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日本事変  作者: 莞爾
9/10

デッドライン

 令和20年1月7日午前3時。ワシントンD.C.、ペンタゴン地下の戦略会議室では、米国防総省の幹部たちが衛星画像を凝視していた。北九州空港に展開されたDF-61の弾頭部が、ついに確認された。NSAの解析によれば、それは多弾頭型のMIRV――最大で10発の極超音速核弾頭を搭載可能な兵器だった。

 「これは、完全な核戦力の前方展開だ。第二のキューバ危機だ」

 国防長官が静かに言った。1962年の記憶が蘇る。だが、今回は舞台が東アジア、しかも同盟国・日本の領土だった。

 米空軍は即座にB-21ステルス爆撃機による先制攻撃オプションを提示。北九州空港の滑走路とDF-61の発射台をピンポイントで破壊する計画が練られた。だが、ホワイトハウスは強硬だった。

 「日本政府の同意が得られない場合、単独行動も辞さない」

 その言葉は、神谷総理の耳にも届いていた。

 官邸では、東亜重工の提案を受けて「核兵器即時開発・配備計画(コード名:神武)」が極秘裏に提示された。計画は三段階で構成されていた。

 第一段階――既存の核融合研究施設を兵器転用。 第二段階――航空自衛隊のF-3戦闘機に核弾頭搭載可能な改修。 第三段階――北海道・青森の地下施設に核弾頭を分散配備。

 技術的には、最短で180日。

 だが、国会承認も国際的非難も無視した場合の理論値に過ぎない。

 神谷総理が苦渋している中、宮内庁との間で更なる問題が発生した。


 皇居での一般参賀の最中に発生した爆発事件により、皇族全員が死亡してしまったが、いまだに宮内庁は検死結果を隠蔽しようとしていた。

 官邸は情報公開を求めたが、今日になって宮内庁は皇室の尊厳を理由に完全な拒否をしてきた。宮内庁としては政府の警備の手抜かりや神谷総理がかねてから皇室への不敬な発言を繰り返してきたことで不信感は頂点に達していた。いまや両者の対立は激化し、皇室制度の存続そのものに波及し始めていた。


 官邸と宮内庁の対立によって皇族の葬儀についての検討もすすないまま、全国では成人式の日を迎えようとしていた。事態はいまだ混乱したまま、さらなる混乱に突入することになった。


 そして、後に「太宰府事件」とよばれ語り継がれることになる悲劇が生まれることになる。

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