第三十九作戦:飽きっぽい人間たちと蝶々の新たな計画
人間とは不思議な存在だ。ほんの少し前まで街中で叫ばれていた「マスク・ド・ドラゴン」の名前も、今ではSNSのトレンドから消え失せている。今や話題になるのはファンクラブ内の雑談程度――これが現実だった。
「あぁ、トレンドなんてそんなもんやなぁ。」
薄暗いアジトの一室で、飴玉をくわえながらアンカーがぼそりとつぶやいた。隣では、ピエラが鶏の足にかぶりつきながら何度も頷いている。
「おいしい食べ物も一緒なのだ。けど、チキンは全然あきないのだっ!」
チキンの骨をバリバリと音を立てながら、ピエラが力説する。机の上には無数の皿――もちろん、その全てが鳥関連の料理で埋め尽くされている。
「そもそも毎日追っかけまわされる方が異常や。一般人ってな、面白いもんがあればすぐそっち行くねん。」
アンカーがそう言って肩をすくめると、パンドラが美しい瞳をわずかに細めた。
「そうかしら…?」
彼女の口調には少しの抗議が混じっていた。蝶々をじっと見つめながら、指先でわざとらしくテーブルの端をなぞる。
「まだ、あの者の存在感を利用する手があると思いませんこと?蝶々様。」
蝶々は壁に背を預けていたが、じっくりとパンドラの言葉を咀嚼するように目を細めた。
長い沈黙の末、手を胸元で組み、あくまで冷静に答える。
「あぁ、分かっている。だが――」
パンドラは嬉しそうに頷いたが、その先の言葉が続くと、彼女の表情に少しの疑問が浮かんだ。
「既存のやり方に頼りすぎていては面白くない。」
ピエラが骨を吐き捨てるように叫ぶ。
「でも、ちょー様。ピエラちゃんは楽しい方がいいのだ!」
アンカーも飴玉を舌で転がしながら合いの手を入れる。
「変わった方法っちゅうのは具体的にどんなん考えてはんの?」
蝶々は静かに考え込む。世界征服のために名を利用するにも、無駄な力を使わない、的確かつ予想外の一手――そんなことを考えながら口元に苦笑を浮かべた。
「考えるさ。その前に、お前たちにはまず無駄に食うのをやめてもらうがな。」
机の上に広がる鶏の山を一瞥しながら、パンドラは微笑を浮かべた。
「蝶々様、また何か素敵なアイデアがございましたら、このパンドラにぜひ…♥」
スライム幹部の言葉には少しも飾らない忠誠がこもっていたが、背後でアンカーが小声で呟くのが聞こえた。
「ほんま、変わり者しかおらんなぁ、ここ……」
―――
会議室に緊張が走る。蝶々が重い足取りで部屋の中央に立ち、モニターを操作する。
その背筋はいつも以上にピンとしており、一言も発していないのに、部屋の空気が押しつぶされるような感覚を皆が覚えた。
「"善悪逆転洗脳作戦"」
モニターが点滅し、一同が瞬きを忘れてその文字を凝視していた。
蝶々が振り返ると、いつもの無表情な顔にほんの少し、ほんの少しだけ得意げな笑みが浮かんでいた。
「人間というものは、情報操作に弱い生き物だ。今、我々は"悪"とされ、マスク・ド・ドラゴンは"善"のヒーローとして持て囃されている。だが……もし、その善悪が逆転したら?」
一瞬、会議室は静寂に包まれた。怪人幹部たちは呆然とした表情で蝶々を見つめる。異様な間が数秒続いた後――
「うふふ♥」
真っ先に拍手を始めたのはパンドラだった。彼女は立ち上がり、手を叩きながら興奮気味に叫ぶ。
「さすが蝶々様!なんて大胆で素敵な発想でしょう♥」
それに釣られて他の幹部たちも一斉に拍手を始める。エルはニヤリと口角を上げて蝶々を見つめた。
「アタシたちが"善"で、あのヒーローが"悪"になる……ってこと?」
「そういうことだ。」
「…で、でも、ど、どうやって?」
声を震わせたのはアールだった。彼はエルの影に隠れるようにして、そっと首を傾げる。
蝶々はアールに目を向け、わずかに眉を上げる。次の言葉が幹部を安心させるか、それとも不安を煽るか分からない…その緊張が幹部たちの間に広がった。
口元を引き締め、意味深な微笑みを浮かべたままこう告げる。
「それは…楽しみにしておけ。」
ピエラがチキンの骨をかじりながら興奮気味に跳び上がる。
「おぉ!ちょー様、かっこいいのだ!」
パンドラは目を輝かせ、アンカーはまた飴玉をくわえて肩をすくめた。エルとアールは未だ疑問を抱えたような表情を浮かべつつも、その計画の結果に想像を巡らせている。
蝶々は最後にモニターを一瞥すると、くるりと背を向け会議室を後にした。その姿は、静かだが確かに未来を動かそうとする首領そのものだった。
―――
アジトの広間で、幹部たちがそれぞれ好き勝手なことをしている中、パンドラは背筋をぴんと伸ばしながら、愛用のスマホを手に微笑んでいた。
画面には、彼女のファンクラブの掲示板が映し出されている。そこには熱狂的なファンたちが昼夜問わず投稿しているメッセージが無数に並んでいた。
「今日もわたくしを敬うコメントが溢れてますわ…♪」
パンドラは夢見心地で呟きながら、紅茶を飲む。
その様子を、横で足を組みながら菓子をつまんでいたエルが見逃すはずもなかった。
「ひっひひ!パンドラ、まだ、ガチのファンがいるなんて驚きよ。しかも減らないとか、ほんっと粘着質すぎ!」
腹を抱えて笑うエルに、アールが心配そうに彼女の肩を掴む。
「エル……あんまり言うと、また怒られるよ……」
だが、パンドラはそんな挑発をスルーするどころか、むしろ堂々と反撃する構えだった。彼女は自慢げに胸を張り、反論を開始する。
「失礼ね…彼らこそが真の崇拝者というものですわ。数ではなく質よ♪」
「エルは「真顔で言うなってば……」と呆れた顔をしていたが、その横でアンカーが何か思いついたように声を上げた。
「せやけど、そないにええファン持っとるならさ、あんたアイドルデビューしたらどうや?蝶々はん喜ぶかもしれへんで…?」
「…それは…いいえ…何でもないわ」
パンドラは一瞬、それもありかもと思ったが、主である蝶々の性格を考えると眉を顰め
無駄なことをするなとお叱りを受けるだろうと思い、言葉を飲みこんだ。




