人生は短い、だから無駄な会話はミュートしよう
人生っていうのは、思っているよりもずっと短いらしい。だから、僕らが持っている時間やエネルギーを、どこで使うかってのは、すごく大事な選択なんだ。
誰かと話す、議論するってのは、本来、お互いの頭の中の引き出しを開けて、新しいものを見つけ出す、楽しい作業であるはずだ。でも、世の中には、「議論の泥棒」みたいな奴らがいる。そいつらは、僕らの時間とエネルギーを盗んでいくだけで、何も残さない。
議論泥棒の共通点
議論泥棒には、いくつか共通した奇妙なクセがある。
勝ち負けに固執するギャンブラー
彼らの目的は、良い結論を見つけることじゃない。「論破」っていう名の札束を積み上げることだけが目的だ。まるで、自分の意見を絶対的な真実の塊だと信じていて、新しい風を通す隙間がまったくない。議論を、自分の考えを良くするアトリエじゃなくて、相手をぶん殴るリングだと勘違いしているんだ。
すぐに爆発する地雷
冷静な指摘をされると、彼らはそれを「人格攻撃だ!」と叫んで、すぐに感情的な爆発を起こす。話はすぐに論理を離れて、感情のぶつけ合いという、ただただうるさい騒音に変わってしまう。
聞く耳を持たないノイズ
話の前提や目的が、まるで共有できていない。「リンゴの話をしているのに、急にバナナの話をし始める」って感じだ。しかも、データとか事実じゃなく、「何となく俺はそう思う」という思い込みだけを根拠に、延々と話を進めようとする。
こんな奴らと議論を続けるのは、砂漠の真ん中で、砂を積み上げて家を建てようとするのと同じくらい、無駄な行為だ。いくら積み上げても、風が吹けばすべて元の平坦な砂地に戻ってしまう。
SNSという名の逃げ場
特にSNSってやつは、議論泥棒を大量生産しやすい場所なんだ。なぜなら、誰もがお面(匿名性)をつけているから、平気で人格を攻撃したり、感情を煽ったりできる。
僕らの心の平和を乱す人、建設的なものが一つも生まれない相手とは、物理的に距離を取るのが、最も賢い対処法だ。
僕らの手には、幸いなことに「ミュート」という便利な道具がある。これは、相手に気づかれないまま、その人の発言を自分の視界から消すことができる、透明な防弾ガラスみたいなものだ。そして、もし泥棒がしつこくドアを叩いてきたら、最終手段として「ブロック」という名の永久閉鎖ボタンを押せばいい。
「これは自分にとって生産的じゃない」と感じた時点で、無理せず「見ない自由」を行使すること。これが、この騒がしい世界で静かに生きるための、最高のサバイバル術だ。
さりげなくリングを降りるための魔法の言葉
もし、どうしても返信しなければならない状況になったら、戦うふりをせずに、淡々と試合を終わらせるための魔法の言葉を使おう。
「ご意見ありがとうございます。一旦この話はここで区切りとさせていただきます。」
(相手の攻撃的な言葉は聞かなかったことにして、事務的に扉を閉める合図だ。)
「なるほど、そういう考え方もあるのですね。参考にさせていただきます。」
(形式的に相手の主張を受け止めて、「もう話は終わりだ」という暗黙の了解を作り出す。)
絶対にしてはいけないのは、反論したり、相手の感情に触れたりすることだ。それは、相手に「よし、戦いの続きだ!」と、ナイフを渡すようなものだから。
最も大切なのは、返信の回数を一本の短いセリフに抑え、その後は沈黙すること。そして、そっとミュートやブロックで物理的にシャットアウトする。これこそが、議論泥棒に時間やエネルギーを盗まれることなく、僕らの大切な人生の時間を守り抜くための、最も優雅で、最も賢い立ち去り方なんだ。




