026 やたらと雄弁な農夫
ファンタジー小説を書くにあたって、各国の伝説は最高の参考書だ。文化や生活ぶり、産業や人々の気質。それらは異世界にも通ずるものがある。
さて、物語の舞台となる中世くらいの時代背景だと、農夫やそれに類する職業の者は素朴なイメージで書かれていることが多いが、きわめて珍しいパターンがあるので取りあげてみたい。エジプトからだ。
オアシスに暮らすフナヌプ(本によってはフ・エン・アヌプ)という男は都に岩塩を商いに出かける。しかし途中でならず者に難癖をつけられ、ロバもろとも荷を奪われてしまう。そこで彼は土地を治める太守のもとへ行き、顎がくたくたになるほどの長口舌で己の正当性と相手の非を訴えるのだ。少しだけ見てみよう。
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「太守さま。わがご主人さま。偉い方々の中でも最も偉い方。全ての者の導き手であらせられる方よ。正義の湖を渡りたまい、順風に乗って舟を……(中略)……あなた様は全ての掟の上に立つ、この国中に名も高い方。おお、無欲の導き手……(中略)……わが嘆きをなくしたまえ……(以下略)」
(矢島文夫編・教養文庫「古代エジプトの物語」より)
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全文書くと日が暮れるのでカット。この物語は一説には書記のための、おそらくはファラオの偉大さを称える文章の見本と言われているが、もし実際にこんなシェイクスピアをやる俳優みたいな農夫がそこら辺にいたら。
ファンタジー小説としては、面白いシーンが書けるかもしれない。不馴れな言葉遣いに主人公が四苦八苦するギャグ回でもいいし、クラス転移ものなら演劇部の男前ヒロインと文芸部のメガネっ娘コンビの見せ場だ。仲間のエルフが吟遊詩人としての腕前を発揮することもあるだろう。
とはいえ、仮に高度な文化を有する国であっても、さすがに一般人が普段からこんな芝居がかったしゃべり方はすまい。実際、フナヌプだってならず者との会話ではもっと砕けた口調だった。
太守に訴えるのだから大袈裟になるのは分かるが、知らなければ話せない。では一般的な農夫がこんな言葉遣いを知っている理由とは?
身分の高い者にはこのような口調で話さねばならないため、習得が義務づけられているのだろうか。収穫祭などで国王を称える儀式とかがあるのかもしれないし、高い身分の者に対して口をきくことが許される社会なのかもしれない。
あるいは一般的な農夫でも、吟遊詩人によって英雄叙事詩などを聞く機会が多いため、それで覚えた可能性もある。こういった話は酒の席には欠かせないものだが、酒類の生産が盛ん、あるいは真水が危険なため水代わりに飲酒の機会が多い地方ならなおさらだ。
主人公の活躍が歌や演劇で語られブームになっている、なんて設定でもいい。美化および誇張された描写に、主人公は恥ずかしさに悶え、ヒロインは腹を抱えて笑うに違いない。
これらはほんの一例だ。芝居がかった口調の農夫一人からでも、想像は無限に広がってゆく。あなたはどんな想像をしただろうか。
もしあなたが作者なら、フナヌプをモデルにしたキャラを登場させてみるのも一興だろう。広がった想像は、ペンひとつあればいつだって頭の中から取り出せるのだから。




