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落語【声劇台本書き起こし】

落語声劇「佐野山」

作者: 霧夜シオン
掲載日:2024/10/16


落語声劇「佐野山(さのやま)」


台本化:霧夜(きりや)シオン@吟囁亭喃咄(ぎんじょうていなんとつ)


所要時間:約30分


必要演者数:6名

      (0:0:6)

      (6:0:0)【性別準拠人数比率】

      (5:1:0)

      (4:2:0)

      (3:3:0)

      (2:4:0)

      (1:5:0)

      (0:6:0)


※当台本は落語を声劇台本として書き起こしたものです。

よって性別は全て不問とさせていただきます。

(創作落語や合作などの落語声劇台本はその限りではありません。)


※当台本は元となった落語を声劇として成立させるために大筋は元の作品

 に沿っていますが、セリフの追加及び改変が随所にあります。

 それでも良い方は演じてみていただければ幸いです。



●登場人物


佐野山(さのやま):小兵(こひょう)(体格が小柄)だが十両筆頭(じゅうりょうひっとう)。親孝行で有名。

    母親が大病(たいびょう)を患(わずら)ったため、その治療に自分の食費まで回してしま

    い、結果勝負で勝てずに黒星(くろぼし)続きで九連敗を喫(きっ)してしまう。


谷風(たにかぜ):大横綱(だいよこづな)、谷風梶之助(たにかぜかじのすけ)。

   人情を解し、品格抜群(ひんかくばつぐん)と称される。

   長い大相撲の歴史の中でも屈指の強豪とされる力量を誇り、文献な

   どから初代の横綱と扱われている。現在の宮城県仙台市の出身。

   幼少から怪力で、七人がかりで持ち上げる天秤石(てんびんいし)をたった一人で

   持ち上げたと伝わる。

   佐野山(さのやま)の実力にそぐわない散々な戦績を訝(いぶか)しんでいたが、佐野山(さのやま)の

   母を治療していた医者から話を聞いた事で、何とか力を貸してやり

   たいと思案する。


医者:佐野山(さのやま)の母を治療している。

   佐野山(さのやま)の経済状況が厳しい事を知り、支払いは後でも良いと言うが

   聞き入れない。谷風(たにかぜ)と会話した際にその話を出す。


木村庄之助(きむらしょうのすけ):行司(ぎょうじ)の最高位。

      相撲番付(すもうばんづけ)に例えると、東の横綱に相当する。

      ちなみに西の横綱相当の行司(ぎょうじ)は式守伊之助(しきもりいのすけ)。

      現代にいたるまでその名は受け継がれている。


親方:谷風(たにかぜ)の親方。

   谷風(たにかぜ)から千秋楽(せんしゅうらく)の対戦相手を佐野山(さのやま)に変えて欲しいと頼まれ、

   了承する。


伊丹屋(いたみや):佐野山(さのやま)の贔屓(ひいき)・ファン。戦績(せんせき)の振るわない佐野山(さのやま)を元気づけるべ

    く、谷風(たにかぜ)に勝ったら千両(せんりょう)の祝儀(しゅうぎ)を出そうと約束する。


町民1:江戸っ子その1。


町民2:江戸っ子その2。


町民3:江戸っ子その3。


語り:雰囲気を大事に。




●配役例


佐野山:

谷風:

伊丹屋・町民3:

親方・町民1:

木村・町民2:

語り・医者:



※枕は佐野山(さのやま)役以外の誰かが適宜(てきぎ)に兼(か)ねてください。



枕:我が国日本の国技(こくぎ)、相撲(すもう)。

  その起源(きげん)は古事記(こじき)にまで書かれているほど古く、歴史あるものでござ

  います。

  戦国時代になると、武士の訓練の一環(いっかん)として盛(さか)んに行われました。

  中でも織田信長(おだのぶなが)は深く相撲(すもう)を愛好(あいこう)し、安土城(あづちじょう)で各地から力士(りきし)を集めて

  上覧相撲(じょうらんずもう)を催(もよお)し、勝ち抜いた者を家臣として召(め)し抱(かか)えたといいます。

  さらに時代が下がって江戸時代の寛政期(かんせいき)、第11代将軍、徳川家斉(とくがわいえなり)の

  御代(みよ)の頃、谷風(たにかぜ)、小野川(おのがわ)、雷電(らいでん)、阿武松(おうのまつ)などの強豪力士(きょうごうりきし)が現れます。

  さらには将軍上覧相撲(しょうぐんじょうらんずもう)も行われ、大いに隆盛(りゅうせい)を極めました。

  この頃に今の大相撲(おおずもう)の基礎(きそ)が確立(かくりつ)されたと言って良いでしょう。

  さて、そんな伝説とも言うべき力士(りきし)たちがひしめく中、佐野山(さのやま)という

  力士(りきし)がおりました。

  小柄(こがら)ながら実力もあり、贔屓(ひいき)の客もいるほどでしたが、

  ある時、母親が大病(たいびょう)を患(わずら)ってしまいます。

  幕内(まくうち)とはいえ最下級の十両(じゅうりょう)、高額な薬の支払いにほとんどが消えてし

  まうのでした。


佐野山:先生、いつもすまねえ。

    これが今回のお代(だい)だ。


医者:…佐野山(さのやま)さん、こんなこと言うのもなんだけど…

   お前さん、ほとんど食べてないだろ。


佐野山:!! はは…いやあ、先生の目はごまかせないなあ。

    でも、全然食べてないってわけじゃねえんだ。


医者:でもね、私があなたのおっかさんを初めて診(み)た頃(ころ)から比べると、

   目立(めだ)ってやせてる。

   身体を動かす体力を維持(いじ)するだけのメシを食ってない証拠(しょうこ)だ。

   食べてるというけど、一体何を食べてるんだね?


佐野山:少しの米を炊(た)いて、おかゆにして食べてます。


医者:バカな、それじゃ腹が満たされるわけがない。

   診察や薬代(くすりだい)の支払いは後でまとめてでもいいんだ。

   今は、自分の食事を確保するのが先だよ。


佐野山:いや、ツケておくのはどうも心持(こころも)ちが悪くて。


医者:お前さんが律儀(りちぎ)なのは分かってる。

   だからこそ、後でもいいと言ってるんだ。


佐野山:先生…お代(だい)を、納(おさ)めてください。


医者:……分かった。


佐野山:じゃ、わしぁこれから取り組みがありますんで。


語り:取り組みに向かう佐野山(さのやま)。当時、十両筆頭(じゅうりょうひっとう)でした。

   しかしこの十両筆頭(じゅうりょうひっとう)という地位は別名・貧乏神(びんぼうがみ)と呼ばれます。

   なぜかと申しますと、東西に分けられた力士(りきし)は今と同じく西同士・

   東同士では対戦しませんが、当時の力士(りきし)は病気での欠場が多かった

   そうです。

   なので三役(さんやく)…いわゆる関脇(せきわけ)・小結(こむすび)・大関(おおぜき)などが休場(きゅうじょう)して取り組みの

   人数が足りなくなると、十両筆頭(じゅうりょうひっとう)をぶつけるなんて事がよくあった

   とか。

   これがなかなか勝てない。その為に番付(ばんづけ)が上がったり下がったり、

   行ったり来たりを繰り返す。それゆえの貧乏神(びんぼうがみ)。

   そこへ自身の空腹も合わさって余計に佐野山(さのやま)の黒星(くろぼし)は続き、

   ついには立ち会う前に目を回して倒れてしまう有様(ありさま)。


町民1:おい聞いたかい。

    佐野山(さのやま)の奴、塩をまいてる時に目ぇ回して、

    立ち会う前にすっ転(ころ)んじまったって話だ。


町民2:佐野山(さのやま)ってあの、十両筆頭(じゅうりょうひっとう)の貧乏神(びんぼうがみ)かい?

    もうこれで九連敗だって聞いたぞ。


町民3:こりゃあ、佐野山(さのやま)は今場所(こんばしょ)限りで引退だな。

    あんな見映(みば)えしねえ小兵(こひょう)だと、ついてる贔屓(ひいき)も離れるだろ。


町民1:引退したら最後、路頭(ろとう)に迷うぞ。

    おっかさんがいるようだが、松の肥(こ)やしになってしめえだな。


町民2:可哀想(かわいそう)に、せめて他の仕事してりゃあ良かったものをよ。

    なまじちょいと力があるからって、フンドシ担(かつ)ぎになっちまった

    のがそもそもの間違(まちが)いってやつだ。


町民3:違いねえ。

    さて、今日の谷風(たにかぜ)の取り組みは絶対見なきゃな!


語り:事の真実を知らない者ほど、言いたい放題するものでございます。

   口さがない江戸っ子たちの立ち話を茶屋(ちゃや)の影でじっと聞いている者

   が一人いました。

   大相撲初代横綱(おおずもうしょだいよこづな)にして力量(りきりょう)・人格(じんかく)共に力士(りきし)の模範(もはん)たるべき者として

   名高(なだか)い、谷風梶之助(たにかぜかじのすけ)、その人であります。


谷風:…。

   妙な話だ。

   佐野山(さのやま)は体格は小兵(こひょう)とはいえ、まだ伸びしろがある奴だ。

   なのに九連敗というのは、何かわけでもあるんじゃないのか…?


医者:おや、横綱(よこづな)じゃあありませんか。

   ご無沙汰(ぶさた)してます。


谷風:おぉ先生、お久しぶりですな。


医者:どうなすったんです?

   何やらむずかしい顔をなさってましたが。


谷風:いや、実はさっきそこで町の者が噂(うわさ)してたのが耳に入りましてな。

   佐野山(さのやま)が今場所(こんばしょ)限りで引退するんじゃないか、と。


医者:!

   そのことなんですが、実はあたくし、佐野山(さのやま)さんのおっかさんを

   治療しているところでして。


谷風:なるほど、先生が佐野山(さのやま)のおっかさんを診(み)ておられたんで。

   それで、具合(ぐあい)はどんなです?


医者:ええ、もうだいぶ良くなったんですが、まだ気は抜けなくて。

   佐野山(さのやま)さんは毎回無理して診察と薬の代金を、そのつど支払って

   くれるんですが…どうやら、自分の食い扶持(ぶち)もお金に替(か)えてるみ

   たいなんですよ。


谷風:それで立ち会う前に目を回して倒れたのか…。

   当然じゃ、力士(りきし)は呑(の)めば呑(の)み力(りき)、食えば食い力(りき)、

   それだけの力が出るもんだ。

   そいつを減らしちまったら、勝てるもんも勝てねえ。

   そうか、そういうことだったか…。


医者:あたしは、支払いは後でまとめてでも良いっていつも言ってるんだ

   が、ツケは心持(こころも)ちが悪いからと…。


谷風:ううむ、佐野山(さのやま)はまだこんなところで終わる奴じゃない。

   それに親孝行な者が困っているのをうっちゃっておくのは、わしの

   相撲道(すもうどう)に反するし、相撲界(すもうかい)にとっても恥(はじ)だ。

   …よし、わかった。

   先生、今の話は内密に…その代わり、ひとつ噂(うわさ)を広めてもらいたい

   。


医者:ほう、噂(うわさ)ですか。

   どのような?


谷風:わしに若い女が出来て、それまで通ってた柳橋(やなぎばし)の年増(としま)の女から

   足が遠のいた。

   今は落ち目の佐野山(さのやま)が、それとねんごろの仲になったのをわしが

   知った。

   これは許しておけない、土俵(どひょう)の上で佐野山(さのやま)を叩き殺すかもしれない

   と。


医者:えっ、それはつまり、横綱(よこづな)が佐野山(さのやま)さんと対戦すると?


谷風:親方衆(おやかたしゅう)にはわしから組んでもらえるよう頼んでおこう。

   ちょうど明日は千秋楽(せんしゅうらく)、人も多く集まるだろうからうってつけじゃ

   。


医者:ははぁ…なるほど、そういうことですか。

   わかりました。あたしに任せてください。

   それと、この事は口が裂(さ)けても周りには言いませんから。


谷風:頼みます。


語り:何事(なにごと)か決意した谷風(たにかぜ)、茶屋(ちゃや)を出るとさっそく親方衆(おやかたしゅう)の元へ向かいま

   す。折(おり)しも親方衆(おやかたしゅう)は膝(ひざ)を寄せ集めて千秋楽(せんしゅうらく)の話し合い、とは言って

   も取り組みは小野川(おのがわ)と谷風(たにかぜ)で決まりだろうという流れの中、不意(ふい)に

   谷風(たにかぜ)がやって参りました。


谷風:親方(おやかた)、ちょっとよろしいですか?


親方:おお谷風(たにかぜ)、どうしたんじゃ?

   いま、千秋楽(せんしゅうらく)の取り組みを話しあっとったんじゃが…。


谷風:そのことなんですが…親方(おやかた)、ひとつ、わしの我儘(わがまま)を聞いてもらえま

   せんか?


親方:なんじゃ、急に改まって。


谷風:明日の千秋楽(せんしゅうらく)の取り組み、わしと…佐野山(さのやま)にしてもらいたいんじゃ

   。


親方:なに、佐野山(さのやま)ァ!?

   あの「出ると負け」とか!?


谷風:なんです、その、「出ると負け」てのは。


親方:いま奴は全敗中(ぜんぱいちゅう)じゃろ。

   出ると負けてばっかりだから、わしらの間で今そう呼ばれとるんじ

   ゃ。


谷風:そらぁあんまりじゃ。

   実力がのうて負けとるわけじゃなかろうに。


親方:とにかく、明日の千秋楽(せんしゅうらく)の結(むす)びの一番は、谷風(たにかぜ)と小野川(おのがわ)、

   東西(とうざい)の両横綱(りょうよこづな)と決まっとるんじゃ。

   それが「出ると負け」の佐野山(さのやま)と組ませたら、だいいち客が納得(なっとく)せ

   ん。


谷風:それは分かっとるんです。

   分かったうえでこうして無理を言っとるんです。

   これっきりにしますから、明日は何とか佐野山(さのやま)と取らしてください

   。


親方:ならん! 客が納得(なっとく)せんと言っとるのが分からんのか!


谷風:…そんなら結構(けっこう)。

   わしは明日、土俵(どひょう)へは上がらん。


親方:なっ、なっ、なんじゃとォ!?


谷風:わしも思うところあってこうして頼んでるんです。

   佐野山関(さのやまぜき)と取らしてもらえんなら仕方ない。

   明日の千秋楽(せんしゅうらく)は小野川(おのがわ)の不戦勝(ふせんしょう)で決まりでしょうな。


親方:そ、そんな締(し)まらん千秋楽(せんしゅうらく)があるか!

   むぅぅ~~…ッ。


   ……分かった。

   お前に何か考えがあるんじゃろ。

   そこまで言うなら、明日は佐野山(さのやま)と取らそう。


谷風:取らしてもらえますか?


親方:ああ、大丈夫じゃ。

   何か言われたら、わしが尻(しり)を引き受ける。

   明日の先触(さきぶ)れを言う者らには、ちゃんと言っておくからな。


谷風:親方(おやかた)…ありがとうございます。


親方:…谷風(たにかぜ)。


谷風:? なんです?


親方:横綱(よこづな)というのはな、心(しん)・技(ぎ)・体(たい)の全(すべ)てにおいて優れてなくてはなら

   ん。

   力士(りきし)たちの模範(もはん)でなくてはならん。

   お前の技(わざ)と体(からだ)は申し分ない。心はどうだろうかと思っとったが…、

   今日はっきりとわかった。

   谷風(たにかぜ)、お前は正真正銘(しょうしんしょうめい)の立派な大横綱(だいよこづな)だ。

   わしから言えるのはそれだけじゃ。


谷風:親方(おやかた)…ありがとうございます…!!


親方:どれ、先触(さきぶ)れに伝えてくるか…。


語り:かくして親方(おやかた)の説得に成功した谷風(たにかぜ)。

   それから街には顔の長い者、べらんめぇ口調(くちょう)の者、痩(や)せてるが声の

   よく通る者、さまざまな先触(さきぶ)れ達が明日の千秋楽(せんしゅうらく)の取り組みを触れ

   て回ります。

   「明日の千秋楽(せんしゅうらく)結(むす)びの一番、谷風(たにかぜ)、佐野山(さのやま)~ッ!」

   これを聞いた江戸の町民たちは大騒ぎ。

   てっきり東西(とうざい)の横綱(よこづな)の大一番(おおいちばん)が見れると思っていただけに、

   驚きはひとしおであります。


町民1:おっ、おいッ、聞いたか!?

    明日の千秋楽(せんしゅうらく)、谷風(たにかぜ)と…佐野山(さのやま)らしいぞ!?


町民2:ええっ、谷風(たにかぜ)と小野川(おのがわ)じゃねえってのかい!?

    

町民3:こりゃ前代未聞(ぜんだいみもん)の珍事(ちんじ)だ。


医者:ははぁ…なるほどなァ…。

   そりゃあそうなるな…。


町民1:ん? 医者の先生、さっきから一人うんうん言ってるけど、

    何か知ってるのかい?


町民2:おい皆、この医者先生、何か知っとるみたいだぞ。


町民3:先生、なんで佐野山(さのやま)が横綱(よこづな)とあたることになったんだ?


医者:ああ、いやね、これはおそらく遺恨相撲(いこんずもう)だよ。


町民1:えっ、遺恨相撲(いこんずもう)!?


町民2:まさか…谷風(たにかぜ)ほどの、それも横綱(よこづな)ともあろう者が?


町民3:佐野山関(さのやまぜき)が、何か横綱(よこづな)の恨みでも買うようなことしたのかい?


医者:ああ、実は私も聞いた話なんだが、以前、横綱(よこづな)は柳橋(やなぎばし)に女がおった

   。

   けど、他に若くていい女ができたって言うんで、足が遠のいたらし

   い。

   そんな折(おり)、佐野山関(さのやまぜき)が偶然その女と知り合い、末(すえ)にはねんごろな仲

   になった。

   ところがそれが横綱(よこづな)の耳に入ってしまい、これは許しておけないと

   激怒した。

   かといって、横綱(よこづな)ともあろう者が道端(みちばた)とかで遺恨(いこん)を晴らすのも

   おかしな話だ。

   だから土俵(どひょう)の上で佐野山関(さのやまぜき)を叩き殺そうとしとるんだろう。


町民1:いくら何でもそりゃあ、佐野山(さのやま)がかわいそうじゃねえか!


町民2:そうだそうだ!

    お見限(みかぎ)りとはいえ、てめえの女ァ取られたからって、

    腹いせに土俵(どひょう)の上でやっつけようなんてのは良くねえ!


町民3:よっしゃ、明日は佐野山(さのやま)を応援しようじゃねえか!


医者:そうだとも、ここは一番、佐野山(さのやま)の贔屓(ひいき)になろう。

   お、噂をすれば佐野山関(さのやまぜき)だ! こっちへ来るぞ。

   明日に向けて、景気づけの言葉でも掛けようじゃないか!


町民1:おうッ、佐野山(さのやま)ァ!

    明日は頑張れよ!

    いや、言葉だけじゃあいけねえな。

    よしッ、谷風(たにかぜ)の前褌(まえみつ)取ったら、五両(ごりょう)の祝儀(しゅうぎ)を出すぜ!


町民2:そんなら俺は、もろ差(ざ)しになったら十両(じゅうりょう)出すぞ!


町民3:それだけじゃねえ、土俵際(どひょうぎわ)まで押して行ったら二十両(にじゅうりょう)、

    そして万が一、谷風(たにかぜ)に勝ったら…百両(ひゃくりょう)の祝儀(しゅうぎ)を出してやるぜ!


佐野山:み、皆さん…ごっつぁんです…!


町民1・2・3:さーのやま! さーのやま! さーのやま!


医者:【つぶやく】

   ふふふ…これでよし。


町民1・2・3:さーのやま! さーのやま! さーのやま!


佐野山:ごっつぁんです…!

    ごっつぁんです…!


    【二拍】


    しかし、いったいこれはどうした事だ…?

    わしが千秋楽(せんしゅうらく)の、しかも結びの一番で横綱(よこづな)と…。

    みんなああやって応援してくれてるが、

    今のわしじゃ横綱(よこづな)のまわしどころか、触(ふ)れる事さえできずに

    張り倒されるのが目に見えている…。


語り:人の口とは恐ろしいものでございます。

   町民(ちょうみん)の間に流れた根も葉もない噂(うわさ)は、あっという間に江戸(えど)じゅうに

   広まり、佐野山(さのやま)のにわか贔屓(びいき)がどっと増えました。

   日本橋の魚河岸(うおがし)や大旦那(おおだんな)連中は、勝ったら祝儀(しゅうぎ)に百両(ひゃくりょう)や二百両(にひゃくりょう)出そ

   うと約束するし、花柳界(かりゅうかい)の綺麗所(きれいどころ)まで佐野山(さのやま)に祝儀(しゅうぎ)を約束。

   事の成り行きに首をかしげて歩く佐野山(さのやま)の前に、また一人の贔屓(ひいき)が

   立ちます。


伊丹屋:やあ、佐野山関(さのやまぜき)。


佐野山:! こりゃあどうも、伊丹屋(いたみや)さん。


伊丹屋:聞いたよ。

    明日の千秋楽(せんしゅうらく)、谷風関(たにかぜぜき)と対戦することになったそうじゃないか。


佐野山:そ、そうなんです。

    わしにもわけがわからないんで…。


伊丹屋:みんな佐野山関(さのやまぜき)に祝儀(しゅうぎ)を出すと言ってる。

    そうそう、さっき田町(たちょう)の青物問屋(あおものどんや)の鉄五郎(てつごろう)さんに会った。

    まわしを掴(つか)んだら二十両(にじゅうりょう)、四つになったら三十両(さんじゅうりょう)、

    もろ差(ざ)しになったら五十両(ごじゅうりょう)、万が一勝てたら百両(ひゃくりょう)出すと言って

    いたよ。


佐野山:て、鉄五郎(てつごろう)さんまで…。


伊丹屋:むろん、私も祝儀(しゅうぎ)を出すよ。

    佐野山関(さのやまぜき)、あたしはあんたの贔屓(ひいき)として、

    一遍(いっぺん)だけ言ってみたいことがあるんだ。

    聞いてくれるかい?

    そして聞いたらすぐ忘れておくれ。


佐野山:な、なんでしょう…?


伊丹屋:…もし横綱(よこづな)に勝ったら…千両(せんりょう)出そうじゃないか!


佐野山:!!!ええっっ!?


伊丹屋:ははは、聞いたらすぐ忘れてくれと言うたはずです。

    聞いたらすぐ忘れて…それじゃ明日は大一番(おおいちばん)、頑張(がんば)っておくれ。


佐野山:は、はい…!


語り:さて一夜明(いちやあ)け、天は高く空は澄(す)み、やって参りました勧進相撲(かんじんずもう)の

   千秋楽(せんしゅうらく)。

   両国回向院(りょうごくえこういん)に集(つど)いし観衆の、熱狂的な空気の中、

   取り組みは次々と消化されていきます。

   ついに結びの一番、谷風(たにかぜ)と佐野山(さのやま)の土俵(どひょう)入りと相成(あいな)りました。


木村:番数(ばんかず)も取り進みましたるところ、

   かたや佐野山(さのやま)、佐野山(さのやま)っ、

   こなた谷風(たにかぜ)、谷風(たにかぜ)っ。


町民1:佐野山(さのやま)ぁぁあああ! やったれーー!


町民2:ぶちかませぇぇぇえ佐野山(さのやま)ぁぁああッッ!!


町民3:勝てーーーッ谷風(たにかぜ)ーーッ!


木村:この相撲一番(すもういちばん)にて、千秋楽(せんしゅうらく)ぅぅううう!!!


語り:くだんの噂(うわさ)による判官(ほうがん)びいきとはいえ、会場はすさまじいまでに

   佐野山(さのやま)ほぼ一色の声援(せいえん)で、

   それにまじってぽつぽつと谷風(たにかぜ)の名がちらつく中、

   双方(そうほう)とも土俵入(どひょうい)りを済ませます。

   塩をまき、腰を落として互いに見合うとふと、谷風(たにかぜ)が笑みをこぼし

   ました。


谷風:【つぶやくように】

   佐野山関(さのやまぜき)…良かったのぉ。

   今日はいちだんと声援が多い。

   お前さんの親孝行、手伝わせてもらうよ。


佐野山:【つぶやくように】

    !!!

    た、谷風関(たにかぜぜき)…その為にこの取り組みを…!?

    あ、ありがとうございます…!!


語り:谷風(たにかぜ)の海より広いその度量(どりょう)、佐野山(さのやま)は感激のあまり嬉(うれ)し涙(なみだ)の一滴(いってき)を

   流します。

   それを目ざとく見つける観衆、噂(うわさ)はやはり本当だったかと騒ぎ出し

   ました。


町民1:おい見ろ、谷風(たにかぜ)のやつ、ニコニコ笑って何か言ってやがるぞ!


町民2:それに対して佐野山(さのやま)が涙ァ流して泣いてる…これァやっぱり

    遺恨相撲(いこんずもう)だ! 意趣返(いしゅがえ)しだ!


町民3:谷風(たにかぜ)は土俵(どひょう)の上で堂々と佐野山(さのやま)を叩(たた)き殺せるから、

    ああやってほくそ笑(え)んでるんだ!

    佐野山(さのやま)はきっと、堪忍(かんにん)してくれと泣いているに違(ちげ)ぇねえ!


町民1:佐野山(さのやま)ぁッ! 気合い入れろォ!


町民2:谷風(たにかぜ)なんてやっちめぇッ!


町民3:おっ、木村庄之助(きむらしょうのすけ)の軍配(ぐんばい)が返ったぞッ!


木村:手を下ろして…、待ったなしッ!!


   はっけよぃッッッ!!! 


佐野山:う、うおぉぉぉッッッ!!


谷風:ぬううぅうッ!!


町民1:ああっ!? 見ろッ、佐野山(さのやま)がッ!!


町民2:谷風(たにかぜ)のまわしを…!


町民3:つかんだァァァァああッ!?


木村:のこったのこった! のこったのこった!


町民1:や、やべえ、祝儀(しゅうぎ)の五両(ごりょう)…。


佐野山:ふんンンンンッッ!


谷風:ぬぅうおおおッ!!


町民2:うわッわッ! もッもろ差(ざ)しだああッッ!

    じゅ、十両(じゅうりょう)の祝儀(しゅうぎ)…どうしよう…。


伊丹屋:【声を落としてつぶやく】

    もろ差(ざ)し…いや違う!

    横綱(よこづな)が佐野山関(さのやまぜき)を抱きかかえている!?

    なぜそんなことを…?


佐野山:う、うぐぐぐぐ……!


木村:のこったのこった! のこったのこった!


谷風:【声を落として】

   これッ佐野山(さのやま)ッ、しっかりせえ!

   ここで腰砕(こしくだ)けてはならん!


佐野山:【声を落として】

    で、でも、ち、力が…。

    腹が減って…。


谷風:【声を落として】

   このままではいかん…ならば…!


   ぬぅぅああああッ!!


町民3:あっあっ、佐野山(さのやま)が谷風(たにかぜ)を押して、ど、土俵際(どひょうぎわ)まで…!!


町民1:お、俺ァ、夢でも見てんのか!?


木村:のこったのこった! のこったのこった!


伊丹屋:【声を落としてつぶやく】

    そうじゃない…横綱(よこづな)が佐野山関(さのやまぜき)を抱きかかえたまま、引っ張ってい

    るんだ…!

    なぜ八百長(やおちょう)を…?


谷風:うぐぬぅぅぅうッ!!


佐野山:ぐ…ぐぐぐ…ハァハァ…!!


町民2:す、すごい…土俵際(どひょうぎわ)で競(せ)り合(あ)っている!

    佐野山(さのやま)が腰を低くして寄り切ろうとしてるぞ!


町民3:こりゃあ分からんぞ…!


伊丹屋:【声を落としてつぶやく】

    いや、佐野山関(さのやまぜき)に押す力は残っていない。

    となると、やはりこれは情け相撲(ずもう)…!

    そうか…そういうことか…!


    いけェーーーッ、佐野山(さのやま)ァーーーーッッ!!


木村:のこったのこった! のこったのこった!


佐野山:うぐっ…ぐっ…!

    あ、足に、力が…!


谷風:【声を落として】

   まずい、このままでは…!

   佐野山(さのやま)ッ、男を見せろッ! 押せッ!


佐野山:! う、うぅぉおおおおッッ!!


谷風:【声を落として】

   こ、これは! まだこんな力が…!

   だが、予定通りうっちゃりで…!!


   ッぬぅぅぅぁぁあああああッッッ!!!


木村:ッ!!!


佐野山:ッッうッぐッ!!!


    …はは…これで…終わりか…。


町民1:かァーッ、さすがは谷風(たにかぜ)、強(つえ)ぇなあ…。


町民2:けど、佐野山(さのやま)もよくやったよ…。


町民3:ん…?

    お、おい、行司(ぎょうじ)の軍配(ぐんばい)を見ろ!


木村:勇(いさ)み足(あし)ッ! 佐野(さの)ォ山(やま)ァッ!!


町民1:な、なにーーーッッ!?

    あっ、み、見ろ! 谷風(たにかぜ)のかかとが土俵(どひょう)の外に!!

    こ、これでしばらくは素寒貧(すかんぴん)だ…。


町民2:ウソだろ…な、なんて大番狂(おおばんくるわ)わせだ…って、ああ!!!

    祝儀(しゅうぎ)! やべえ…二十両(にじゅうりょう)なんて大金、どうやって…。


町民3:バカ野郎! 俺なんか百両(ひゃくりょう)だぞ!?

    ど、どうすりゃいいんだぁ!?!


語り:佐野山(さのやま)を応援しつつも、谷風(たにかぜ)が負けると誰もが思っていませんでし

   た。

   ところが終わってみればまさかの大番狂(おおばんくる)わせ。

   観衆は総立(そうだ)ちになり、興奮で顔を真っ赤にして囃(はや)し立て、

   祝儀(しゅうぎ)の約束を公言した者達は逆に真っ青になる有様(ありさま)。

   土俵(どひょう)は投げられた羽織(はおり)や座布団(ざぶとん)、財布でたちまちいっぱいになって

   しまったのであります。

   二人はすでに退場していたが、奥で佐野山(さのやま)はひとり、合点(がてん)のいかな

   い表情で考え込んでいました。


佐野山:そ、そんなまさか…わしが…勝った…?


伊丹屋:佐野山関(さのやまぜき)、おめでとうさん。

    勝ちましたなぁ。


佐野山:あ…伊丹屋(いたみや)さん、ごっつぁんです。


伊丹屋:いやぁ嬉(うれ)しかったねぇ…。

    皆が佐野山関(さのやまぜき)の名前を呼んでいた時、胸がすくような気持ちでし

    たよ。

    しかし…こらあ困った。

    千両(せんりょう)の担保(たんぽ)として、家をお渡ししなければい

    けなくなってしまいました、ははは。


佐野山:い、いや、さすがにそれは…。


伊丹屋:いいんですよ。

    あなたの贔屓(ひいき)としてこれほど嬉(うれ)しい事はない。

    約束の祝儀千両(しゅうぎせんりょう)、お出ししましょう!


佐野山:あ、ありがとうございます…!!


伊丹屋:あたしはこれから千両(せんりょう)を稼(かせ)いで、その家を買い戻しますから。


佐野山:い、伊丹屋(いたみや)さん……。


谷風:佐野山(さのやま)、おめでとうさん。


佐野山:た、谷風関(たにかぜぜき)!

    先ほどは…本当にありがとうございました…!!


伊丹屋:横綱(よこづな)、あたしは佐野山関(さのやまぜき)の贔屓(ひいき)をしとります、伊丹屋(いたみや)と申します。

    横綱(よこづな)の情け相撲(ずもう)だという事はよく分かっております。

    自分の顔を潰(つぶ)してまで佐野山関(さのやまぜき)に花を持たせていただいて、

    ありがとうございました。


谷風:手ぇ上げてくれ、伊丹屋(いたみや)の旦那(だんな)。

   わしは確かに情け相撲(ずもう)を取った。

   だが仮にも天下に鳴り響(ひび)いた横綱(よこづな)、負けてやる気はなかったんじゃ

   。

   じゃが土俵際(どひょうぎわ)でうっちゃる直前、わしは言(い)うてしもうた。

   押せ! と。

   あんな力がまだ残っているとは思わなんだ。

   それで算段(さんだん)をしくじって、先に足が出てしもうたんじゃ。

   ははは…我ながら情けないわい。


伊丹屋:横綱(よこづな)、少しばかり足が出たくらいの事、何でもありませんよ。

    あたしは千両(せんりょう)も足が出ました。




終劇




参考にした落語口演の噺家演者様等(敬称略)


金原亭馬生(十代目)

桂文治(十一代目)

桂文我(四代目)



※用語解説


フンドシ担ぎ・:力士、相撲取(すもうと)りの別名。


貧乏神・:ここでの貧乏神は相撲界(すもうかい)の十両筆頭(じゅうりょうひっとう)の別名を指す。

     本場所の取組は原則十両同士であるが、休場などにより幕内(まくうち)の

     出場力士が奇数になった場合などには幕内力士と、関取全体の

     出場力士が奇数になった場合などには幕下力士と対戦すること

     がある。休場が多くなると複数の繰り上げ取組が行われ、特に

     終盤にはいわゆる「入れ替え戦」が多く行われる。これにちな

     んで、筆頭力士を「貧乏神」「瀬切(せぎ)り」と称することがある。





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