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神の器と嘘つきな皇太子  作者: ゆうきあさひ


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第4章 ディアス侯爵家の娘として  第3話 選ばれた理由、語られぬ真実

「……あんなに怒った兄さま、初めてだった」

 小さく洩れた溜息に、自分で驚く。最近、こうして何度も息を吐いてしまう。

「エル?」

 扉の向こうから、優しいノックと共にアレクシウスの声がした。エルフリーデは慌てて姿勢を正す。


「どうぞ」


 入ってきたアレクシウスは、今日の軍議を終えたばかりなのだろう。軍服の上着を脱ぎ、シャツの首元だけを少し緩めている。それだけで、普段より少し柔らかく見えた。


「寒くないか?」

「ええ、大丈夫ですわ。暖炉もありますし」


 エルフリーデは微笑もうとするが、どこかぎこちない。

アレクシウスは一瞬だけ彼女を見つめ、すぐに隣に腰を下ろした。

「孤児院での訪問、お疲れさま」

「……ご存知でしたの?」

「お前がどこで誰と会っているか、それぐらいは把握している」

 淡々とした口調。けれど、その言葉の中には「心配している」という意味がぎゅっと詰まっていることを、エルフリーデは知っている。


「あの子たち、今日もとても元気でしたわ。みんな計算がとても速くなっていて。女の子たちのレース編みは、もう私なんて敵わないくらい綺麗で……。今日は一緒にクッキーを作りましたの。」


 話しながら、エルの表情は自然と明るくなっていく。

 アレクシウスはそれを聞きながら、目を細めた。


「お前が行くようになって、あの孤児院の報告書は明らかに変わった」

「……?」

「支出だけじゃない。子どもの字の癖や、得意なことまで詳しく書かれるようになった。あれは、お前が一人ひとり見て、名前を呼ぶからだ」

 エルフリーデは頬を少し染めて俯いた。

「そんな、大したことはしておりませんわ。ただ……名前を呼ばれない寂しさを知っている子どもたちだと思って……」

 言いかけて、自分で口を噤む。アレクはそれ以上踏み込まない。

「……レオと珍しくやり合ったらしいな?」

 静かな問いに、エルフリーデの肩がわずかに動いた。

「ご存じでしたの……さすが、アレク様ですわね」

「レオがさっき、珍しく俺に向かって今日はエルと喧嘩したと自白してきた」

「喧嘩なんて……ただ、ちょっと、不安なことを言ってしまって。レオ兄さまに、ひどく怒られてしまいましたの」

 エルフリーデは指先で膝の上のドレスの皺をなぞる。

「……わたくし、本当にディアス家の娘なのかしら、って」

 アレクは目を閉じ、小さく息を吐いた。やはりそこに行きついたか。


 肖像画に似ていない髪と瞳。

 子どもでも気づく、小さな違和感。

「レオ兄さまは、馬鹿を言うなって……。血のつながりを天秤にかけるような真似は、父上と母上に失礼だって」

「レオらしいな」

「……わかっているのです。わたくしがディアス家の娘であり、今は帝国の皇太子妃であること。それは、陛下もレオ兄さまも、アレク様も、ずっとそう扱ってくださってきた。言葉では、ちゃんと理解しているのですけれど」

 エルフリーデは、ぎゅっと指を握りしめた。

「時々、ふと怖くなるのです。もしわたくしが……どこの誰とも知れない子だったら。ディアス家の娘ではなくて、たまたま拾われた子だったら。アレク様は、それでも私を選んでくださったのかしらって」

 その言葉に、アレクシウスの心臓が一度、大きく脈打った。……それは、半分正しくて、半分違う。

 彼女は知らない。

 自分がアルトリヒトの血であることも。

 十三歳の自分が、その血を理解した上でなお彼女を「欲した」ことも。

 アレクシウスは、軽く息を整えてから口を開いた。

「……簡単な話からしよう」


 エルフリーデが戸惑いながら顔を上げる。

 アレクシウスは、いつもの軍議の時と同じ淡々とした声で続けた。

「血筋だけなら、他にいくらでも手はある」

「……え?」

「仮にだ。お前がディアス侯爵家の娘だろうが、そうでなかろうが──皇家は、必要とあればお前を保護することも、封じることもできる。正妻にしなくても、側室として置くという選択もある。遠い親族として囲うことだってできた」

 エルフリーデの瞳が揺れる。

「……アレク様?」

「それでも俺は、皇太子妃という一番重い席を、お前のために空けた。理由はひとつだ」

 アレクシウスはそこで初めて、ほんの少しだけ笑った。

「俺が、そうしたかったからだ」

 あまりにも、理屈になっていない。

 皇太子らしくない説明。

 けれど、それゆえに、心の奥にすとんと落ちるものだった。

「皇帝に言われたから、周りが望んだから──ではない。俺がエルフリーデを隣に置きたかった。それだけだ。……お前を愛しているから。」

 エルフリーデは、言葉を失う。

「……でも、わたくしは……何も……」

「何も?」

「わたくしは、……帝国の政治のことも、アレク様みたいに分かるわけではないですし……子どもも、まだ、授かれておりませんし……」


 言葉の端が震えた。

 アレクシウスの胸が、きゅっと軋む。

(……お前の不安の根っこは、そこか)

 子ども。

 血筋。

 役に立てていないという恐れ。

 アレクシウスは、頬に手を伸ばしかけて──やめた。

 代わりに、指だけをそっとエルの手に触れさせる。

「フリーデ」

「……はい」

「帝国にとって、皇太子妃の役割はたくさんある。

 血を残すこと。外交の顔であること。宮廷をまとめること。どれも大事だ」

エルフリーデは小さく頷く。

「だが、俺にとって皇太子妃が何であるべきかは、別の話だ」

「……?」

「俺は、お前がいなければ、多分、とっくに壊れていた」

 エルの目が丸くなる。

「小さい頃から、数字と未来ばかり見てきた。戦争の線、穀物の線、人口の線。どこで誰が死ぬか、どこが飢えるか、どこで宗教が爆ぜるか。全部見えてしまうのは、時々、呪いみたいだ」

 エルは、あの書庫の夜を思い出した気がした。たくさんの線と数字を前にしていた、少年の背中。

「そんな中で、お前だけが、背中が寒そうだったと言った。誰も気づかなかったことに、たった一人で気づいた」

 アレクシウスの声が、ほんの少しだけ低くなる。

「だから──俺は、お前が必要なんだ。帝国のためにではなく、俺自身のために。それは、血筋の話とは関係がない。俺がお前を愛しているから。それだけだ。」


 しばらくの沈黙の後。

 エルフリーデは、目元を指で押さえた。

「エルフリーデの答えは?」

「……卑怯ですわ、アレク様」

「そうか?」

「そんなふうに言われたら……私、もう、何も疑えなくなってしまうではありませんか」

 アレクシウスは、小さく笑った。

「疑うのは構わない。ただ、その時は──俺に直接聞け。勝手に一人で結論を出すな」

 エルフリーデは顔を上げる。

「一緒に考えてくれると、お約束できますか?」

「約束しよう」

 本当は。それでも、いつか彼女が揺らぐ日が来ると、アレクは知っている。


ゼラニアも、国教会も、反皇太子派も……必ずエルフリーデの足元を狙ってくる


 だが今は、これでいい。

今この瞬間だけは、彼女に余計な影を見せたくなかった。

「……アレク様」

「なんだ?」

「私も、アレク様が“さみしくなったら”、ちゃんと聞きますわ」

「俺が?」

「ええ。アレク様が、またあの頃みたいに一人で背中を寒くしていたら。その時は、ちゃんと捕まえに行きます」

 アレクシウスは一瞬、言葉を失い──次の瞬間、堪えきれずに笑った。

「……それは心強い」

エルフリーデの額には、まだ何の紋様も浮かんでいない。

ただ、暖炉の火と、彼女自身の熱で、頬がほんのりと赤く染まっているだけだ。

「……明日の公務は?」

「……?明日の午前中は先方がお風邪をお召しになったとかでキャンセルに……」

 アレクシウスはエルフリーデの耳元に顔を寄せ囁いた。

「では今夜は悩みの1つ、子どもの件から解決していこうか、フリーデ?」

「っ!」

 エルフリーデは顔を赤らめながら囁いた。

「………………さっきの答え……」

「ん?」

「わたくしもアレクシウスを愛していますわ」

エルフリーデの顔が更に赤く染まる。

アレクシウスはその答えに満足しながらエルフリーデを寝室までエスコートした。


 ♦︎♦︎♦︎♦︎


 その頃──


 ゼラニア北部軍本営。

 雪に閉ざされた山岳要塞の作戦室では、別の地図が広げられていた。

「……帝都近郊での視察は終えました」

 報告するのは、あの戦靴の主──斥候隊長だ。将軍は深く椅子に座り、報告書を指で叩く。

「兵の質は?」

「精鋭。駐屯兵だけでも我が軍の二倍以上。やはりアミュール大陸最大国家だ。ただし──皇太子妃の護衛は、思ったほど厚くありません」

「ほう?」

 将軍の口元がわずかに歪む。

「近衛騎士と、寡黙な護衛が数名。周囲の警備は堅いが、彼女自身に関しては、意外なほど接しやすい」

「皇太子妃としての自覚はあるのか?」

「子どもたちと笑い、孤児院で一人ひとりの名を呼んでいました。民からは、“帝都の姉”のように慕われています」

 将軍は少しだけ目を細めた。

「……つまり、攫えば民の心も揺さぶれるということだな」

 その言葉に、室内の空気がわずかに凍る。

「国王陛下はどう仰せか?」

「戦はまだ早いとのこと。しかし──『彼女が本当にアルトリヒトの血ならば、その身一つで我が国は大陸に名乗りを上げられる』とも」

 将軍は静かに頷いた。

「ならば、まだ剣は抜かぬ。今は……手を打つ時だ」

「手、でございますか?」

「外交だ。使節団。そして──縁談だよ」

 斥候隊長の顔に、わずかな驚きが走る。

「しかし、すでに皇太子妃殿下が」

「皇太子の心がどこまで彼女だけを見ているのか。それを試す方法はいくらでもある」

「そしてまだ子もいない。どうとでも揺さぶれる。」

 将軍は、帝国方向の地図を指で示した。

地図の上で指が滑り、ある地点で止まる。それは、帝国側が春に予定しているデルミア河川の護岸工事の視察。工事で多数の人が出入りするこの場所は色んな足止めの理由を作りやすい場所だ。

「まずは、公務を利用した足止めを用意する。春にここに視察が入る。そこに皇太子妃が行く事は決定事項だ」

「そしてその間に、別の方向から皇太子に接触する。我が国の姫でも、貴族令嬢でも構わん。アルトリヒトの血に“ 傷がついたと噂されれば、帝国の正統性も揺らぐ」

 斥候隊長は、背筋に冷たいものが走るのを感じた。

「……そこまでして、奪う価値が?」

「あるとも」

 将軍の瞳が、薄く嗤う。

「アルトリヒトの炎を掲げる者こそ、この大陸の頂に立つ。帝国がその火を抱えている限り、我がゼラニアは二番手で終わる。それは──陛下も、我らも、決して許さぬことだ」

 外では、吹雪が要塞の壁を叩いていた。だがその中で、ゼラニアの野心だけは、どこまでも燃え続けていた。


 ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


その夜。

皇太子夫妻の寝室で、エルフリーデは疲れ果てて静かに眠っていた。アレクシウスは少し反省しつつも、その横顔を見つめながら、机の上の報告書に目を通している。

 帝都近郊での斥候足跡。

 ゼラニア北辺軍の補給線の異変。

 国教会の巡礼者の増加。

 全ての線が、ゆっくりと一点へ収束していく。

(……冬が終わる頃、この帝国は大きく揺れる)

 アレクシウスは視線をエルフリーデへ戻した。

 銀の髪。

 穏やかな寝息。

 まだ眠ったままの紋様。

「……絶対に、渡すものか」

 誰にも聞こえないほど小さな声で、彼は呟いた。

 ゼラニアにも。

 国教会にも。

 反皇太子派にも。

大陸のどこにいようと、彼女だけは、絶対に自分の手の届くところに置く。

 それがどれほど危うい執着であろうとも。たとえ、いつか自分自身を追い詰めることになったとしても。

アレクシウスは、自分の選んだ道から目を逸らすつもりはなかった。


 ――その時、まだ誰も知らなかった。

ゼラニアが仕掛ける罠がきっかけでエルフリーデの心と、皇太子夫妻の絆を揺らすほどのものになることを。

 そして、その揺らぎこそが、この大陸の歴史を大きく書き換える火種になることを──。


♦︎♦︎♦︎♦︎

皇城・西翼塔──

皇城の石壁には解け残った雪と、柔らかな風に揺れる若草の気配が同時にまとわりついていた。塔の上階にある秘密会議室には、重い空気が張り詰めていた。

分厚い扉には、皇家の紋章──双頭の煌鷲。

その奥に集まっているのは、帝国の心臓部を担う者だけ。

円卓には皇帝陛下、皇后、皇太子アレクシウス、第2皇子ニコラウス、近衛騎士団長レオナルト、エルフリーデ専属近衛ゲルト、影の統括官、帝国軍総大将、軍務大臣、外務卿、そしてアレクの執事フィンツ。

国家の最深層が勢揃いしていた。

皇帝がゆっくりと立ち、円卓を見回す。

「……皆の者、集まってくれて感謝する。本日ここに集めたのは一つ──ゼラニア王国が静かに牙を研ぎ始めた、という確かな報告があったからだ」

ざわ、と席がわずかに揺れた。軍務大臣がすぐに巻物を広げる。

「最近、帝国北方国境付近で、ゼラニア軍の偵察行動が増えております。軍旗も掲げず、痕跡も消した状態で……これは平時の動きではございません」

皇帝は深く頷き、

「イザベラ・フォン・ゼラニア王妹。この女がこの時期、帝国に使節団と称し来訪するのも無関係ではあるまい」

その名が出た瞬間、アレクシウスの青い瞳が細められた。

横でニコラウスが息を呑む。

「兄上……彼女はそんなに危険なのですか?」

フィンツが静かに答えた。

「ニコラウス殿下、イザベラ殿下は鋼の王妹と呼ばれております。ゼラニアでは軍の半分が彼女の影響を受けております」

皇后が苦く笑った。

「若いのに、随分と恐ろしいわね、その娘は」

レオナルトが前に出た。

「──問題は、奴らが何を狙っているかだ」

皇帝はそこでようやく本題に踏み込んだ。

重い、重い沈黙が落ちる。

そして。

「……アルトリヒトの名が、再び世界を揺らし始めた」

その一言に、空気が凍る。

ニコラウスもフィンツも、息をするのを忘れたように固まった。

アレクシウスは静かに言った。

「父上。……どこまで話すおつもりですか?」

皇帝は目を閉じ、皇帝というより2人の友を失った男の表情を一瞬だけ見せた。

「……ゼラニアと国教会会の動きがこれだけ激しくなればここにいる者には周知すべきだと思ってな。さて、ここにいる者は皆、今から話す事を墓場まで秘密を持っていく覚悟があるかな。……そして覚悟せよ。ここで聞くことは、決して外に漏らすな」

暗部の者たちが一斉に頭を垂れた。

皇帝は続ける。

「19年前──故ディアス侯爵がアルトリヒト自治領へ向かった本当の理由は、アルトリヒト領主フリードリヒからの密書を受け取ったからだ」

レオナルトの拳が震えた。

「……あの時の……?」

「そうだ、レオナルト。フリードリヒは、アルトリヒト自治領の最後の領主であり、ディアス侯爵……つまりお前の父、ヴィルヘルムとわしとは学友同士。その彼から私に手紙が届いた──そこには、こうあった」

皇帝は言葉を区切る。

「我が子に、三百年ぶりの紋様が出た。世界が揺らぐ前に、この子を守り逃がす。……頼る相手は君しかいない」

静寂が震えるほどに深くなった。

フィンツが喉を鳴らした。

「……三百年ぶり……紋様……まさか──」

皇帝は頷いた。

「アルトリヒト自治領は本来、どの国にも属さぬ聖地だ。かつてこのアミュール大陸全てを統治した神聖国家。その王家の末裔、アルトリヒト家。彼の地には未だ多くの国教会信徒が訪れる神殿の旧遺跡が残る。本来は外部は手出し不可──不可侵条約の下にある。」

「だからフリードリヒは公には出来ず、秘密裏に私に助けを求めてきたのだ。しかし人の口に戸は立てられぬ。どこら漏れたのか、フリードリヒとリディアの間に産まれた赤子の額に、紋様がある事を嗅ぎつけられ、狙われた」

「……その紋様がある子が産まれるとどうなるのです?先程父上は300年ぶりと仰った。その、300年前は?」

 ニコラウスが疑問を口にする。すると影の代表がスッと進み出た。

「それまでにも紋様を持つ者は、奇跡を起こす皇女であったり、全知全能の力を持った皇子であったり、何か特別な力を持ち、何故か全てアルトリヒト王朝王家の直系に産まれていた。そして300年前──王朝で内乱が起こり大陸戦争にまで発展しアルトリヒト王朝は瓦解した。そして我がオルデンブルグ帝国が他の国々を抑えアミュール大陸の殆どを制覇した。前回の紋様を持った者はその戦争終わらせた調停者です。」

「そして、当時その調停者と大陸の新たな覇者である我が帝国皇帝が取引をした。」

「アルトリヒト王家の血を、二度と政治に使わないこと。紋様持ちの血統を、王位継承にも軍事にも利用しない。ただ静かに生かし、自治領として独立も滅亡もさせずに管理する──それが調停者の願いでした」

「見返りに帝国は、大陸の覇権を正式に認められた。

 歴史上、最後の神に選ばれた器からの承認です」

皇帝アルブレヒトはこの場にいる全員の目を見ながら続ける。

「こうしてアルトリヒト王家の直系は、自治領の名目で

 帝国の庇護下に置かれた。表向きは自由。実際は……監視と封印。そして300年、まるで眠りにつく様に紋様を待つものは産まれなかった。」

文官が恐る恐る問う。

「……もし、再び紋様を持つ者が現れたと全世界に知られれば?」

影は淡々と答えた。

「大陸の覇権が揺らぐな。アルトリヒト神聖王国は今は既にない。アルトリヒト家が、自治領主としてひっそり生き延びていたが、そのアルトリヒト領主も既にいない。現在はこのオルデンブルク帝国が、アミュール大陸の殆どを納めているが、その紋様を持つ者を手の内に引き込めば、それぞれが自国の正当性を主張してくる。ゼラニアは軍事の正当性を主張でき、国教会は聖女として神格化する。どの属国も争奪に動く。」

「つまり──」

アレクシウスが続けた。

「エルフリーデが存在するだけで、争乱の火種になる。」

「それであの日、父上が一個小隊のみを連れて密かに出立したのですね?」

「そうだ。だが結局、ヴィルヘルムは間に合わず、フリードリヒは領主城と共に焼け落ち、リゼットは赤子を連れ逃げおおせたものの途中刺客に──あの日ヴィルヘルムが連れ帰った赤子は、途中倒れたリゼットに護られる様に眠っていた所を保護したそうだ。」

「では父が自らエルフリーデを侯爵家で、と申し出たのですか?」

「……そうだ。私は皇城で保護し育てる事も考えたのだが……」

「……父は母を思ったのでしょうね、俺の妹を、アンゲリカを死産で失った直後の話だ。」

「私もあの時父上に進言したんだ。」

 アレクシウスが静かに言う。

「あの時、ディアス侯爵の第二子が死産だった事は、直後という事もあり殆ど知られておらず、敵から隠すにはレオの妹とするのが良いとね。」

ニコラウスが椅子を蹴りそうな勢いで身を乗り出す。

「ちょっと待って!その数年後、ディアス侯爵夫妻は、父上達の代理公務の帰りに、何者かに襲撃されて亡くなったよね?本当ならアルトリヒトの生き残りを保護すべき、 僕ら皇家が盾にならなければいけなかったのに。侯爵夫妻は……」

「……いいんだニコ。」

レオナルトは目を閉じて静かに答えた。

「俺ら家族は、あの日エルフリーデが来てくれた事がすごく嬉しかった。本当の妹が死んで侯爵邸は出口のない闇に包まれてた。そこに突如現れた光だったんだ。代わりなんかじゃなく、確かに俺たちは家族だった。それに両親はエルフリーデを育てると決めた時から、覚悟はしてたと思うよ。だからニコが申し訳なく思う必要はない」

「……でも!」

「ニコ、声を落とせ。それに……フリーデは何も知らない。そして俺は、その方が良いと思っている」

皇后マティルダが息子をじっと見つめた。

「あなた、まだ言うつもりはないの?」

「はい。……言えば彼女は追い詰められる。出自と紋様と世界の均衡。どれも、背負うには重すぎる」

「……いずれは全てを話すべきだが、それは今じゃ無い」

皇帝アルブレヒトも沈痛な面持ちで言った。

「フリードリヒとヴィルヘルムからあの子を託された日から私はこの秘密を墓場まで持っていくと決めた。エルフリーデの人生を血筋に支配させたくはない」

部屋の誰もが頷いた。

そして──影の統括官が口を開く。

「……しかし陛下。敵は動いております。ゼラニアの来訪は偶然ではなく、恐らく国教会の強硬派も裏でゼラニアと結託し始めております」

皇帝の眼光が鋭くなる。

「……奴らがもう匂いを嗅ぎつけたというのか」

影が静かに頷いた。

「アルトリヒト最後の生き残りが皇太子妃となったと知れば──野心ある者は必ず動きます。世界の均衡が変わるからです」

皇帝は唇を固く結び、アレクシウスを見た。

「アレク。──エルフリーデのデルミア地方への視察は、本当に予定どおり単独で行かせてもよいのか?」

アレクシウスは、一瞬だけ迷った。

ほんの、紙一枚ほどの迷い。

彼にしては珍しいことだった。

「……必要です。デルミア護岸工事に伴う孤児院や救護院視察は、帝国の民へのアピールには外せない。ここでエルフリーデが帝国民の信頼をさらに得ることは将来的にも重要です」

横で控えていたフィンツが眉を寄せた。

「ですが殿下……妃殿下は視察で人混みに入るのです。

 万が一……」

アレクシウスの拳がわずかに震えた。息を吸い込み、改めて全員を見る。

「──フリーデは、大丈夫です。私が必ず守る。そして帝国が守ります。それに……彼女は今皇妃としての自信を付けている。今は外せない。」

皇后が目を細め、皇帝が微かに微笑んだ。そして会議の最後に、皇帝が宣告する。

「──この件、墓場まで持っていけ。エルフリーデ本人には決して知らせるな。世界が混乱する」

 

 

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