第八十一作戦:命名会議『狼と蜂の行方』
不死鳥の羽のアジト内――その広々とした空間は、今日も相変わらずの喧騒に包まれていた。朝とも昼ともつかない曖昧な時間帯、隊員や幹部たちはそれぞれの用事に追われつつも、どこかのんびりとした雰囲気を漂わせている。
その中でも最もにぎやかなのは、食堂だった。
中央に置かれた大きなテーブルには、既に多くの皿が並び、賑やかな談笑が飛び交っている。
その一角に陣取るのは、アンカー、ウルフバイト、そしてスティングホーネットの三人だ。
アンカーはいつもの調子で箸を動かし、たこ焼きとごはんという奇妙な組み合わせを咀嚼しながら、気の抜けた表情で談笑に耳を傾けている。
「んぐんぐ……(――そういえば、こいつら名前ってあったっけ……?)」
アンカーの目が、隣で和やかに話を交わしているウルフバイトとスティングホーネットの姿に向けられた。
ふとした好奇心が頭をもたげると、アンカーは箸を置き、大きく息を吸い込んでから問いを投げる。
「なぁ、あんたら名前ないん?」
唐突な一言に、スティングホーネットとウルフバイトは顔を見合わせる。その表情には、不思議そうな色がにじんでいる。
「名前……?」
スティングホーネットが口を開いた。
「俺っちはスティングホーネットっス。アンカーの姐さんどうしたっスか……?」
「俺は、ウルフバイトだ。どうしたんだ……アンカーの姉御……知ってるはずだろう……?」
アンカーは箸をくるくると回しながら答える。
「いやいや、でもパンドラとかラルデュナとか蝶々はんとかは本名やん?あんたらのそれは怪人ネームやろ……?」
彼女の指摘に、一瞬だけ沈黙が訪れる。次の瞬間、スティングホーネットの声が、微かな好奇心を含んで響いた。
「確かに……蝶々の大姐さんとかアンカーの姐さんは名前あるし、そう考えると俺っちたちにも必要なんじゃないスかね…?」
スティングホーネットの柔らかいトーンを受け、ウルフバイトも力強くうなずく。
「だな」
二人の真剣な様子に、アンカーの口元がわずかに緩む。
「怪人命名」という思いつきのような議題は、即座に成立した。
―――
会議室の中は、ふだんとは違った意味でのざわめきに包まれていた。
テーブルの周りに、蝶々と不死鳥の羽の幹部たちが集まり、それぞれの席に腰かけている。重々しい会議というより、どこか遊び心のある雰囲気が漂っていた。その中心に立つアンカーが、勢いよく腕を組み、力強い声で宣言する。
「ということで!スティングホーネットとウルフバイトの名前決めるでぇ!」
その場にいた全員の目がアンカーに注がれる。だが、当の二人、スティングホーネットとウルフバイトは期待に満ちた表情で頷くばかりだった。
「頼んます!」「よろしくお願いするっス!」
まず目を向けられたのは蝶々だった。幹部たちのまとめ役として知られる彼女が、この議題の先陣を切るよう促される。
アンカーが近寄りながら問いかける。
「蝶々はん。何か2人に名前つけてくれへん……?」
蝶々は普段通りの無表情で、書類に目を落としていたが、唐突に顔を上げた。そして、一切の情緒を感じさせない淡々とした口調で短く答える。
「『犬』と『蜂』でいいだろう。それで充分だ……」
そのあまりに即物的な答えに、会議室の空気が一瞬静まり返る。そして、抗議の声が同時に飛び出した。
「嫌っス!」
スティングホーネットが拳を握りしめ、勢いよく席を立つ。
「狼と蜂だなんて、適当すぎるっスよ!」
その横でウルフバイトも加わる。
「そうですぜっ」
幹部たちが議論を始める中、アンカーはふと思い出したように視線を蝶々に向けた。片手で顎を掻きながら気軽に尋ねる。
「そういや、蝶々はんって何で蝶々って名前なん……?不死鳥型と人間のハーフやし…蝶々要素無さすぎん…?」
その問いに、蝶々はわずかに眉を動かして面倒そうに答える。
「おばあ様はもともとは鳥と書いて鳥々(ちょうちょう)とつける予定だったらしいが、父さんが蝶々の方が可愛いとおばあ様の反対を押し切り、市に提出してこうなった。それだけだ」
説明を終えると、再び手元の書類に目を落とし始める蝶々。そのそっけない態度にも気を留めることなく、次に声を上げたのはパンドラだった。
彼女は肩をすくめ、ため息交じりに軽やかな声を響かせる。
「うふふ、名付けなんて簡単ですわよ。たとえば、『ハチミツハチ太郎』とか『大神イヌ次郎』とかでいいじゃない」
その提案にスティングホーネットの顔が引きつる。
「そんなダサい名前、嫌っス!」
しかし、パンドラは耳を貸すことなく、赤みを帯びた顔で蝶々の方へと身を傾ける。
「それより、わたくしも改名しようかしら……♥蝶々様、伏見パンドラってのはどうですか……?将来的にもそれがよろし――」
「却下……」
蝶々は冷たい一言で彼女の発言を切り捨てた。しかし、拒否されたにもかかわらず、パンドラは恍惚とした表情で両手を頬に当て、腰をくねらせる。
「あぁん♥蝶々様ったら恥ずかしがり屋ですわ♥たしかにまだ早いですし♥結婚してから改名は考えさせてもらいますわ♥」
その光景を見ていたアンカーは思わずあきれる。
次に視線を向けたのは隣で腕を組むラルデュナだ。アンカーの視線に気づいたラルデュナは真剣な表情で顎を引き、一拍置いてから威厳ある声を響かせた。
「フム……名前、カ……『空翔ける鋼鉄の毒槍を持つ深緑の刺客スティングホーネット』ト、『月下を駆け抜ける茶狼の咆哮ウルフバイト』デドウダ……?」
ウルフバイトが間髪入れずツッコミを入れる。
「長いですぜ、ラルデュナの姉御っ(でも…カッコいいぜ)!」
スティングホーネットも半ば呆れながら声を上げた。
「しかも、名前じゃないっスよね!それ!(一瞬、良いかもって思ったっスっ)」
続けてアンカーが視線をピエラに向けるが、彼女はいつもの調子で大量の食べ物を頬張り中だった。
「ん……?もぐもぐもぐ……♪……?」
「……そのまま食べててえぇわ……」
ため息混じりに首を振るアンカーだったが、次の瞬間おどけた表情を浮かべ、軽い調子でこう提案した。
「次はうちやな。うーん……『蜂の蜂の子はっち』『犬の犬の子いっぬ……はどうや♪ごっつええ名前やろ……?」
案の定、二人は声を揃えて抗議する。
「アンカー姐さん、それ完全に受け狙いじゃないっスか!」
「ふざけ過ぎですぜぇっ!」
あくびを漏らしたエルは、椅子に寄りかかりながら投げやりに言った。
「ふぁ……もう、そのままでいいんじゃない……?なんかもう、話してる内容がどうでも良くなってきたわ。」
「そんなこと言わないで欲しいっスよ。エルの姐さんっ」
長引く命名会議に、場の空気は次第に重く、そしてだらけ始めていた。
どれだけ真剣に話し合ってもまともな提案が出てこず、周囲にはため息のような諦めムードが漂っている。
そんなとき、ついに最後の希望が浮上した。スティングホーネットとウルフバイトは顔を見合わせ、しばしの間息を整えてから、大きな声で頼み込んだ。
「アールの兄貴っ……頼んますっ!」
「良いのお願いするっスっ!」
部屋の中の全員の視線が、机の隅に座るアールに一斉に集まる。
普段は幹部たちの陰に隠れるようにしているアールにとって、この突然の指名はあまりにも重いものだった。
顔を蒼ざめさせながら彼はおどおどと視線を泳がせる。
「……ボ、ボク!? そ、そんな重要な役割、ボクにできるかな……?」
ふだんの自信のなさが如実に表れた返答だったが、ここで諦める者は誰もいなかった。
むしろ彼らの瞳には期待が光っている。
それを感じたアールは、逃げられないと悟ったのか震える声を押し殺して、思考の海に潜り始める。
小さく息を吸って、しばらくしてアールが口を開いた。
「……え、えっと……ウルフバイトには『オオカミ』、スティングホーネットには『スズメバチ』、とか……?」
その言葉が口から出た瞬間、会議室に微妙な空気が流れた。蝶々たち幹部クラスは顔を見合わせ、呆れたようにため息をつく。
「英語を日本語にしただけだろう」
その無言の表情が語る気持ちは痛いほど伝わる。しかし、その一方で中級怪人たちの反応はまったく違ったものだった。
「……かっこいいっす!!!」
「最高だぜぇ!」
一転して盛り上がる部屋の空気に、幹部たちも一瞬目を丸くする。ウルフバイトとスティングホーネットは声を合わせて拍手を送り始めた。
「さすがアールの兄貴だぜっ。すげぇセンス!」
「アールの兄さんっ。尊敬するっス!」
突然の褒められぶりに、アールは一瞬固まった後、おずおずと頬を赤らめる。
「……え……?え、えへ……よ、喜んでくれて嬉しいよ……」
にじみ出る謙虚さと戸惑い。アール自身もこの反応には想像もしていなかったらしい。
こうして、長かった命名会議は無事終了した。ウルフバイトは「オオカミ」、スティングホーネットは「スズメバチ」という名前を得て、何とも不思議な満足感を抱いていた。不死鳥の羽の一風変わった日常に、今日もまた小さな幸福が花を添えるのであった。




