タニシガールの心は揺れる
あたしはタニシだ。
産まれた時からじゃない。
ある朝、目が覚めたらタニシになっていたのだ。
顔はそのままだ。
体がなくなってるのでびっくりした。
ベッドの上で、よくよく確認すると、首から下にちょこんとタニシの体がついている。鏡で見ると、しっかり背中には小さな貝殻を背負っていた。
タニシを知らない人のために解説しよう。
タニシとは淡水に住む巻貝のことだ。田んぼやドブに見ることができる。
背中に背負ってる貝殻はくるくるとぐろを巻いていて、ツルツルしてて、黒光りしている。
つまりはうんこのような貝殻だ。
「どうしよう。タニシになっちゃった」
お弁当の時間、机を合わせてごはんを食べながら、あたしがそう言うと、
親友のえんちが冷めた笑いを浮かべながら、言った。
「どうしようって、どうしようもないんじゃない?」
同じく親友のホッシーも、匙を投げながら言う。
「ユカ、どうやって学校来たのよ」
「もちろんお父さんに送ってもらってだよ」
当たり前だ。タニシの足は遅いのだ。腹足をなみなみと動かして這って歩くのだ。歩いて登校してたら日が暮れてしまう。
教室に折原くんが入って来た。あたしは急いでかわいい表情をかぶった。
今日も制服をきっちりと着こなしている。優等生らしさも素敵に着こなしている。
あんな素敵なひとが、あたしのことを好きだなんて、ちょっと信じられない。でもみんながそう噂していた。
折原くんはあたしが見ていることに気がつくと、好意100%の微笑みを浮かべ、視線を落としてあたしの体を見ると、恐怖に怯えたような表情に一瞬で変わった。
やっぱりいくら顔がかわいくても、体がタニシじゃだめなのかな。
「おい、田西裕香!」
授業の合間、トイレに行くためホッシーに抱えてもらっていると、後ろからあたしの名前を呼ぶ声がした。
ホッシーごと振り向くと、そこに立っていたのは隣のクラスの変態男だった。
甲斐築リンゴ──端正な顔立ちにスラリとした長身の、しかし言うことやることすべてが変人なので女子人気は皆無なやつだ。
「おまえ……、いいカラダしてんな」
リンゴはホッシーの胸に抱かれたあたしをしげしげと見ながら、もっさもっさとツバメの巣みたいな頭を揺らした。はたいたら泥が飛び散りそうな頭だ。
「ホッシー、行こう」
無視するつもりであたしはそう言ったが、ホッシーは面白がってるようだった。
「何? 甲斐築くん、ユカのこと好きなの?」
好奇心に目を輝かせて、変態に向かってそう聞いた。
「素晴らしいカラダだと思う」
リンゴはうんうんと満足そうにうなずく。
「これぞ長年、俺が探し求めていた宝だ」
長年って、17歳の高校生が口にする言葉じゃないと思う。
「俺と付き合ってくれ! カラダ目当てでもいいなら」
いいわけがないと思った。
「返事は? ユカ」
ホッシーにワクワクするような声でそう聞かれ、あたしは即答した。
「断る」
放課後、えんちに抱えられて移動していると、廊下で折原くんとばったり会った。
「あ……。折原くん」
「や……、やあ」
折原くんは明らかにあたしを怖がっていた。
そりゃそうだよね。でっかいかわいい女の子の顔がついた巻貝なんて、気持ち悪いよね。
わかるけど……あたしはあたしなんだけどな。
見た目が変になっただけで、中身はなんにも変わってないつもりなんだけどな。
「折原くんて」
えんちがあたしを小脇に抱えて、言い出した。
「ユカのこと好きなんだよね?」
「ばっ……! えんち!」
あたしは腹足まで真っ赤になって、えんちの口を止めようとしたけど、止める手がなかった。
「あっ。その話は……また」
そう言って折原くんは逃げ出すように歩き出した。
襟足がきれいだった。
好きだ……。
下駄箱のところで甲斐築リンゴが待ち伏せていた。
「待っていたぞ、田西裕香」
ホッシーとえんちに片手ずつでぶら下げられながら、あたしは「げっ」と言った。
「甲斐築くん、ユカのストーカー?」
えんちが言ってくれた。
「告白してフラレたはずだよね?」
ホッシーもズバリ言ってくれた。
「知っているぞ。田西……おまえ、同じクラスの折原タモツのことが好きなんだろう?」
リンゴは二人の攻撃を物ともせず、あたしに迫ってきた。
「ヤツもおまえに好意をもっていた……。しかし! ヤツはカラダ目当てだった! その証拠に、おまえがタニシのカラダになった途端、冷たくなっただろう!?」
「ひ……、ひ〜ん……」
涙をこらえてたけど、ズバリそれを言われて、あたしは泣き出してしまった。
親友二人があたしをかばってくれる。
「ユカを泣かせないでよ!」
「アッチ行け、ド変態!」
「言っておくが、俺はそのままのおまえを愛している。カラダ目当てなのは同じだが、そのままのおまえのカラダを愛している。おまえが選ぶべきは、この俺だ。わかったな?」
変態はそう言い残して去っていった。
ヨレヨレの制服の後ろ姿が汚らしかった。
なんでタニシになっちゃったんだろう。
その答えは、帰りの車でお父さんが教えてくれた。
「タニシ様の祟りだ」
「タニシ様?」
「ウム。ウチは農家をやっているだろう? 農薬を散布し、農作物を荒らすタニシを駆除している。それに怒ったタニシ大王が、おまえに祟りを振りかけたのだ」
「なぜ、あたしに?」
「知らん。それはタニシ様に聞くんだな」
謝れよ。
それならかわいい娘をこんなにした元凶はおまえじゃないか。
無農薬を誓えよ。
そう思ったけど悲しくて言えなかった。
夢の中でタニシの男の子たちに囲まれた。
「やあ」
「君はかわいいタニシだね」
「こんなかわいいタニシ、初めて見たよ」
「ぼくと付き合ってくれない?」
「タニシはタニシどうし、仲良くしようよ」
「タニシは絶滅寸前なんだ。一緒に増やそう、モリモリと」
目が覚めてからも、最後に言われた『モリモリ』の言葉が耳に残っていた。
次の日、お母さんの自転車の買い物カゴに入って学校に行くと、校門のところで折原くんを追い越しかけた。
「あ、折原くん! おはよう!」
無視された。
折原くんはなんだかすまなそうな顔をしながらも、必死であたしから目をそらし、早足になって中へ入っていった。
「何、あの子? 失礼な子ねぇ……」
お母さんがそう言ったのを、あたしは全力で否定した。
「折原くんを悪く言わないで!」
教室で、えんちとホッシー、そしてあたし三人で、小さな会議が開かれた。
えんちが言う。
「ユカがもしもこのままずっとタニシだったらどうしたらいいかの会議を始めます」
ホッシーが手を上げた。
「とりあえず! タニシガールの生態を、私たちは知るべきだと思います!」
「そうですね」
えんちがあたしに質問した。
「タニシって何食べるの?」
あたしは答えた。
「ふつうに人間の食べ物だよ。食べさせてもらわないといけないけど」
ホッシーがあたしの口にからあげを入れてくれながら、戦慄の声を上げた。
「議長! この子、ベロがタニシ色です!」
えんちが聞く。
「うんこはどこから出るの?」
「ふつうにお尻だよ」
ホッシーが聞く。
「今食べたからあげはどこで消化されるの?」
「知らん」
甲斐築リンゴが聞く。
「恋愛対象は男か、女か、それともタニシか?」
「タニシなわけないだろう!」
あたしは怒りに立ち上がった、3ミリぐらいほど。
「なんでアンタが仲良く一緒にごはん食べてるここにいんのよ! 帰れ!」
「愛してるぞ、田西裕香」
そう言うと、キモくも爽やかな笑顔を残し、素直に自分の教室に帰っていった。
図書室でタニシから人間に戻る方法が書かれた本を見つけた。
希望を胸に読んでいると、それがラノベのファンタジー文献だということがわかり、絶望に暮れていると、前から折原くんがやって来た。
机に向かって本を読んでいると、前から見るとあたしに人間のカラダがあるように見えたようで、嬉しそうな笑顔を浮かべて近づいて来た折原くんは、『そうだった!』みたいな表情になり、慌てて背中を向けかけた。
「待って! 折原くん!」
あたしはどうしても彼を諦めきれなかった。
ここで彼に逃げられたら一生後悔するような気がした。
それでふしだらとは知りつつ、静粛にすべき図書室で、みんなが耳をこっちに向けてる中で、彼に告白した。
「あたし……っ、折原くんのことが……、好きなんです」
折原くんは呼び止められたから仕方なさそうにそこに立っているという感じで、聞きたくなさそうにあたしの告白を聞いた。
「あの……。あたしがタニシから人間に戻れたら……、付き合ってくれますか?」
図書室らしい沈黙が漂った。
折原くんは背中を向けたまま、しばらく何も答えなかった。
どうしても今、答えが聞きたくて、あたしは勇気を出して、再び口を開いた。
「折原く……」
「ひっ……?」
『ひっ』って返事はないと思う。
あたしはこの恋が終わったことを知った。
「ほ〜ら、ユカは綺麗だよ〜」
泣きじゃくるあたしを親友二人が慰めてくれた。
「うーん。綺麗だ。あんたには見えないだろうけど」
そう言いながらホッシーが、あたしの貝殻をマニキュアで彩ってくれる。
『タニシの貝殻が地味で、うんこみたいだからイカンのだ』と、二人であたしの貝殻にアートを施してくれているのだった。
有り難かった。その気持ちが有り難かった。持つべきものは親友だ。あたしの傷ついた心をかわいい色で慰めてくれている。
「ここ、花描いていい?」
「あたし恐竜描く。かわいいやつ」
面白がって遊んでるだけとも思えた。
「田西裕香!」
帰り道、あたしが哀愁漂う歩き方で歩道に腹足を這わせていると、後ろから甲斐築リンゴに呼び止められた。
「なんてかわいいんだ!」
彼は近づいてくるなり、あたしの背負ってる貝殻を褒めてくれた。
親友二人に好き勝手されて、どうなっているのかはあたしからは見えない。けど、相当かわいいことになっているのだろう。
不覚にも、嬉しくなってしまった。好きなひとからネイルを褒められたみたいに。
「ますますおまえのことが好きになった」
リンゴが言う。
「こんなかわいい貝殻をもったタニシは他にいない」
「ありがとう。でも話しかけないで」
あたしは無表情を崩さず、言った。
「今日は一人で歩いて帰りたい気分なの。たとえ何日かかってでも……」
あたしは彼を引き離すように、超低速で歩き続けた。
よかった、元々ショートカットで。歩道に髪を引きずらずに済む。
「あ……!」
リンゴが叫んだ。
「危ないーーーッ!」
気づかなかった。
前から見知らぬおばあさんの運転するセニアカーが、時速10キロ未満ぐらいの猛スピードでやって来ていた。
轢かれる!
轢かれたら、かわいい貝殻が粉々になって、あたしは死ぬ……!
目をつぶって、死を覚悟した。
でも、何ともなかった。
再び目を開けると、リンゴがあたしを助けてくれていた。
スライディングで助けてくれたようだ。元々ヨレヨレの汚い制服が砂だらけになっている。
「……危なかったな」
リンゴが笑った。
「よかった……。おまえの綺麗な貝殻が無事で」
その顔がとてもかっこよく見えた。
いや、騙されるな。『吊り橋効果』だ、これ。
「いい匂いがする」
リンゴが抱き上げたあたしの髪の匂いを嗅いだ。
「ちっともドブ臭くないんだな、おまえは」
ドブ臭いのが好きなのかと思ってたら、意外とふつうの感覚をしていた。
ヤバい……。
揺らいじゃうよ、こんなに優しくされたら……。
「田西裕香! 俺のものになれ!」
きゅんっ!
心がきゅんとした、その瞬間だった──
ぼんっ!
白い煙とともに、あたしのカラダが人間に戻った。
何も着ていないので慌てて色んなもので隠しながら、笑顔でリンゴを振り向いた。
「戻った……っ!」
きっと心がきゅんっ!となったお陰だろうと思ったので、リンゴにお礼を言った。
「リンゴのお陰で戻れたよっ! 人間のカラダに……!」
リンゴの顔が、明らかに、醒めていた。
一瞬、目を大きく開いて、ぽかんとしてたけど、すぐに嫌そうな表情になって、ダラダラとあたしに背中を向けた。
タニシじゃなくなったあたしには興味もないというふうに、あたしに上着を貸してくれさえせずに、気の抜けた足取りで去っていった。