意見という名の、修正可能な「地図」を持つことについて
目の前には、情報という名の波が、毎日休みなく押し寄せてくる。テレビもネットもSNSも、それぞれが「これが正しい」「こうあるべきだ」という、数えきれないほどの旗を立てている。まるで、巨大なショッピングモールの賑わいだ。
そんな騒がしさの中で、僕らが溺れず、どこか遠い目的地に向かって歩き続けるために必要なのが、「自分の意見」という、手書きで修正可能な「地図」だ。単なる知識の羅列じゃない。それは、誰かに連れて行かれるのではなく、自分で自分のハンドルを握るための、かけがえのない力だ。
なぜ地図を持つのか?単純だ。誰にも人生を任せたくないから。
自分の頭で考え、「こっちの道がいい」と決める行為は、他人の声に振り回されない精神的な自立の第一歩だ。その決断がたとえ小さくても、「よし、これで進むぞ」という、じんわりとした自信(自己肯定感)に変わる。そして、その地図を描き足していくうちに、「ああ、僕が本当に大事にしたいのは、この駅じゃなくて、あそこにある灯台なんだな」と、自分の価値観がはっきり見えてくる。
この地図さえあれば、進路や大きな選択、投票といった人生のジャンクションで、立ち尽くすことはない。誰かの後ろをただついていく必要はないのだ。
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影の側面:地図を「石碑」にしてしまう危険性
だが、この大切な「地図」を、あまりにも硬く握りしめすぎると、それが「石碑」のように動かない、危険な存在に変わってしまう。これが、意見を強く持ちすぎることの、ちょっと厄介な弊害だ。
一度「僕の地図が一番完璧だ」と思い込むと、その地図に描かれていない新しい道や、別の地図の情報を無意識に遮断し始める。「柔軟性の喪失」だ。頭がまるでコンクリートみたいに硬くなってしまい、人からの指摘を素直に受け入れられない。これでは、成長は止まる。まるで、最新情報にアップデートされない古いカーナビだ。
特に、SNSという、世界中の声が飛び交う広場で、自分の地図を押し通しすぎるとどうなるか。異なる地図を持つ人との間で、不必要な摩擦を生み出す。建設的な話し合いになるはずが、ただの対立や分断にしかならない。自分の意見を言うのに夢中で、相手の地図を覗こうとしない姿勢は、一方通行のコミュニケーションという、つまらない結末を迎える。
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SNSという交差点での「地図の扱い方」
SNSは、自分の地図を広げて仲間と出会う意義深い広場だが、真の価値は、自分の地図を発信しつつも、「他の人はなぜ、そんな不思議な場所に道を引いたのだろう?」という探求心を持って、相手と向き合うことにある。
僕の地図の道筋(A)と、相手の道筋(B)を交換し合う。すると、予想もしなかったCという新しい近道が、パッと視野の中に現れる。これが、物事を多角的に捉えるという、あの弁証法的な素晴らしい感覚だ。
結論はシンプルだ。意見を持つことは良い。だが、その意見を「固定された真実」にしてはいけない。
僕らが持つべきは、「いつでも自分の意見は間違っているかもしれない」という、謙虚な注釈と鉛筆書きの修正線が引かれた地図だ。自分の地図をしっかり持ちつつも、他者の地図から学び、常にアップデートしていくこと。それこそが、情報過多のこの世界を、少しでも楽しく、賢く生き抜くための、最も大切なコミュニケーション能力だと言えるだろう。




