第六十九作戦:冷酷な糸 交錯する運命
ゴールデンウェブと対峙するマスク・ド・ドラゴンとマスク・ド・タイガー。戦場の空気が一瞬だけ張り詰め、静寂が訪れる。その中でゴールデンウェブが口元に笑みを浮かべて声を漏らした。
「…あら……ふふ、遊び相手が増えたのね。」
その挑発的な声色とは裏腹に、彼女の内心には焦りが芽生え始めていた。
敵として現れたマスク・ド・タイガーの俊敏さと鋭い攻撃は、自分が想定していた範囲を大きく超えていたからだ。
「オレ相手にそんな余裕いつまで持つかなっ!」
そう叫ぶマスク・ド・タイガーの姿は、目にも留まらぬ速さで戦場を駆け巡っている。マスク・ド・ドラゴンとの共闘が始まったことで、ゴールデンウェブは着実に追い詰められていった。もはや勝ち目がない状況は明白だったが、それでも彼女の表情から余裕の笑みが消えることはなかった。
「ほらほら、もう少し楽しませてくれよ!」
ゴールデンウェブは軽い動作で辺りに金色の糸を張り巡らせる。それは戦場全体を自分の有利な場に変えるための布石だった。だが、その行動すらタイガーの攻撃によって阻まれ、制限され続ける。爪で繰り出される一撃一撃が、ゴールデンウェブの思惑を次々と切り裂いていくようだった。
「…名残惜しいけど、今日は帰らせてもらうわっ。」
突然の宣言に、たつみとタイガーが反応する。
「逃がすと思っているのかっ!」
タイガーが敵を睨みつけながら勢いよく前に出る。しかし、それにも怯む素振りは見せず、ゴールデンウェブは軽く肩をすくめて返答した。
「えぇ…帰るわ。」
その言葉が終わると同時に、ゴールデンウェブの額に一筋の汗が光る。そして彼女が弾いた糸の音が空間を切り裂いた瞬間――。
「っ……!」
上空から何かが崩れ落ちる轟音が響き渡った。
「なっ!?」
驚いたタイガーが視線を上に向けると、頭上から無数の瓦礫が猛スピードで降り注いでいた。
「危ない!」
咄嗟の判断でたつみが跳び上がり、手に力を込めると、近くに飛び込んできた瓦礫へ全力の一撃を叩き込んだ。
その一撃は見事に瓦礫を粉砕し、破片が辺りへと散り散りに飛び散った。だが、その間にゴールデンウェブの姿は、虚無へと溶け込むように消え失せていた。
地面に降り立ったたつみとタイガーは、目の前から姿を消した敵を追おうと周囲を探す。しかし、気配すらも残さない見事な撤退だった。
「……っ! 逃げられたか。」
苛立ちを押し隠しながら、タイガーが力強く爪を鳴らす音だけが静寂に響いていた。
瓦礫が収まり、ようやく静けさを取り戻した戦場に、たつみは深い呼吸を整えながらマスク・ド・タイガーに向き直った。
彼女は先ほどの戦いを思い出しつつ、目の前に立つヒーローの正体に疑念を抱いていた。
「…助けてくれて、ありがとう。でもあなた…何者?」
感謝の言葉と共にぶつけられた問いに、タイガーは肩をすくめて軽く笑みを浮かべた。
その仕草はどこか飄々としていて、つかみどころのない雰囲気を漂わせている。
「正体なんてどうでもいいでしょ? あんたもヒーローなら、結果さえ出せばそれでいいんじゃない…?」
タイガーの言葉にたつみは少し眉をひそめ、言葉を失う。だが、その冷静かつ自信に満ちた態度に、問い詰める気持ちも薄れていくのを感じていた。
「…」
その沈黙を意に介さず、タイガーは再び肩をすくめて軽い調子で言葉を続けた。
「じゃ…また会うかもしれないから…よろしく。」
そう告げると、タイガーはまるで風のようにその場から去っていった。
たつみは彼の背中を見送りながら、その正体に対する疑問がさらに深まるのを感じていたが、それ以上追及することはしなかった。ただ、心に浮かんだその強烈な存在感が、彼女の中に小さな火種を残していた。
―――
ゴールデンウェブは、重たい足取りでバグズのアジトに戻った。外はすでに夕方から夜へと移り変わり、廃墟の静寂が一層の不気味さを際立たせている。
待ち構えていたのは、虫型怪人たちの幹部たち――ゴキブリ型怪人『バグズ』のリーダー。クロガネ、カブトムシ型怪人武人兜、クワガタ型怪人シザー・エンペラー、そしてカマキリ型怪人レディ・マンティス。
クロガネの前に立つと、ゴールデンウェブはその場で膝をつき、頭を深く垂れた。
「クロガネ様…この度は誠に申し訳ございませんでした。」
その謝罪に、クロガネの隣に立つ武人兜が嘲笑混じりの声をあげる。
「はっはは。本当だぜ。」
シザー・エンペラーが肩をすくめて皮肉を重ねる。
「やれやれ。クロガネ様から、あれだけの怪人たちを率いてこの様とは…。」
レディ・マンティスも愉快そうに声を上げた。
「ホホホ♪ アタクシなら恥ずかしくてクロガネ様に顔向けできないわ!」
幹部たちの嘲笑が耳を刺す中で、ゴールデンウェブはなおも頭を下げ続ける。歯を食いしばりながら、必死に堪えていた。
「…クロガネ様…私の失態です。処罰を…」
頭を下げたまま、その声ににじむのは深い屈辱と覚悟。だが、その瞬間、部屋の空気が一変した。
「クフフ。皆さん、そこまでですよ…。」
クロガネの冷徹な声が響き渡る。重く、威圧感を伴った声に、幹部たちも押し黙る。
「顔を上げてください…ゴールデンウェブ。」
その言葉に、ゴールデンウェブは短い返事を返し、恐る恐る顔を上げた。その瞳にはまだ覚悟が宿っていたが、クロガネの視線は意外なほど穏やかだった。
「今回の作戦は確かに失敗でした。昆虫怪人たちが倒されたのも事実です。…しかし、私は貴方を罰する考えはありません。」
意外な言葉に、ゴールデンウェブは一瞬戸惑いを見せるが、それを押し殺して言葉を紡ぎ出そうとする。
「そ、それは…いえ…。」
だが、クロガネの鋭い視線がそれ以上の言葉を許さなかった。ただ静かに次の言葉を待つしかなかった。
「私の信条なんですよ。部下の失敗は2回まで許すと…クフフ。」
クロガネは軽く笑う。
「所詮倒されたのは、私たち上級怪人よりも格下の存在。大きな痛手ではありません。それに、面白い情報も手に入りました。新しいヒーローが現れたのです。」
ゴールデンウェブがうなずき、小声で報告を続ける。
「マスク・ド・タイガーと名乗っていました。」
クロガネは考え込むように腕を組み、しばし沈黙したあと、静かに呟いた。
「作戦を練り直さなければいけなくなりましたね。」
そんな彼の腕を這うように、黒光りしたゴキブリが上ってくる。その動きをじっと見つめ、クロガネは柔らかく微笑む。
「ん?…ふむ…なるほど…ありがとうございます。わが子よ…。」
ゴキブリとの不可解な対話を終えると、クロガネは幹部たちを見渡した。
「何やら、スティングホーネットが逃げたとの情報が入りました。嫌な予感がしますね…皆さん。このアジトは捨てます。次のアジトに向かいますよ。」
彼の指示に、幹部たちは短く返事をする。その間も、無数のゴキブリが廃墟を這い回る音だけが響いていた。




