第六十二作戦:蝶々を巡る父と幹部の喧嘩
翌朝の不死鳥のアジトはいつにも増して騒々しかった。
「賑やか」というより、「喧しい」という言葉がぴったりだった。
理由は至極単純。
まだ首領の蝶々が眠っているにもかかわらず、大食堂では早朝から激しい「抗争」が勃発していたのである。
「蝶々様はお目覚めには、紅茶を召し上がるのです!鳥太郎様、出しゃばらないでくださいます…!?」
パンドラの声が食堂全体に響き渡る。両手を腰に当て、まるで女王が下僕を叱責するかのような態度だ。
「いやいや、蝶々ちゃんは、カフェオレが大好きなんだよ!君みたいな、蝶々ちゃんとの付き合いがまだ日が浅い部下じゃわからないけどね!僕の蝶々ちゃんは昔からカフェオレ派なんだから!」
対する鳥太郎は余裕の表情で反論する。その軽く鼻で笑う態度は、さらにパンドラの怒りを煽るのだった。
「あなたは蝶々様の好みを理解していなさすぎますの!」
「君こそ、昔のことを知らないくせに!」
食堂の真ん中で、二人の口論が激しさを増していく。その様子を食堂の隅で見ていたアンカーが、退屈そうに尻尾をいじりながらぼそりと呟いた。
「はぁ、また始まったかいな……ほんまアホらし。」
その隣では、チョコレートをかじるピエラが無邪気に笑っている。
「もぐもぐ♪やっぱり、パンドラとオッサンはいつでもケンカなのだー♪」
一触即発の空気に、ラルデュナが眉一つ動かさず乾いた声で言い放つ。
「アレ主蝶々二聞コエタラ……マタ鉄扇カ蹴リガ飛ンデ来ルト思ウゾ。」
そのタイミングで、遠くから眠たげな声が響いた。
「ふぁ……うぅ……うるさいなぁ……ど、どっちでもいいと思うけど……」
同じく目をこすりながら現れたエルが大きなあくびをしながら同調する。
「そうよね……朝っから五月蝿くって……ふぁ……朝早く起きちゃったじゃない……」
パンドラと鳥太郎の大げさな言い争いが、眠い目をこする幹部たちのため息にかき消されていった。
―――
一旦の解散を言い渡されたものの、鳥太郎とパンドラの対立は収まらなかった。
むしろ二人の熱はますます燃え上がり、「蝶々が寝ている間に、自分がどれほど優れているかをアピールする」という新たな企みへと発展していた。
蝶々の部屋の扉の前、薄暗い廊下で半液体化したパンドラが床に広がり、不気味な笑みを浮かべている。
「蝶々様……♥ ほ、ほんの少しだけ侵入をお許しくださいませ♥ これも、わたくしがどれほど優れているかを証明するため……ですわ♥」
妖しい声を漏らしながら、アメーバ状の身体を隙間へと滑り込んだ瞬間――
ブンッ!
「――あぶぅっ……!?」
強烈な音とともに、猛スピードで振るわれた鉄扇がパンドラを無慈悲に叩き潰した。
壁にへばりついたパンドラの残骸が、ベチャンという音を立ててゆっくりと床に落ちる。
飛び散ったパンドラは数秒後集まり元に戻っていく。
「お、おはようございます♥蝶々様♥」
蝶々は眠たげな目をこすりながら鉄扇を振り下ろし、淡々と呟いた。
「ああ……いい目覚めになった。」
その冷静な声にパンドラが萎縮しつつも、必死に話を続ける。
「それで…?一体、私の寝室に侵入して何をしようとしている…?」
「う、うふふ♥ そ、それは……わたくしの優れているところを……蝶々様に……お伝えするためでして……♥
ほんのちょっとの隙間さえあれば、このように簡単に侵入が―――」
しかしその言葉が最後まで紡がれることはなかった。
蝶々の放った一撃の蹴りがパンドラを無言で黙らせたからだ。
部屋に響くのは、蝶々の鉄扇が微かに風を切る音と、床に散らばった液体の小さな滴り音だけだった。
「ふぁ…まだこんな時間じゃないか…寝よう」
パンドラを外に放り出すと蝶々はあくびをすると眠りについた。
―――
「ふん……やはり、パンドラではダメなようだね……」
パンドラの侵入が鉄扇によって阻まれた後、廊下には壁沿いに腰を曲げ、何かを企んでいる鳥太郎の姿があった。
片手には、愛娘・蝶々のために用意したとおぼしき色鮮やかな花束を握りしめている。
「サプライズで喜ばない娘なんていないだろう。ああ、僕って気が利く最高のパパだね♪」
鼻歌交じりでつぶやく彼は、懐から細い針金を取り出し、蝶々の部屋の鍵穴を弄り始めた。
「蝶々ちゃん、パパだよ♪寝ている間に感謝のメッセージと花束を枕元にそっと置いて――」
カチャリ。鍵が開く音が静寂の中に響く。
鳥太郎は手際よくドアノブを回し、ゆっくりと蝶々の部屋の扉を開けた。
「おはよ――」
しかし、その瞬間――
ズドンッ!!
容赦のない鋭い蹴りが鳥太郎を捉え、勢いよく壁へと叩きつけた。
「ぐへぇぇっ!」と苦悶の声を漏らしながら崩れ落ちる鳥太郎。彼の手から花束が放たれ、宙を舞った後、無情にも床に散らばった。
蝶々は寝起きとは思えないほど冷徹な眼差しを彼に向け、無表情に言葉を紡ぐ。
「……父さん。何をしている?」
鳥太郎は壁にへばりついたまま、かろうじて口を動かして反論する。
「そ、それはね……サプライズで花束を蝶々ちゃんに届けようと思ったんだよ……ほら、起きた時に枕元に花束とメッセージカードがあったら蝶々ちゃん、絶対喜ぶだろ――」
その言葉を最後まで言い終える暇もなく、蝶々の追撃の蹴りが炸裂した。
「ぎゃふん!」
鳥太郎は再び壁に叩きつけられ、派手な音を立てて床に転がった。
「喜ぶわけないだろう……そもそも、私を『ちゃん』付けで呼ぶのをやめろ。あと、勝手に入るな……。まだこんな時間か……戻って、寝る……」
そう言い放つと、蝶々はバタンと音を立ててドアを閉めた。
静寂が戻った廊下には、無惨に散らばった花びらと、気絶した鳥太郎がただ横たわっているだけだった。
―――
昼過ぎ、不死鳥の幹部たちが再び会議室に集められた。蝶々が呼び寄せたのだが、なぜか鳥太郎も同席している。蝶々は腕を組みながら冷静な表情で説明を始めた。
「さて、これからの計画だが――」
だが、その話はすぐに中断させられることになる。
「蝶々様♥このお洋服、明日はこれがぴったりですわ♥絶対にお似合いです♥ぜひわたくしの考えた服をお召しになって♥」
「いやいや、そんな服はダメダメだね!蝶々ちゃんにはこれだよこれ!ほら、昔から青が好きだったからね!蝶々ちゃんの可愛さを引き立てるには、これしかない!」
「何を言ってるの!蝶々様の好みは――!」
「君は蝶々ちゃんを分かってな――」
バン!
「2人とも……黙れ。」
蝶々が机を叩き、鋭い目で2人を睨みつける。瞬時に会議室の空気が凍り付き、全員が押し黙った。
蝶々は大きなため息をつきながら、冷ややかに口を開く。
「どうやら……お前たちには“お仕置き”が必要なようだな。」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼女の鉄扇が閃き、鋭い足技が続いた。鉄扇と足技による制裁の嵐――。会議室はさながら地獄絵図と化した。
―――
会議終了後。静まり返った廊下にて、ラルデュナ、アンカー、ピエラ、エル、そしてアールが集まり、適当に言いたい放題を始める。
「主蝶々モ本当、大変ダナ。アノ2名ノトリ扱イ。」
ラルデュナが無表情のまま静かに吐き捨てた。
「ホンマや、蝶々はんがホンマに気の毒や。」
アンカーが肩をすくめながら溜息混じりに言う。
「もぐもぐ♪でも楽しいのだー!」
ピエラがチョコを口に放り込みながらお気楽に笑った。
「ねぇ……いつまで続くのかしら、この茶番劇……。」
エルはゲームの画面から目を離さないままぼやいた。
「ボ、ボク、あんまり関わらない方がいいかなぁ……。」
アールは怯えた様子でそっと呟いた。
幹部たちが思い思いの感想を述べる一方で、蝶々の苦労がまた増えたことは間違いなかった。
しかし――少しだけ微笑みを浮かべる蝶々の姿があった。
厄介で喧しい幹部たちとの日々。手のかかる彼らに振り回されるのもまた、自分にとっての大切な日常だと分かっているからこそ。
不死鳥の羽に広がる賑やかな日常。その中心には、いつも蝶々が立っていた――。




