017 番外編? あれは十分ファンタジーだよね?
今回紹介する作品は剣と魔法の世界と呼べるか疑問だ。あのトンチキバトルは十分魔法に片足突っ込んでると思うけど、異世界ものにしか用がない人はスルーしてほしい。
さて、ファンタジー小説を書く上で、日常ものならともかく冒険やバトルものなら戦闘描写は不可欠。そこで参考になるのが少年漫画である。
中でも少年ジャンプの名作を読んでて思うのは、「娯楽作品において大切なのはその回、そのシーンを面白くすることであって、必ずしも辻褄が合ってる必要はない」ということだ。宮下あきら先生の「魁!! 男塾」から、しばしばネタにされる、しかし非常に印象的なバトルで見てみよう。
味方チームの戦士は卍丸。体術の奥義を極め、十体もの分身の術を使う実力者……だった。ところがこのバトルで、最大五分身まで弱体化されてしまったのだ! 半分ですよ半分! 一応「十分身は地形や気候を利用したもので単独での限界は五体まで」とか「無闇に増やしても同時に相手を囲める数には限りがあるので最適化した。単体の戦闘力は増しており総合的にはパワーアップしている」など諸説あるらしいが。
作者が設定を忘れた? いや違う。私はこの改変をした宮下先生は正しかったと確信している。見事だ。
なぜなら相手の戦士ジェミニも分身の術の使い手だからだ。しかもその数は卍丸を上回る八分身! だが彼は、八体の中に傷があるやつが四体、ないやつが四体いるのに気づく。
そう、ジェミニは双子だったのだ。名前聞いた時点で察しろよという気がしなくもないが、単独ではひとつ劣る四分身ながら、以心伝心の連携で二人を一人に見せていたのだ。
もし十分身の設定のままだったら、仮にジェミニが九×二分身なら「いや多すぎだろ」と卍丸は一発で(たぶん)気づく。なので傷の有無で秘密を見抜くという見せ場が成立しなくなる。といって六×二分身だと「ジェミニしょぼすぎない?」と読者は白けるだけだろう。
卍丸を一体多くして強キャラ感を保ちつつ、ジェミニの格を落とさず、かつ「上には上がいるのですよ」と言わせてギリギリ卍丸が信じそうな数が、五分身に対して四×二分身だったということだ。これ以下の数にしなかったのは、さすがに度が過ぎるという判断と思われる。
最初の設定を金科玉条のごとく守っていたら、このバトルで読者を熱くさせることは決してできなかった。それどころか描くキャラが多すぎて作画のレベルが下がったり、最悪原稿が間に合わなかった可能性も。それは漫画家として正しい選択だろうか。
過去の描写にとらわれず設定を変え、それにより名勝負を描ききった。だから私は宮下先生は正しかったと思うのだ。
他のジャンプ漫画も似たり寄ったり。セルの核しかりツェペリさん独身問題しかり……でも大半の読者は気にしない。前の設定など忘れてる人も多いし、中には私のように勝手に考察して勝手に納得する、作者にとって都合のいい読者もいるし。
つまり何が言いたいかというと、私が今後バトル描写のある小説を書いたとき、もし過去回の描写と矛盾してても重箱の隅っこをつつくようなマネはしないでいただきたいということだ。
空気の読める大人はスルー力も高いのである。
なら最初から五分身を限界にしておけと思うかもしれないが、宮下先生とて神ではない。十分身を描いた時点ではその回を盛り上げるだけで必死で、先のことなど考えていられなかったはず。それに、ここで十分身を描いて読者に衝撃を与えないとジェミニ戦になる前に打ち切られた可能性もある。そこまで求めるのは酷というものだ。




