第九十四作戦:不死鳥の羽の危機!?
ゲイリーがバグズのクロガネへ最後の報告を伝えてから5日が経過した。
その間、不死鳥の羽の支部アジトのひとつが、無惨にも虫型怪人たちによって破壊されてしまった。
その映像は監視カメラに記録されており、そこに映る異形の影は、見る者すべてに絶望的な光景を突きつけた。
廃棄予定の施設だったことが、不幸中の幸いだった。人員の被害は出なかったものの、高価な機材の山が瓦礫となり、怒りは否応なしに組織全体へ広がった。
―――
その日の夕刻、首領・伏見蝶々の命令で幹部たちは会議室に緊急招集された。
広い部屋には独特の緊張感が漂い、硬質な照明が集まった幹部たちの表情を照らし出す。重苦しい沈黙の中、蝶々が冷静に口を開いた。
「犯人は『バグズ』か。」
その声は低く鋭く、まるで凍てつく刃のようだった。
蝶々の氷のように冷たい瞳が、集まった面々を一人ずつ見回す。
その視線は鋭く、誰もがその射抜くような眼差しに一瞬たじろぐ。
「うちらのアジトを知ってるのは数少ないで……ここにいる誰か…やろうな…」
アンカーが鋭い眼光を周囲に送りながらつぶやく。その言葉が落とす影は、怪人たちの心を重たく揺さぶった。
彼女らの視線は互いに交錯し、不自然な動きはないか、微かな不安が相手に表れていないかを探ろうとする。
その静寂を破ったのは、オオカミだった。
「俺たちの情報を流してる奴がいるってことかぁ…?」
オオカミの素直な疑念が静寂をわずかに揺らし、新たな波紋を呼び起こす。
「そうね。スパイがいるのよ…蝶々様以外の、ね。」
静かだが挑発的な口調でパンドラが答えた。
エレガントさを保ちながらも、その言葉はしっかりと場の空気に火を灯す。
ラルデュナがわずかに前に乗り出した。低く響く声が重く部屋全体に広がる。
「アァ。我ラノ誰カガ『スパイ』ダ。」
その言葉に含まれる殺気は、真偽を問わず怪人たち全体を威圧するかのようだった。
強烈な存在感は、スパイをこの場で裁く覚悟を確かに感じさせる。
「はいはい♪ アタシ分かるわよっ!」
エルが手を軽やかに挙げ、殺伐とした空気を一気に意気揚々と掻き乱した。その小柄な体が、あっけらかんと場の中心へ踏み込む。
全員の視線を集めた彼女は、勢いよく指を伸ばして誰かを指さした。
「元バグズのスズメバチに決まりでしょ!」
その声は軽率に聞こえるが、根拠のないわけではないと、場に潜む緊張を引き上げた。
「うぇっ!? 俺っちはスパイじゃないっスよっ!」
スズメバチが慌てて答えた。
「確かに元バグズだけど、今は俺っちの居場所はここっスからっ!」
その必死な弁解に、本当に無実なのか、それとも自分の過去の行動が疑いを呼ぶと理解しているからなのか。必死さだけがその言葉に真実味を与えようとする。
「慌てちゃって…怪しいわねっ。」
エルがあどけない笑みを浮かべて追い討ちをかけた。戯れるように見えつつ、針を刺すごとく場をさらに混乱させる。
会議室の空気はピリついていた。スズメバチが幹部たちに詰め寄られ、ますます追い詰められている。
その光景をじっと見つめていたオオカミが、ついに行動に出た。
「…いや待ってくれ…エルの姐さんっ。」
鋭い声がその場に割って入ると、議論に熱を上げていた者たちも一瞬たじろぐ。
スズメバチをかばうつもりで声を上げたように見えたが、オオカミの眼差しは依然として鋭く、スズメバチを睨みつけたままだった。
「確かに、俺もスズメバチを疑った。」
その言葉は、否定のためのものではない。むしろスズメバチを釘付けにするような重さを持っていた。
「ちょっ…」
スズメバチが口を開こうとしたが、それすら遮るようにオオカミは言葉を続けた。
「でもな、スズメバチの前に、もっと怪しい奴がいるんじゃねぇか?」
オオカミの視線が次に向けられたのは、ゲイリーだった。
室内にいた全員の視線が瞬時にゲイリーへと集まる。
まるでその視線の重さが、疑惑そのものの形となって押し寄せるようだった。
「…あらオオカミちゃん……どういう意味かしら?」
ゲイリーはその鋭い視線を軽く受け流すように、やや柔らかな笑みを浮かべて言い返す。
その声は落ち着き払っていたが、どこか底冷えする響きがあった。
「いくらオオカミちゃんと言えど、失礼すぎるわ。」
オオカミは拳を握りしめ、ぐっと前へ一歩踏み込んだ。
「てめぇが来た後からアジトが破壊されてんだ…。内情を掴むつもりで近づいてるように見えるんだよ!」
「何の証拠もなしに、随分と適当なことを言っちゃダメじゃない。」
ゲイリーは肩をすくめ、苦笑を浮かべた。
それは自己弁護に見える態度だったが、むしろさらに敵意を引き寄せる結果となった。
「あたしはオオカミちゃん。いいえ、不死鳥の羽のために働いているだけよ。」
場の空気は冷たい沈黙に包まれる。視線を向け合う者たちの間で、疑念が静かに広がり続けていく。
その中でピエラだけが、ふざけた調子を崩さなかった。
しかし、その彼女も無意識にゲイリーとの距離を一歩引いていた。
アンカーは感情を押し殺し、静かにゲイリーを注視していた。
その表情からは油断を許さない警戒心がにじみ出ている。
一方、ラルデュナは疑念を重く握りしめるように、無言のまま持ち前の大鎌に手をかけた。
ゲイリーとオオカミの両方を鋭く睨んでいた。
蝶々は黙したまま、状況の推移を冷静に見守っていた。
「…」
幹部たちの絆にほころびが生じ、組織の結束が揺らぎ始めている。
その緊張は、まるで火薬に火がつく前の刹那の静けさだった。
蝶々の冷たい瞳が、少しずつ形作られる混沌の未来を鋭く見つめていた。
―――
それから、スズメバチとゲイリーどちらが、スパイか見極めることができなかった。
その夜、ゲイリーは食堂で沈思していた。
暗闇に包まれた中、唯一の光源は傍らの通信端末だった。
突然、その端末が低く震え、緊張感を帯びた音が静寂を切り裂く。
ゲイリーは短くため息をつき、画面のスイッチを押した。
通信画面が起動すると同時に、クロガネの冷ややかな眼光が鋭く彼を射抜く。画面越しとはいえ、その存在感は食堂の空気を一瞬にして変える。
「襲ったアジトももぬけの殻。彼女たちにダメージを与えたとは言えません…」
クロガネの声は静かだが、その背後には確実な怒りが潜んでいた。
「そろそろ教えて貰えませんか…? あなたがいるアジトの本拠を。」
ゲイリーの顔は一瞬凍りついたが、すぐに冷静を装い目を伏せた。唇を噛み、返答を迷う様子は隠しきれない。
「ん?」
クロガネが不快そうに眉をひそめる。
「どうしました、聞こえないのですか? もしや…私の命令を拒むつもりでしょうかね…?」
沈黙が数秒続く。その沈黙には、重い葛藤が詰まっていた。そしてついに、ゲイリーは意を決したかのように口を開いた。
「……申し訳ありません。不死鳥の羽の仲間たちを裏切ることはできません。」
短いその言葉には、全てを投げ出す覚悟が宿っていた。
クロガネはその答えを聞くと一瞬眉をひそめた。
しかし、怒りを押し隠すように、すぐに表情を平静なものへと戻す。
「裏切り、ですか…」
クロガネの目が薄暗い光を宿して笑う。
「やれやれ…やはり虫型の怪人たちでなければ信用できませんね。」
彼の口調は冷たく、もはや情けも説得も含まれていなかった。
「ゲイリー。このまま生きていられるとは思わないことですね…。」
通信がプツンと切れる。その音が、まるで裁きを告げる鈴のように耳に残った。
画面が闇に戻ると、ゲイリーは重く息を吐いた。その吐息は長く、胸の奥に詰まったものを無理やり吐き出すようだった。
「あたしには…無理よ…」
かすれたその声は、深い後悔と悲しみがにじんでいた。
彼は立ち上がり、小刻みな足音を鳴らしながら食堂を出ていく。その背中は明らかに迷いと疲労を抱えていた。
だが、ゲイリーの背後にもう一つの影が潜んでいることに、彼は気付いていなかった。
暗がりから現れた蝶々の姿は凛としている。片手には鉄扇が握られ、その鋭い刃が微かに反射している。
無言のまま、蝶々はゲイリーが去っていく背中をじっと見送った。
―――
翌朝、不死鳥の羽の幹部全員が会議室に集められた。長テーブルには重苦しい空気が張り詰め、誰もが険しい表情をしていた。
天井のシャンデリアが鈍く輝き、その下でゲイリーは一歩前に進み、深く息を吸い込む。
「ごめんなさい…」
場の誰もが彼を見つめる中、ゲイリーは震える声で口を開いた。
「あたしがスパイよ」
瞬間、室内の空気が凍りついた。しばしの静寂。誰もが信じたくない現実を突きつけられたように、無言で彼女を見つめる。
しかし、その沈黙を破るように――
「やっぱりな!」
オオカミが勢いよく立ち上がり、拳をテーブルに叩きつけた。
「てめぇのせいでアジトが壊されたんだろ!」
鋭い視線を突きつけるオオカミに、ゲイリーは怯まず視線を返す。
「えぇ…その通りよ」
彼は淡々と認めた。嘘偽りは一切ないといった口調だった。
「あたしが悪かった…許されるとは思ってないわ…さぁ…処分してちょうだい」
ゲイリーの声は静かで、揺るぎがなかった。自らの運命を受け入れる決意を感じさせた。
「主蝶々ヲ裏切ッタ報イヲ受ケテ貰ウ」
鈍い金属音が響く。ラルデュナが席を立ち、冷酷な光を放つ鎌をスッと構えた。
銀色の刃先が、一瞬でゲイリーの首元に突きつけられる。
「…………」
室内に満ちる殺気。しかし、それを遮るように、静かな声が響いた。
「待て」
その声を聞いた瞬間、ラルデュナの動きが止まる。そして、鎌をゆっくりと下げ、一歩後ろに下がる。
彼女が唯一本能的に従う存在――蝶々が、腕を組みながらゲイリーをじっと見据えていた。
「ゲイリー。これだけは聞かせろ」
低く、感情を押し殺した声音。その言葉が幹部たちの神経をさらに研ぎ澄ます。
「なぜ、被害が少ないアジトを壊させた?」
その問いに、ゲイリーは苦しげに目を閉じる。そして、ゆっくりと口を開いた。
「…初めは、情報を抜き出した後、この場所を報告するつもりだったわ」
心臓をえぐるような告白。しかし、彼は続けた。
「けどね。知ってしまったのよ」
その瞳に宿るのは、後悔か、それとも憧憬か。
「あたしの料理を笑顔で食べてくれるあなたたち。悪の組織なのに、こんな暖かくて楽しいなんて思ってなかった…」
静寂が広間に満ちる。
それを破るかのように、蝶々は息をつき、静かに微笑んだ。
「…なるほど、それで深夜のクロガネの命令に背いたという訳か」
「っ!?」
ゲイリーは目を見開く。
「蝶々ちゃんが見てたなんて…あたしが黙ってたら殺すつもりみたいね。」
冗談めかした口調だったが、その笑みは引きつっていた。蝶々は腕を組んだまま、目を細める。当然だと言うように。
「被害がなくてもアジトを壊させたんやぞ…?」
アンカーが冷徹な口調で告げる。
「蝶々様…ゲイリーを生かす必要はないと判断しますっ」
隣で静かに座っていたパンドラが、アンカーに同調するように声を上げる。
「主蝶々…命令ヲ…」
ラルデュナが再び鎌を持ち上げる。その瞳は迷いなく、処刑人の覚悟に満ちていた。
蝶々の口から発せられる次の言葉が、ゲイリーの運命を決める。
息を飲む音すら聞こえるほど、幹部たちは静かに蝶々の判断を待った。
静寂が広間を支配していた。重く垂れ込めた空気の中で、蝶々はゆっくりと席を立つ。一歩前に出ると靴が床を擦る音が微かに響いた。
そのまま、蝶々は迷いなくゲイリーの前へと歩を進める。周囲の視線が一斉に集まる中、蝶々はゲイリーの目をじっと見据えた。
「本当に後悔しているのか?」
静かな声だったが、その一言には鋭さがあった。問いかけながらも、すでに蝶々の瞳はゲイリーの心の奥底を覗き込むような光を宿している。
ゲイリーは息を呑み、わずかに肩を震わせた。しかし、すぐに姿勢を正し、まっすぐ蝶々の目を見返すと、はっきりと答えた。
「はい、もちろんですわ。」
迷いはなかった。
蝶々は数秒、ゲイリーの瞳を見つめたまま動かない。そして、思索に沈むようにゆっくりと目を閉じた。
静寂が深まる。誰もが彼女の決断を待つ中で――蝶々は再び目を開き、静かに、しかし確かな口調で口を開いた。
「ふむ…今回の件不問にしてやる。」
その言葉が響いた瞬間、空気が一変する。
「蝶々の姉御、それは!」
オオカミが怒りを隠さずに叫び、勢いよく立ち上がる。しかし、それを制したのは蝶々の鋭い声だった。
「黙れ、オオカミ。」
その一言だけで、オオカミは息を詰まらせた。蝶々の目が、鋭く彼を射抜くように見据えていた。
「このまま黙っていれば、スズメバチどころか、不死鳥の羽が壊滅するところだった。」
事実だった。内通者として疑われたスズメバチが処刑されていた可能性もあり、それが組織にどれだけの亀裂を生んでいたか計り知れない。
オオカミは不満げに唇を噛むが、それ以上の言葉は出なかった。
ゲイリーは静かに視線を下ろし、胸の前で拳を握る。そして、深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございます……蝶々ちゃん…いいえ…首領。」
心の底からの感謝がこもったその声を聞き、蝶々は冷たい視線を落としたまま短く告げる。
「…だが、覚えておけ。一度だけだ。次はない。」
その言葉には、最終通告ともいえる冷厳さがにじんでいた。ゲイリーは震えるように息を吐き、再び深く頭を垂れた。
「……承知しました。」
その場の誰もが、蝶々の裁定を重く受け止める。
冷たい緊張感が漂う中、不死鳥の羽の幹部たちはそれぞれの思惑を胸に秘めながら、蝶々の判断を受け入れつつあった。
―――
その日の夕食は、少し前の張り詰めた雰囲気が嘘のように、賑やかに始まっていた。ゲイリーは自分の部屋で調整していた材料を抱え、食堂へ現れると明るい声でみんなに呼びかける。
「はぁい♪みなさま、この新メニューをご賞味あれ。ゲイリーちゃんの自信作よぉ♪」
テーブルの上には彩り鮮やかな料理が次々と並べられていく。ジューシーなロースト肉に、芳醇な香り漂うスープ、新鮮な野菜で飾られたサラダ。まるで宴会のような豪華なラインナップだった。
流石に、元スパイのゲイリーを完全に信用するわけにはいかないため密かに戦闘員に食べさせたが問題がないようだった。
みんなが食べ始める中、オオカミが突然叫び声を上げた。
「っ…おいっ…何で、俺の料理には肉がこんなに乗ってんだよっ!」
彼の皿だけ明らかに他のメンバーの倍以上の肉が積まれており、山のようなそのボリュームに周囲も驚く。
ゲイリーは満足げに微笑むと、艶めかしい仕草で髪をかきあげながら答えた。
「うふん♪もちろん、愛するオオカミちゃんのためよ♪」
その言葉を聞いた瞬間、オオカミは目を剥いて絶叫する。
「はぁっ!?そ、それは演技のはずじゃ…」
動揺しながらも、肉を手にしつつ椅子を後ろにズルズルと引きながら距離を取ろうとする。しかし、ゲイリーはさらに大胆に言葉を続けた。
「ノンノン♪違うわぁ♪あなたがあたし好み…それは嘘偽りないわぁ♪」
「うわぁっ!?来るんじゃねぇっ。俺は男にゃ興味ねぇんだよっ!?」
料理もそっちのけで、逃げようとするオオカミと、それを追いかけるゲイリーの様子に場はさらに賑わう。
ピエラはそんな二人の様子を見ながら笑い声をあげつつ、料理を頬張る。
「うーん。うまうまなのだ」
その横ではスズメバチが汗をかきながらも、ピエラの「バグちゃん」たちに、蜜の混ざった特製のハチミを渡している。
「ふぅ…俺っち死なずに死んだっス…バグちゃんたちごはんっスよ♪」
楽しそうに彼の周りで小さく飛び回るバグちゃんたちは、一心不乱にハチミツに吸い付く。
一方、蝶々は落ち着いた様子で自分の料理を黙々と食べていたが、その姿をパンドラはうっとりした顔で眺めていた。
「うふふ♥わたくしも蝶々様にしっかりアピールしていかないとね♥」
ちらりと見せるパンドラの唇には、一筋の涎が光っている。
その後ろでは、ラルデュナが無言のまま眉をひそめながら食事を進めていた。緊張の色は薄らいではいるが、表情にはまだどこか警戒心が残っている。
そんな騒がしい光景を見渡しながら、ゲイリーは心の中で小さく息をつく。ふっと微笑むと、決意を新たにするように胸の内で誓った。
「(これからは、正真正銘、不死鳥の羽の料理人として、みんなのために力を尽くしていこう――)」
食堂には笑い声が響き、心なしか灯りも温かく感じられる。ゲイリーにとって、この光景が何よりも大切な場所だと確信する瞬間だった。




