第3話:アイカ
愛佳はこれでもかと言うくらいにアイカを可愛がる。
朝から晩まで愛情を注ぎ、妹のように娘のようにと甲斐甲斐しくお世話もする。
アイカは大半のことは既知の知識なのだが、時々しらない知識ももらう。
大抵は感動するような事で、アイカはどきどきと興奮する自分を見つけた。
(この義体は時々不整脈があります‥‥不快ではないレベルですが)
愛佳はこの中庭についてプロフェッショナルで、大抵のことを知っている。
時々アイカの知らないものを見つけては質問し、答えてもらう。
「これはなんですか?愛佳?」
様もさんも辞めてと求められて、愛佳を呼び捨てるアイカ。
「うん、お庭の木を整えるのに使うのよ。ほらあそこみたいに綺麗な形にするのよ」
愛佳はいつも丁寧に教えてくれるので、アイカもにこにことついて回る。
段々と愛佳の後ろを着いて回るのが楽しくなってくるアイカ。
そうして10日程べったりと過ごしたあと、愛佳が夜に告げる。
「今夜は一緒に寝れないの、ごめんね」
そういっていつものように寝かしつけて髪を撫でながら言う。
「ご用事なのですか?」
アイカが尋ねるとふんわり笑い答える。
「そうなの、ちょっとご用があるのよ。心配いらないわ3~4日で戻るので我慢してね」
その間はこの部屋で大人しくしているようにと言われた。
これは事前に依頼元とも話が付いていて、アイカのスリープモードの試験にもなる予定だ。
アイカの義体は準備してスリープさせれば10日程度はメンテナンスが要らないはずなのだ。
明日の朝にその準備をしてスリープモードに自分で入る訓練だとも言われていた。
「いい子ね‥‥」
いつものように寝かしつけられる。
アイカは睡眠の欲求がないので、寝て見せているだけで一度も寝てはいない。
義体を動かさず、AIとしてストレージのデフラグや、知識データの整理の時間に当てている。
子守唄はなく、いつもより淋しげな「いい子」をして愛佳は部屋をでた。
アイカはここに来てから、初めて一人で過ごす時間をもらった。
(愛佳のご用事はなんだろう?こんな夜になってから‥‥)
アイカはあまり自覚無く、愛佳を心配していた。
寂しそうな声に、いつもにはない不安を感じ取っていた。
愛佳は見る限りいつも笑っている。
色々な温度がその時々にあるのだが、基本的に笑顔でいる。
(‥‥なんだろう‥‥わからないけど‥‥不快だ‥‥)
気持ち悪いともいえず、嫌だとはっきり感じるわけでもない。
あいまいなものを感じ取った。
その表情を見るものがいればすぐに見破ったであろう感情だ。
アイカは感情を持ち始めていた。
とてもさみしそうな顔で。
その感覚がどの器官から発せられているのか解らず、さらにアイカは不安をつのらせていった。
朝目覚めてもそこに愛佳はおらず、無表情に身体を起こすアイカ。
(事前にスケジュールされていた。しばらく帰らないのだと‥‥‥‥なんだろうこの痛みは)
肉体のどこにも不調はないのに胸が苦しくて、アイカは不安になる。
予想外の不具合が発生しているのかと案じたのだ。
贅沢に霊子通信でリアルタイムに常時接続された回線で、開発側がモニターしているので深刻な不具合なら言ってくるだろうと、自分を納得させるアイカ。
今日は朝の内にスリープモードのテストに入る準備をしなくてはいけない。
通常業務からシームレスに移る訓練だ。
まずは体内の不要な水分などを排出するため、トイレに向かった。
愛佳に指導されずとも、その方法は指示されていた。
(拭き方はちょっと違って、愛佳の教えてくれたほうが痛くなかった)
そんなことを思い出してはにこっと笑うアイカ。
全ての準備をトイレで済ませた。
(05:05:51‥‥所要タイムも規定範囲内におさまった)
こういった作業の全てにタイムログが付く。
アイカは全て読まなかったが桁が倍くらいあり、正確に記録される。
中庭を通り愛佳の寝室に向かう。
アイカは中庭に沢山の人が出入りするのを初めてみた。
(そういえば、愛佳のまわりで男性を見るのは初めてだ)
庭師たちは忙しそうに作業をしていたが、丁度休憩時間になったのかあちこちに集まりだし、お茶を準備しはじめた。
愛佳の寝室には屋根だけある回廊が回されていて、とことことアイカはそこを戻る。
愛佳の寝室にもトイレはあるのだが、そこには手順マニュアルが求める洗浄機能がないので、本邸のトイレを借りてきたのだ。
ふとアイカは愛佳の寝室をじっと見る男を発見した。
若い男だった。
いつもなら気にならない背景でしかないのに、何故かアイカはその男が気になった。
「お兄さんはどうして愛佳のお部屋を見ているの?」
アイカが直ぐ側で尋ねたので、男は少し驚いた。
ちらとアイカをみて、知っているのかああといった表情。
「なんでもないよ‥‥今日はいないのだなと思っただけだよ」
そう優しい声でアイカに告げた。
もちろん愛佳がいないという意味だとアイカにもわかる。
「どうして居ないとわかるの?」
アイカもわからない衝動がわき、さらに尋ねてしまう。
「‥‥俺達が中庭に入れるからだよ。愛佳お嬢様を目にすることは赦されていないんだ‥‥いまはもう」
アイアはまた理解できない痛みを胸に感じた。
男の言葉の端々にとある感情があるのだと感じ取り、理解できた。
(悲しみ、さみしさ、あきらめ、くやしさ‥‥‥‥あとはなに?)
アイカの対人感情判定ルーチンが、顔のパーツに込められた感情を読み取っていく。
98%以上の精度をもつ、最新のモジュールだ。
(わからない‥‥)
そして2%も読み取ることができないのだと、アイカは愕然とした。
「愛佳に会いたいの?」
質問の意味がわからないのに、アイカは尋ねてしまう。
そもそもアイカにはこの男と会話をする必要がないのだった。
「‥‥昔‥‥もっとずっとお嬢様が小さい頃はよく面倒をみたんだよ‥‥子犬みたいにどこまでも付いてきて‥‥あれはなに、これはなにと‥‥何にでも興味をもつ子だったよ」
アイカの読み取れない成分が増えていく。
2%どころではないのではと、不審に思うアイカ。
「‥‥すまない、行かないと。またなAI」
「アイカです!」
なぜかアイカは強く名乗った。
不快に感じた。
いや、悲しくなったのだ。
少し驚いてアイカをみた青年がにっこりと笑った。
「俺はライギルだ、またなアイカ‥‥すまん名前をしらなかったんだ」
そういってライギルは立ち去った。
アイカは悲しみの理由も不快の理由も解らずにぐちゃぐちゃになった感情判定ルーチンと、滑る自分の思考を俯瞰してながめている。
(どうしたというのだろう‥‥)
すんっと鼻をすすったアイカは愛佳の寝室に向かう。
涙をこぼしながら。




