069 大事の前の小事? 形骸化する善悪の戒律
もはやこのエッセイの主題となってるウィザードリィ。
このゲームには性格という要素があり、善は友好的な魔物との戦闘を回避、悪は徹底抗戦を選ばねばならない。それが本質的な善悪なのかに対する疑問は前に述べた。
そして相反する行動を取ると性格が逆転し、悪の君主や善の忍者を作れるのだが、今回はその職業で本来認められない性格が、このゲームを題材とした作品群、その舞台となる世界でどう見られているのかを考えてみたい。
結論から書くと、ゲームシステム上酒場で同席できないことから、相反する戒律の交流が乏しい描写は共通しているが、反面、認められない性格への寛容さが目立つ。
もうお馴染み、ベニー松山著「隣り合わせの灰と青春」では、善か中立でないとダメなのに悪の侍が登場する。しかも彼は国王軍の武将だった。
上がこれじゃ寛容にもなるわ。ていうかトレボー王からして悪のロードらしいからなあ。
あれ? でも王様が徹底抗戦派なら、少なくとも彼の統治する城塞都市ではそっちが「善」にならんの?
この辺は推測の域を出ないが、ニルダ寺院ないしカント寺院の教義が戦闘回避派で、その価値観が大陸規模で広く浸透しており、王を批判している可能性がある。史実における教皇派と皇帝派の対立のようなものか。
主人公スカルダに目を転じると、彼は善だが冒険者登録の際に戦士か盗賊を選べと言われていた。
戦士はどの性格でもOKだが、盗賊は中立か悪のみだ。コミック版だとダンジョンに潜る前に善のヒロインと同席しているので、最初は悪だった訳ではない。ゲームと違って善でも盗賊になれると解釈してよいだろう。
これは冒険者の盗賊が、泥棒というより偵察兵や爆発物処理班みたいな感じなのもあろうが、8話で語った式部京同様、ワードナ討伐のため規制が緩和されていた可能性がある。
魔除けを取り返すことが最優先、細かいことはお目こぼしされているのだ。有事の特例措置ですな。
石垣環版はもっとすごい。主人公リョウは善のロードだが相棒のカルラは悪の侍、しかも堂々と善悪混成パーティを組んでいた。
そのカルラの師匠ロキも悪のロード。もし「ロードや侍なのに悪なんて!」と非難される社会なら、いかに万夫不当の彼らとて堂々と活動はできないわけで、やはり諸般の事情から黙認されているらしい。友好的な魔物の対策はどうしてたのかね。
前日譚に当たる鳳龍シリーズでも、中立のサンザがアイテムで忍者になっていた。さらに忍者本来の性格である悪のザンを差し置いて奥義の伝承者に選ばれているし、悲劇のヒロイン枠ケイヒも悪の侍だった。
石垣ワールドはこの時代から異端児に寛容な社会らしいが、私はやはり「友好的なら戦わないのが善」とか「友好的だろうと魔物は殲滅するのが悪」という考えが、必ずしも全ての人々に支持されている訳ではないのではと思う。
城壁の中で安穏と暮らせるなら綺麗事も言えようが、魔物の被害が頻発する地域で「殺しちゃダメです、モンスターだって生きてるんです」と主張する人がいたとして、どれほど受け入れられるか疑問だ。
現代なら(友好的とは言いがたいが)熊だ。猟友会に撃つなと文句つける人の中に、目の前に餓えた熊が現れても同じことを言える人が何人いるやら。
41話でも書いたように、善悪は都合でころころ変わる。戒律の形骸化も大きいが、そもそも悪の戒律だからって悪人とは限らないのである。
ていうか、強い装備と経験値につられて悪の戒律にしてるヒーローがいたっていいじゃん。どーせ最終的には転移の魔法で最下層まで直行するんだし、そこには友好的な魔物はいないし……




