核兵器の幻影
令和20年1月6日午前。首相官邸地下の危機対策室では、緊張が限界に達していた。大型スクリーンには、北九州空港に次々と着陸する中国の新型大型輸送機――Y-30の姿が映し出されていた。Y-20の後継機として開発されたこの機体は、より高速かつ積載量を増強されており、機体の腹部からは最新型のDF-61移動式ICBMがゆっくりと姿を現していた。
「これは……戦略核兵器の展開だ」
防衛省の分析官が震える声で呟いた。DF-61は、極超音速弾頭を搭載可能な新型ICBMであり、射程は1万kmを超えるとされている。しかも、移動式であるため、探知と迎撃が極めて困難だった。
神谷総理は、抗議文を中国大使館に送るよう命じたが、返答はなかった。外務省は北京とのホットラインを開こうとしたが、すべて黙殺された。
「これは、核による恫喝だ。しかも、我が国の領土でだ」
官房長官の東條茂樹は、机を叩いた。だが、事態はさらに深刻だった。福岡での市街戦――日本人による中国人への暴力とされた事件の多くが、人民軍特殊部隊による偽装工作だったことが、公安調査庁の極秘報告で明らかになった。
「彼らは、日本人に扮して暴力を演出した。国際世論を誘導するために」
しかし、すでに国際社会では「日本国内での民族迫害」という印象が広まり、日本政府は国連人権理事会から非難声明を受けていた。その上、日本全土から在日中国人が九州へ移動しているとの報告も上がっていたが、この状況では阻止することは不可能に近かった。
神谷総理は、最後の望みとしてアメリカに核兵器の貸与を打診した。だが、ホワイトハウスからの返答は冷淡だった。
「核の共有は、信頼と責任の上に成り立つ。今の日本政府に、それを委ねることはできない」
その言葉に、官邸は沈黙した。だが、その沈黙を破ったのは、ある企業からの打診だった。
「我々は、核兵器の開発と配備計画を提案します」
それは、日本でも有数の防衛産業企業――東亜重工からの極秘提案だった。かつて宇宙開発と核融合技術を手がけていたこの企業は、独自に核兵器の理論設計と試験環境を保持していた。
「我が国が、真に独立した安全保障を持つためには、抑止力が必要です。これは、最後の選択肢です」
神谷は、言葉を失った。だが、背後ではすでに、“核の自立”という言葉が、官邸の空気を変え始めていた。