらに言葉を続ける。

「……アレクシウスはな。お前が泣くと、それだけで本気で心を痛める男だ」

「陛下、それは……」

「よいのだ。お前は泣いてもいい。ただ、苦しむ必要はない」

皇帝は、エルフリーデの手を両手で包み込むように握った。

「エルフリーデ。お前がどこの誰の娘であろうと、私はお前を守る。帝国も、お前を守る。それだけは、忘れるな」

エルフリーデは耐えきれず、涙を零した。

「あらあら、せっかく綺麗にお化粧したのに、泣かすなんてダメな父親ね。」

マティルダは微笑み、エルフリーデを抱き寄せる。皇帝は優しく笑って言った。

「……お前が幸せなら、それでいい。アレクが不甲斐なければ、私が叱ってやる」

エルフリーデは胸に温かいものが満ちていくのを感じた。

(……わたくしは、この家族に愛されている)

その事実だけが、揺らぎ続けた心に深く染み込んでいく。

 

……わたくしは、家族なのだわ。

そう思えるだけで、胸が軽くなる。

「娘が欲しいと思ったのは、本当に昔のことなのだが……

お前を初めて抱き上げた日のことを、今でも覚えている」

「陛下……」

「エルフリーデよ。お前がこの帝国の光であることを、どうか忘れるな。何があろうと、私とマティルダは……お前の味方だ」

胸がいっぱいになり、深く頭を下げる。

「ありがとうございます、お義父様、お義母様」

「娘にお父さんと呼ばれるのは良いな。息子たちはむさ苦しくて敵わん」

 帝国の頂点に立つ男とは思えない程、顔が甘くヤニ下がる。

 「本当にね」

皇后が同意して微笑んだ。

「さあ、行きなさい。アレクシウスが待っているわ」

エルフリーデは深く息を吸い、皇后と皇帝に見送られながら、夜会の会場へ向かう。部屋を辞したあとも、エルフリーデの胸には、じんわりとした温もりが残っていた。


ゼラニアの影が忍び寄る、皇城の大舞踏会場──

冬の夜を映すように青い光に照らされ、貴族たちが優雅に集っている。

会場の前のドアでアレクシウスが先に控えていた。

「……っ。エルフリーデ、今日の君はこの世の者とは思えない程美しいな」

 目を細めながら妻の手を取り恭しく指先にキスをした。

「女神の様なこの姿を、先に母上がご覧になったのか。悔しいな。」

「アレク様、褒めすぎです。それにアレク様もいつも凛々しくて素敵ですが、今日は一段と……格好良くって私好みですわ」

「ふっ、星銀石のネックレス、とても似合ってるよ。母上から譲られて、更に自身がついた?だったら美しいフリーデを1番に見た事も、許して差し上げても良いかな。」

「陛下からもお褒めのお言葉をいただきましたわ」

「父上も褒めていたのか。……父上とて男だからね。悔しいが、母上と父上の目は確かだ」

「まぁ、お父様でしてよ?」

「……本当は私が1番に綺麗に着飾ったフリーデを見たかったのに」

「アレク様ったら……ふふ」


アレクシウスとエルフリーデが入場すると、ざわりと空気が揺れた。


「皇太子殿下と妃殿下だ……」

「妃殿下のお姿……星銀石が!」

「まさか皇后陛下が譲られたのか……!」


さざめく声が波紋のように広がり、無数の視線がエルフリーデの胸元──帝国の至宝《星銀石の首飾り》へと吸い寄せられる。

彼女の銀髪と星銀石が照明を受けきらきらと輝いている様は、まさに「帝国の光」と呼ぶにふさわしかった。

アレクシウスは、満足げに微笑んだ。

「……誰よりも美しいよ、フリーデ」

エルフリーデが頬を染め、控えめに礼を返そうとしたその時──

会場前方で、杖を軽く鳴らす音が響いた。


皇帝陛下が一歩進み出ると、会場全体が静まり返った。

「諸君。本日は遠路はるばる、ゼラニア王国より王妹殿下を中心とした使節団を迎えたこと、帝国の皇帝として心より歓迎する。約半年程、我が帝国に留まり主に文化事業、医療、農業の分野に置いて視察しゼラニアに帝国式の新しい風を吹かせたいらしい。皆も協力してやってくれ。」

声は朗々と、しかし底に重い威厳を秘めている。

「大陸の安寧は、互いの理解なくして成り立たぬ。本日の宴が、良き未来への架け橋となることを願う」

次いで、少しだけ柔らかい声になった。

「……そして、我が息子アレクシウスと、その妃エルフリーデ。帝国の誇りであり、未来である二人の健やかな歩みに、諸君の祝福を望む」

会場に温かな拍手が広がった。エルフリーデの胸は、それだけで熱く満ちていく。


「では──始めよう」


皇帝は皇后の手を取り、ゆるやかにフロアの中央へ進んだ。音楽が流れ出す。

皇帝が皇后を導き、皇后がそれに応じるファーストダンスのステップは、年月と絆の深さを映すように優雅で、堂々としていた。貴族たちが息を呑み、誰もがその姿に見惚れる。

「……お義父様とお義母様、本当に素敵……」

エルフリーデが呟くと、アレクシウスは微笑んだ。

「当然だ。この帝国、いやアミュール大陸で最も強い夫婦だからね」


曲が転調し、皇帝夫妻が退いたところで、アレクシウスはエルフリーデの手をとり、指先にそっと口づけてから囁く。

「……行こうか、フリーデ。次は私たちの番だ。帝国で一番美しい女性と踊れて光栄だ」

「アレク様……もう……」

頬を染めつつ、エルフリーデは手を預けた。二人が中央に立つと、星銀石が光を跳ね返し、銀と青白い光が舞踏会場に柔らかく散る。音楽が始まり、アレクシウスの手に導かれ、エルは軽やかに舞う。

一つ一つの動きに、二人の信頼と愛情が滲んでいた。

「……本当に、あなたはずるい方ですわ……」

「ん?何が?」

「こんなふうにして……わたくしを安心させて……」

「安心していいと言っているだろう。君の場所は、俺の隣だ」

会場中が息を呑むような美しいダンスだった。


「星銀石……本物よ。間違いないわ」

「皇后陛下がお子様がまだいらっしゃらないエルフリーデ様にアレをお譲りになったという事は……」

「……事実上、皇室の娘の証ですわ」

「継嗣に関する噂があっても、もう軽々しく言えないわね」

「しかも皇帝陛下の先程の挨拶でもわかるあの溺愛ぶり……皇太子妃殿下の地位は盤石ね」

「元々妃殿下は、お小さい頃から皇家のお気に入りでしたけど、これでもうどなたも、皇太子妃に異論は出せませんわね。」

「本当に。皇帝陛下も皇后陛下も、何があっても妃殿下をお認めになるという事……」

「継嗣の件がどうなろうとも、ですわね」

「ええ。そこは心配いりませんわよ。――第二皇子殿下がいらっしゃるもの」

「確かに。ニコラウス殿下がいずれご成婚なされば、

もし皇太子夫妻にお子がなくとも、次代は自然に定まりますものね」

「つまり……皇太子妃殿下の地位は揺らがない、と」

「ええ。むしろ皇族の娘として扱われておいでだもの。

今さら誰が否を唱えられるのかしら」

──その声を、ひとりがじっと聞いていた。

ゼラニア王妹殿下、イザベラ・フォン・ゼラニア。

燃えるような紅の瞳。

白い軍装を思わせるドレス。

その立ち姿は、単なる姫君ではなかった。

「……あの方が……ゼラニアの戦姫」

貴族たちの間でそんな囁きが走る。


ゼラニアは小国で格下とはいえ、軍の質では帝国の次に並ぶ唯一の存在。

その中でイザベラは、女だてらに若くして一部の近衛師団を率いるという噂の人物。

軍事国家の象徴のような異国の王妹が、 まっすぐにアレクシウスとエルフリーデを観察していた。

 

(……皇帝夫妻の祝福。帝国の至宝のネックレス。

どの国の姫をも凌ぐ皇室の後ろ盾……というわけね)

唇に薄く笑みを浮かべる。


(面白い。奪いがいがある)


2人のダンスが終わると、アレクシウスの視線がイザベラへ向く。

「フリーデ以外と踊りたくないけど、こればかりは仕方ない。すぐに戻るから待っていてね」

 アレクシウスはそう言いながらイザベラの元に向かう。

エルフリーデは笑顔を保ちながらも胸が少し軋んだ。

少しばかりの嫉妬。

アレクシウスは礼儀正しく一礼した。

「王妹殿下。本日は帝国へようこそ」

「光栄だわ、皇太子殿下。お久しぶりですわね。最後にお会いしたのは殿下がご婚約される前だったかしら?ぜひ一曲、ご一緒させていただきたいわ」

曲が流れ、二人はフロアへ。しかし──アレクシウスの表情は、昼餐会と同じ。礼節以外の感情は一切ないイザベラは探るように微笑む。

「噂通り……殿下は奥様以外の女性に興味が薄いのね?」

「外交相手とは礼儀の距離を保つものです」

「皇太子妃殿下とは違う姿を見られるかと思ったのだけれど?」

「妻は外交相手ではありませんので」

その一言は、刃のように冷たかった。イザベラは一瞬だけ沈黙し──すぐににこりと笑う。

「ご婚約前にお会いしていた時には私にお優しかったのに、そんなにも奥様は魅力的ですのね。」

「前回貴女とお会いしたのは、まだほんの子供の頃ですよ。」

(……なるほど。本当に愛しているのね。だからこそ、壊す価値がある)

「貴方の大切な大切な、お姫様にもぜひご挨拶したいわ。この後ご紹介して下さいな」


アレクシウスにエスコートされ、イザベラがフロアから戻ってきた。彼女はひどく満足したように、わざと息を整えながらエルの前に立つ。

紅い瞳が、銀の皇太子妃を上から下まで舐めるように眺めた。

「初めまして、オルデンブルク帝国皇太子妃殿下。──うふふ、あなたの殿方、本当に素晴らしい腕前ね」

エルフリーデは微笑を崩さない。イザベラは、指先で自分の身体をゆっくり撫であげる。意味深に。

「抱かれるみたいに導かれて……思わず、声が漏れそうになったわ」

 周囲がわずかにざわつく。

「……イザベラ殿下、些かこの場にそぐわぬ言動はいかがなものかと」

 アレクシウスが嗜めるも、イザベラはさらにエルフリーデに身を寄せ、囁くように続けた。

「帝国のダンスって……あんなに甘くて気持ちいいものなの?」

エルフリーデの胸が一瞬だけ軋む。だが表情は揺れない。

イザベラは、唇の端を上げた。

「まるで夜の優しい情事みたいだったわ。貴女の旦那様のあの手──とても慣れているのね?」

挑発はあまりに露骨。わざと、エルフリーデの想像を揺るがすように。イザベラはくす、と笑い、わざとらしく肩をすくめる。

「ねえ、皇太子妃殿下。あなた、毎晩あんなふうに抱かれているの?うらやましいわ……本当に」

エルフリーデは、そっと笑った。その笑みは決して揺らがず、むしろ皇太子妃の威厳を帯びていた。

「……まあ。ゼラニアでは形だけの抱擁でも満足されるのですね?」

イザベラの目が細まる。

「アレクシウス殿下のダンスは確かに美しいわ。

 けれど──あれはわたくしに捧げられるものですの」

エルフリーデはまっすぐイザベラを見る。

「殿下はわたくしの夫。あなたがいくら想像を重ねても……実際の夜を知るのは、妻であるわたくしだけですわ」

イザベラの笑みが一瞬だけ硬直した。エルフリーデは微笑んだまま最後の一撃を落とす。

「ご心配なく。殿下の手はわたくしに触れるときが、

 一番優しくて……一番深いのですもの」

イザベラの唇から、ひゅ、と息が漏れた。挑発返しは完勝だった。

 エルフリーデの反撃を受け、イザベラは一瞬だけ紅の瞳を細め──やがて、ふっと肩の力を抜いた。

「……そう。さすが帝国の銀花。言葉でも踊りでも負けないのね」

挑発は完全に斬り返された。しかしイザベラは怒らない。むしろ、楽しげだった。

「今日はこのくらいにしておくわ。初日の夜会で本気を出すほど、私も子供じゃないもの。これから半年、機会はいくらでもあるものね。宜しくね?王子様の大切なお姫様」

軽く会釈をし、エルフリーデに背を向ける。だがその足取りには──引き下がる者の軽さではなく、戦略を組み直す軍人の静かな歩みがあった。


エルフリーデの元を離れたイザベラは、何気ない顔でアレクシウスの近くを通り過ぎる。そのとき、アレクシウスにだけ聞こえる声量で言った。


「殿下。次は──もう少し深い踊りをしましょうね」

アレクシウスは微かに眉をひそめる。イザベラはにっこりと微笑んだ。

「ええ、外交上の話ですわ。もっと、殿下にお伝えしたいことがたくさんあるの。……殿下と 直接」

そう言って、彼女は去った。その背中を、レオナルトと影が同時にぴたりとマークする。アレクシウスは小さくため息をついた。……厄介だな、あれは。

「……フリーデ、気にするな。アレは子供の頃からああゆう物言いだった。そこが嫌で最低限の儀礼的な付き合いしかしていない」

エルフリーデの方へ視線を戻すと、彼女は毅然と立っていた。そしてアレクシウスに向かって笑顔で大丈夫だと答えた。

その姿にアレクシウスの顔はわずかに和らぐ。

──フリーデを守る。何があっても。

 

夜会は輝きの中で進む。その裏で、静かな嵐の胎動が始まっていた。舞踏会の外、薄暗い柱影で──ゼラニア外交官たちが小声で話していた。

「皇太子妃は……もうすぐに帝都を離れるのだな」

「ええ。視察先の領主も、こちらの手配どおり。足止めは十分可能」

「皇太子には、こちらの姫殿下が揺さぶりをかける」

「皇太子妃には、出自と孤独を」

「さて……どちらが先に崩れる?」


会場の奥――

ひときわ目立つ白い軍服を模したドレスの王妹が、甘い笑顔の奥に鋭い刃のような光を宿していた。

皇太子妃を値踏みする目。

皇太子”解剖する目。

……そして、二人の絆のどこに切れ目があるのかを探す狩人の目。


帝城の灯りに照らされ、陰謀の影が揺れた。

そして──

その中心にいるエルフリーデ本人は、まだ何も知らない。

 

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