第四十四作戦:暗黒の囁き ―バグズ…始動!
満田市の夜は静寂に包まれていた。残業を終え、終電ギリギリで帰宅途中の一人の女性が、ひんやりとした夜風の中、薄暗い街路を歩いていた。
「……なんだろう。耳元で…音…?声がする?」
女性は眉をひそめ、立ち止まり辺りを見回す。しかし、人影はなく、聞こえてくるはずの声も途切れてしまう。不安を感じた彼女は足を早めるが、その足音が空虚な静けさに吸い込まれるようで、彼女の恐怖を煽っていく。
それでも周囲には誰もいない。それなのに、今度は耳元で確かな囁きが響いた。
「逃げても無駄ですよ、レディ……」
「だ、誰っ!?」
女性の声は震え、返答はなく、代わりに暗闇の中で不気味な影が蠢き始めた。闇から一歩ずつ姿を現したのは、異形の怪人だった。漆黒に光る体躯、細長く動く触覚、そして何より、その足元に集まり蠢く無数のゴキブリたちが、女性の背筋を凍らせた。
「ゴ……ゴキブリ!? きゃぁぁぁ!」
女性は悲鳴を上げ、後ずさる。だがその場に腰を抜かし、逃げ出すこともできない。
異形の怪人は悠然と女性を見下ろしながら話し出した。
「やれやれ……悲鳴を上げるなんて、失礼なレディですね。私たちはまだ…何もしていないと言うのに…」
その声は驚くほど滑らかで、ぞっとするほど冷静だった。そして、怪人はふっと笑みを浮かべ、両腕を広げる。
「ですが、あなたがたの恐怖……実に美味です。」
その冷たい言葉が響くと同時に、怪人の背後に蠢いていたゴキブリたちが一斉に動き出した。その勢いで女性の周囲を取り囲み、不規則でおぞましい動きで近づいてくる。
「……ひ、ひぃぃ……! た、助け――っ!」
叫びもむなしく、ゴキブリの大群が女性の体を這い回り始めた。
その姿を支配するゴキブリ型怪人、『クロガネ』。彼の指示を受けたゴキブリの群れが、絶え間なく女性を飲み込み、ついには彼女の体中に侵入し始める。耳、口、鼻――穴という穴から入り込むゴキブリにより、恐怖のあまり声すら出せなくなった女性は、じわじわとその存在を塗り替えられていく。
数分もしないうちに、蠢く群れは不気味な静けさを取り戻し、クロガネの足元へ戻っていく。
その場には女性のものと思われる食い荒らされた服の一部だけが、無残にも取り残されていた。
クロガネは再び冷静な笑みを浮かべると、空に向かって声を放つ。
「さぁ……楽しい世界征服の始まりです!」
彼の背後で闇に溶け込むゴキブリたちが再び動き始めた。夜の静寂を破る囁きが、再び風に乗って満田市の中に広がっていくのだった――。
―――
伏見蝶々は、アジトの中心で待機しているところだった。地下の薄暗い部屋の中、彼女の前に現れたのは、参謀であるスライム怪人・パンドラだった。その常に冷静で優雅な立ち振る舞いが特徴の彼女が、今回はどこか険しい表情を浮かべている。
「蝶々様、少々お時間をいただいても?」
「……どうした?」
蝶々はその冷静な響きに顔を上げる。パンドラの手にはタブレットが握られており、そこに映る情報は見覚えのないデータだった。
「満田市で新たな勢力の怪人が現れました。確認されたのは、ゴキブリ型の怪人ですの。」
「……ゴキブリ?」
蝶々は眉をひそめた。その一言を耳にした瞬間、彼女の心に嫌な予感が広がる。
「加えて、先日目撃された例の“バグズ”たちとも、このゴキブリ型怪人が一緒にいたという情報も入っていますの。」
「バグズか……となると、やはりカブトとクワガタ以外にも、あの一団にはもっといる可能性があるな。」
蝶々は腕を組んで考え込む。だが、その顔にはわずかな険しさが滲み出ていた。
「それにしてもゴキブリか……なんとも嫌な相手だ……。」
パンドラは蝶々の表情をじっと見つめ、その隠しきれない感情を察して、ふっと口元に意地悪な笑みを浮かべた。
「ふふふ……蝶々様。お顔が随分険しいですわね。」
パンドラは蝶々に一歩近づき、その反応を楽しむようにさらに詰め寄る。
「蝶々様、ゴキブリが……お苦手なんですね♥ ああ、蝶々様もこうして見ると普通の女性らしさをお持ちなんですね! なんて可愛い……♪」
「……」
「ふふ♥ ですがご安心を。このわたくし、パンドラが蝶々様をお守りいたしますわ♥」
突然、パンドラは蝶々に妙に親しげな笑顔を浮かべると、自然な仕草の中でそっと手を伸ばしてボディタッチを試みた。
蝶々はその手を感じると無言で拳を振り上げ、パンドラの顔面に全力で叩き込んだ。
「……なんて素敵な愛……♥ 蝶々様からのお気持ち、しっかり受け取りましたわ♥」
頭部が吹き飛んだパンドラは、直後に再生を終え、相変わらず満面の笑みを浮かべている。
蝶々は深く息を吐き、冷静さを取り戻しながら指示を出した。
「私、ピエラ、そしてお前の三人で対処する。他は待機。そう全員に伝えろ。」
「かしこまりましたわ♥」
パンドラが軽くお辞儀をし、再び満面の笑みで退出するのを見届けると、蝶々はまた一つ深いため息をつく。
その頃――
街では、もう一人、事態を察知して行動を始めた者がいた。満田市をパトロールしていたヒーロー「マスクド・ドラゴン」である、竜面寺たつみだ。
夜の街を駆ける彼女は、突如、奇妙な気配とともに耳に不気味な囁き声が聞こえ始めた。
「……な、何なの……この声……?」
彼女は顔を曇らせ、街中に漂う違和感の正体を探る。
すると、ビルの合間から蠢く不吉な影がわずかに目に入った。
「嘘…でしょ…。ゴキブリ…?しかも…あんなたくさん…も、もしかして今回の敵は
ゴキブリの怪人…?」
たつみは一瞬言葉を失いそうになる。
それでも、頭の中で明確に響くヒーローとしての自覚が、動揺を押さえ込み、彼女を行動させた。
「でも……街を守るため、やらなくちゃ!」
辰美は大きく息を吸い込むと、決意を新たに怪物たちが潜む闇の中心地へと歩を進めていった。彼女の足音だけが、夜の静寂を裂くように響き渡った――。
―――
夜の満田市。広場には多くの人々が行き交い、明るい電光と賑やかな笑い声に包まれていた。
しかしその喧騒を裂くように、群れのような何かが街灯の下を這い始める。その中心に、黒光りする異形の怪人がゆっくりと姿を現した。
「子供たち、準備はいいですか?」
不気味な声が響き渡り、それに応じるようにゴキブリたちが四方八方に散らばる。
「きゃああああっ!ゴキブリぃっ!」
「なんでこんなにいるんだよ!助けてくれ!」
市民たちは悲鳴を上げ、我先にと逃げ出した。しかし、逃げ遅れた数人はゴキブリたちの群れに呑み込まれていく。
広場に漂う恐怖の空気を感じ取り、怪人クロガネは肩をすくめて嘆くように言った。
「やれやれ……子供たちはいつも食欲旺盛で困りますねえ。あんまり暴れすぎると、せっかくの獲物が散ってしまいますよ?」
そう言ってクロガネが笑みを浮かべた瞬間、冷たい風が吹き抜ける。その風に乗って、ひらりと舞い降りる影があった。
「……まんま、ゴキブリだな。」
静かな声とともに、その影の正体――蝶々が姿を現した。その後ろには、不敵な笑みを浮かべるパンドラと興奮気味のピエラが続いている。
「美味しそうなのだ!」
ピエラがゴキブリたちを指差し、舌なめずりする。だが、蝶々が冷たい視線を向けて警告した。
「ピエラ、食べるな。病気になる。」
ピエラはしゅんと肩を落としたが、目はまだゴキブリを追っている。
クロガネは三人の登場に気付き、ゆっくりと一礼した。その顔には冷静さと邪悪さが入り混じっていた。
「これはこれは……不死鳥の羽様ではございませんか。噂はかねがね。マスク・ド・ドラゴンとの戦いなど、個人的に興味深――」
「…無駄話に付き合う気はない。」
蝶々は鋭い眼差しでクロガネを睨みつけた。
「お前に二択をやる。不死鳥の羽の支配下に下るか、死ぬか。三秒以内に答えろ。」
その挑発的な言葉に、クロガネは肩を揺らして笑った。
「クフフフ、新しい首領様はずいぶん好戦的なんですねぇ……嫌いではありませんが…いささか失礼ですよ。」
クロガネが指を鳴らすと、周囲のゴキブリたちが一斉に蝶々たちを目がけて襲いかかる。
「…交渉決裂、だな。」
蝶々は腰から鉄扇を取り出し、静かに振りかぶった。その動きに合わせて冷たい風が吹き荒れ、ゴキブリたちの動きが一瞬鈍る。
「ふふふ……蝶々様に盾突いたんですもの。生きて帰れるなんて思わないことね。」
パンドラが不気味な笑みを浮かべ、粘着質な液体を手に纏わせる。
一方でピエラは床を這うゴキブリをつまみ上げ、口元へ近づけて舌をペロリと出した。
「じゃりじゃり……ん~♪これスナックにいいのだっ!」
「だから食べちゃダメだって言ったでしょ!」
蝶々がピエラを一喝するが、ピエラはケロリとしている。
クロガネはその様子を見て、冷たく笑った。
「これは罪ですね……私の愛しい子供たちを食べるとは。しっかり償ってもらいますよ!」
ゴキブリたちが次々と三人を包囲し始める。蝶々は再び扇を構えると、一言鋭く指示を飛ばした。
「全員、構えろ!」
その号令とともに、三人の戦闘態勢が整う。パンドラは不敵な笑みを浮かべ、ピエラは楽しげに跳ね、蝶々は静かに闘志を燃やす。
満田市の広場で、不死鳥の羽とクロガネとの激しい戦いの幕が切って落とされた――。
―――
満田市の歓楽街。眩しいネオンに彩られた通りを覆うように、不気味な影が蠢いていた。
「今日は盛大に暴れてやるぜぇ!」
甲高い声とともに、大柄な怪人・武人兜が両手に槍を構えながら叫ぶ。その背後には無数のゴキブリがうごめき、人々に恐怖を与えていた。
「さぁ、行くんだ。我々の力を存分に示せ」
冷徹な声で命令するのはシザーエンペラー。異様に大きなハサミを片手に、優雅に歩を進める。そして、彼らの周囲で市民たちが絶叫していた。
「いやああっ!助けてぇ!」
「誰かっ、誰か来て――!」
歓楽街に響く悲鳴と喧騒の中、たつみ――マスク・ド・ドラゴンが現れた。華やかなコスチュームと鋭い眼光で、怪人たちに向かって指を突き付ける。
「やめなさいっ!」
その声に反応した武人兜とシザーエンペラーが振り返る。武人兜は笑みを浮かべ、大声で答えた。
「おやおや、また会ったな、マスク・ド・ドラゴン!今日は特別だぜ!俺たちが単独で動いてるんじゃねぇ!」
「そう。僕たちには強大なる指揮官がいるんだよ。その名も、クロガネ様。」
「クロガネ…?」
たつみは怪人の口から出た名前に眉をひそめた。その視線の奥には焦燥の色が滲む。
(やっぱり……あの広場の異変と繋がっている。この二人だけじゃなくて、さらに強力な何かが動いている!)
ふと遠方から、また別の悲鳴が聞こえてくる。広場に集う市民たちの声。たつみはハッと顔を上げた。
(あの声、別の場所でも……クロガネって奴がそこに……!急いで向かわないと!)
だがその焦りを見透かしたように、シザーエンペラーが口元を歪めた。
「向こうの騒ぎが気になるのかい?残念だけど、君には僕たちの相手をしてもらうよ!」
「おうよ、こっちはこっちで盛り上げてやるぜぇ!」
武人兜が槍のような鋭い角を振りかざし、周囲の地面を揺らす。ゴキブリたちがその隙を狙ってたつみに殺到し始めた。
「くっ……(早く終わらせないと、この街が滅ぶ……!)」
たつみは覚悟を決め、戦闘態勢に入る。拳を握り締め、静かに一息つく。
「誰であろうと、この街を脅かす奴は許さない――!」
たつみ対武人兜&シザーエンペラーの戦いの幕が切って落とされた――!




