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日本事変  作者: 莞爾
10/10

太宰府事件

 令和二十年一月九日。

 太宰府は未明からの粉雪によって柔らかく覆われていた。

 参道を歩く若者たちの晴れ着は、白い地面に華やかな彩りをそえていた。成人式の中止通知は届かず、開催の告知もなかった。だが、誰もが何かを察していた。皇族爆殺事件の余波、北九州空港に展開された中国製ミサイル、そして政府の沈黙――それらが、若者たちの胸に言葉にならぬ焦燥を灯していた。

 午前八時、すでに太宰府天満宮の境内には数百人が集まっていた。

  「これは式じゃない。これは、抗議だ」

  誰かがそう呟いた。拍手が起こり、やがて「反中国」「神谷退陣」のプラカードが掲げられた。雪は静かに降り続けていたが、空気は異様な熱を帯びていた。

 その頃、福岡市内の中国軍駐屯地では、太宰府への部隊派遣が決定されていた。

 「暴徒鎮圧。必要ならば武力行使も許可する」

  司令官の命令は冷徹だった。

 日本政府は沈黙を続け、抗議も声明も出さなかった。神谷総理は官邸地下の作戦室で、各方面からの報告を受けては不機嫌に机を叩いていた。

 午前十時、太宰府に中国軍の装甲車が到着した。

  若者たちは逃げなかった。むしろ、雪の中で整列し、中には日の丸を掲げている若者もいた。

 「俺たちが日本人だ。ここは日本だ」

 叫び声が響いた。兵士たちは解散の警告を発したが、誰も動かなかった。

 そして、最初の銃声が鳴った。

  一人の女性が倒れた。晴れ着が血に染まり、雪に覆われた地面に赤く広がった。 悲鳴が上がり、群衆が動き出した。石が投げられ、 中国軍は発砲を開始。太宰府天満宮の境内は、瞬く間に一方的な殺戮の場と化した。

 やっとの思い出で天満宮の本殿に逃げ込んだ若者たちは、ただ、本当に逃げていた。

 そんな中、逃げ遅れた一人の女性の着物の袖が突進してきた装甲車に引っかかった。

 引きずられて転倒する女性の上を、無情にも装甲車のキャタピラが覆い被さった。

 装甲車が通過したあとには、成人式のためにしつらえた晴れ着が地面に張り付き、体は煎餅のように真っ平になっていた。

 その光景を撮影していた動画は瞬く間に世界中に拡散した。

 SNSは炎上し、海外メディアは「太宰府虐殺」として速報を打った。

 そして、 午後三時、天満宮本殿は炎に包まれた。全員が帰らぬ人となった。

 翌日になってやっと神谷総理は緊急記者会見を開いた。

「太宰府事件は遺憾であり、調査を開始する」

 もはや、その言葉に、誰も耳を傾けなかった。国民は怒り、悲しみ、そして国は自分たちをまもってくれいなことに目を覚ました。

 太宰府事件は、日本の長い歴史にあっても、大きな分岐点となった。 若者たちは「令和の志士」と呼ばれ、天満宮は聖地となった。

 そして、日本は静かに、一日にして変わった。

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