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53歳 一人暮らしオジさんの マジメな独り言  作者: 合高なな央


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7/7

拡声器付きの動物園と、静かな9割



「インターネットは巨大な拡声器付きの動物園だ」と先輩は言った。

 手元のフライドポテトには手を付けず、ストローの先を弄びながら。


 深夜二時、ファミレスの店内は妙に静かで、遠くの席で店員がカトラリーを片付ける「カチャカチャ」という音だけが響いていた。



「動物園、ですか」と僕は聞き返す。

 さっきまでスマホの画面を見ながら「世の中、怒ってる人ばかりで嫌になりますよ。もう疲れます」と愚痴をこぼしていたところだった。


「ああ。考えてみろ。檻の中で奇声を上げたり、ガラスを叩いて暴れてる動物は、実は全体のほんの1部だ。1割にも満たない。

 だが、そいつらはデカい拡声器を持ってるから、入園者の耳にはその声だけが響くんだ。

 『この動物園はなんてうるさいんだ、なんて荒れてるんだ』と客は思う。

 でも実際は、ほとんどの9割の動物は、奥の日陰で寝そべってるか、黙々と草を食べてる。静かなもんだ」

 先輩の比喩はいつも少しずれている気がするけれど、言いたいことは分かった。


 そして、先輩はテーブルの上のグラスを指差した。

「1対9対90の法則、っていうのがあるらしい」

 先輩はポテトを1本摘まんだ。


「ネットの世界の話だ。実際に声を上げるやつが1パーセント。

 それに『いいね』とか言って燃料を投下する野次馬が9パーセント。

 残りの90パーセントは、ただ見てるだけ。ROM専ってやつだ」


「たったの1パーセントですか」僕は驚きでポテトを食べるのを忘れた。


「そう。お前がスマホで見て『みんなが怒ってる』と感じているその『みんな』は、クラスで言えば40人中の1人か二人。そいつらが、巨大なスピーカーを持って校庭の真ん中で1日中叫んでる。

 残りの38人は、教室で弁当食ったり、早弁したり、居眠りしてる」


「早弁と居眠りは同じようなものですけどね」

「細かいことはいいんだよ」先輩は笑った。


「問題は、動物園の『警備員』もグルだということだ。

 警備員、つまりSNSのアルゴリズムは、静かなカピバラの寝息じゃ儲からない。

 怒鳴り声や喧嘩、熱狂的な愛憎、つまり『強い感情』こそが客を惹きつけると知ってるから、1パーセントの声を増幅させて、お前の耳元に直接届けるんだ」


「アルゴリズムが、わざと僕らを怒らせてる?」


「そういうことだ。だから、ネットの『世論』なんてのは、濃縮還元されたジュースみたいなもんだ。果汁百パーセントに見えるが、実際には、とんでもなく強い感情を持った少数の人間が、煮詰められて詰め込まれてる。

 その原料は怒りだけじゃない。

 『断罪したい』っていう欲望とか、『自分が正しいと証明したい』っていう自己満足とか、そういうドロドロした感情も入ってる」


 僕は窓の外を見た。

 国道を走るトラックのヘッドライトが流れていく。

 誰も怒って走っているようには見えない。


「でも現実じゃ、ネットであれほど叩かれてたコンビニの新商品は売り切れてたし、酷評されてた映画館は満員だった。

 選挙の結果だって、タイムラインの予想とは全然違いましたよ。

 あれは、静かな90パーセントが動いたってことですか」


「大正解だ。それがその90パーセントの『静かな多数派』の仕業だよ」

 先輩は断言する。

「彼らはネットで『正しさ』や『イデオロギー』を議論するよりも、明日の朝ごはんのパンが美味いかどうかとか、週末に誰と遊ぶかの方を大事にしてる。ネットで炎上してる店でも、自分にとって便利なら使うし、面白そうなら見る。

 彼らは冷めてるわけじゃない。ただ、拡声器を持ってないだけだ」


「そして、賢い」


「ああ、賢いんだよ。

 『変な絡まれ方をするのは面倒だ』とか『自分の言葉が誰かを傷つけて、それが回り回って自分に返ってくるかもしれない』っていうリスクを肌で感じて、あえて沈黙を選んでる。

 彼らは知ってるんだ。世の中には『白黒はっきりしないグレーゾーン』が圧倒的に多いってことを。

 1パーセントの叫び声は、全てを白か黒かに分けようとするけど、

 90パーセントは『まあ、どちらにも良いところはあるし、完璧じゃなくても困らない』って、曖昧なグレーゾーンを許容してるんだ」


 先輩はストローで氷をかき混ぜながら、付け加えた。

「ネットの声は、理想や正義を語る。『こうあるべきだ』ってな。

 でも、現実の人々は、習慣と利便性を大切にする。『これで十分だ』ってな。

 この『べき論』と『で十分論』のズレが、あの動物園の檻と、外の世界の境界線なんだ」先輩はそう言って、冷めたポテトを口に放り込んだ。


「だから、もしお前がスマホを見て疲れたら、こう思えばいい。

 『これはクラスの1人が騒いでるだけだ』ってな。

 あるいは、動物園の奥で昼寝してるカピバラのことを想像しろ。

 世界の大半は、そっち側で、平和なグレーゾーンの中で回ってるんだ」


「カピバラですか」


「悪くないだろ。平和で。拡声器なんか無くても、世界は静かに動いてるってことだ」伝票を掴んで立ち上がった先輩の背中は、ネットのタイムラインで見るどんな勇ましい言葉よりも、なんだか頼もしく見えた。


 僕は慌てて水を飲み干し、その背中を追った。

 

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