No.1 悲しい世界の胞子植物
「真っ赤な海が、世界を洗い流して木霊を呼び寄せた。」
「無機質な地面に烏が足跡を残したように。」
「僕らは一つの存在になれないまま、この地球で骨になって朽ちていくのだから。」
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while (True) {
苔むした森林に、暁の光は差し込む。回路系には想起されなかった故、精霊達に取り囲まれて眠る、真っ白なフロックを身に着けた少女。
獣じみたブラックボックスの在処を探るべく、旅立ちを見送った少年は、神秘性のあるEveを自分の獲物とし、その柔い唇に吸い込まれるだろう。
「ああ…。」
小さな呼吸を繰り返しては、時折思い出したように寝返りを打つ。苔植物の瑞々しさと、大地へ根を張る樹木を枕に、一面へ拡がる濡れた黒髪は臨界点を失くしていた。
「そうずっと…このままで…。」
その姿をじっと見守る黒い影。ソレは美しくもどこか退廃的な光景を、何より慈しむように、けれど辛そうな色彩を残して見つめていた…。
数刻が過ぎ、何年もが過ぎ。何億年が過ぎたように感じた。それでも目覚めぬ少女に、どこか心は安心しているようだった…。しかし、何も変わらぬ歴史などない。ふと、視線をそらしたその瞬間。太陽が朽ちて、再生の因果が巡るより、遥かにそれは一瞬のこと。
「うう…ん…?」
「…っ。」
少女が目を覚まして、ぼんやりとあたりを見渡した。胞子が飛び交う菌糸に、纏わりつかれた樹海。夢で出会った何かを掴むように、白い手が空に伸ばされる。
「此処は…?」
けれど、彼女は全て記憶を失ったようだ…。もうこの世界は、存在しないのに。
「…くん?」
もう何も残っていないのに…。
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大樹の背後から顔を覗かせた、木霊の一人。ふわふわと空中を漂う愛らしい綿毛は、目覚めた少女をじっと見つめ…やがて、惹かれたように近づいていった。
「私は…どうして此処に?」
「…!」
少女の身体を覆い隠している、白い布切れの隅を引っ張る。すると、彼女は少し驚いたようにワタシ…真白の毛玉を見た。
「アナタは…?」
「…!…!」
ふわっと彼女の手に触れると、熔けた樹液色の瞳が困ったように細められる。けれど、優しく撫でてくれた指先が嬉しくて、思わずワタシは周りを飛び交った。
「可愛い…けど、お喋りができない…生命体なのかな?」
「…!」
「うーん…そっか。」
少し悩むような様子に、ワタシは周りを飛び交うのを止め、少女の項垂れた表情を前にして、視線を合わせようとする。彼女はじっと考え込んでいたが、やがて結ばれていた唇を解いた。
「私…探さないといけない人が居るの…そんな人が居た気がするの。」
「…?」
その言葉を聞いて…ワタシは何も返すことなく、まるで何も知らないというように、空中にふわふわと浮いていた。
「彼を…知らない?」
「…。」
どうしたら良いのだろう。真摯に訴えかけてくる彼女には、もう何も記憶がないと思っていた。それでも、人は本当に大切なことを、忘れられないのだろうか…。
「…くん。会わないといけない気がするの…。」
「…。」
どうすべきなのか。けれど、小説の単語を合わせ重なり、一つのモノとするように、遠くを見つめる彼女を見て。ただ、願いをかなえてあげたいと思った。
「…!」
「え…?」
嘗ての仲間たちを呼び寄せる。少女を守り、共に歩んでいきたいと胸は高鳴っていた。
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「君たちは…?」
沢山の白い獣、もといふわふわとした胞子的な存在が、彼女の周りに押し寄せる。
波のように彼女を取り囲んで、あっという間に柔らかそうなモフモフに包まれた。
「可愛い…。」
白いふわふわを胸に抱きしめて、何も知らないまま少女は微笑んでいる。
「何処へ連れて行ってくれるの?一緒に行こう。」
「…。」
遠くから、ずっと眠っていた彼女が森の外へ歩いていくのを見つめた。噛み締めていた唇から血の味がして、軋む心臓はこれから見るだろう残酷を示唆している。
「ああ…。」
悲しみに体が頽れる。Nimrôd は傲慢にもこの世界を破滅に追いやった。そして、全ての0を秘める少女は、ただ少しずつ絶望に近づいていく。
「そんな…。」
分かっていても、自分ではもう何も出来ない…。数学的な世界で、0と1は決して同じ空間内に存在し得ないのだから。
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「真っ白な大地…。でも…触れても冷たくない。」
「…?」
「砂が白いのかな?砂漠みたいだけれど、暑くないし…。」
少女の黒髪が、湿度も温度もない空気の流動に合わせて乱れた。こんな空間で、息ができるのは、もうワタシのような生命の形をしていない存在だけ。そして…。
「錆びた機械が…コントロールパネルもバッテリーが無いの?通信機は在るけど…何の信号も拾ってない。」
小さな箱を手に持った少女は、何か信号を拾おうと空中に掲げ、序に乗り捨ててあったロボットから様々な器具を取り出し、持ち合わせたパーツを組み立て始めた。
「受光可能なモジュールが有れば…。オシロスコープと繋げて…このリチウム電池を使えば動くと思うけど…。」
「…?」
何か楽しいことをし始めたと、白い仲間たちが少女の頭に乗り、背中へよじ登り、空中に浮かんで作業を見つめる。
「受信範囲が限られているけれど…やっぱりこれじゃダメ?」
「…?」
死んでしまったように、波形の変わらないディスプレイを見た彼女は、少し泣きそうな顔でワタシたちに言葉を溢した。
「もう少し歩いて様子を見てみよっか。」
「…!」
賛成の意を示して、ワタシたちは彼女の前を先陣切って歩き出す。しかし広大な大地を前にして、美しい方形波が生み出されない、小さなディスプレイを少女はじっと見つめていた。
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「もしかしたらと思ったの。」
岩陰に身を潜めて、じっと彼女の手元を見ていた。もうこの世界に、信号を生み出すような機械を使っている人間はいない。近くにも、遠くにも…人工衛星も全て…。
「こんな広大な砂漠のような場所…見たことも聞いたことないけど。」
その先の言葉を予想し、思わず風に舞い上がるケープの合わせをぎゅっと握りしめた。
「もしかしたら、誰か居るんじゃないかって期待して…。」
体は震え、今にも崩れ落ちそうだった。それ程の喪失を、太陽さえ失った空を見上げる彼女の言葉から感じていた。
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「無形の可能性は、吐く息の白さと熱風で消滅した。」
「繋がったまま、ループしない遠赤外の世界。」
「すべての終焉にもう…0も1も要らないのだから…。」