思い出の中にいる人 3
***
急に吹いた強い風に、優しい思い出はかき消えてしまった。
寒さを感じて、そっと自分の肩を抱く。
こんな夜遅くに、外にいると、たった一人知らない世界で取り残されてしまったように感じる。
「――――レザールきゅん」
見上げれば、こぼれ落ちてきそうな満天の星空。
こんなにも美しい星をあの世界では見たことがない。
幸せだった時間、どんどん心の中で大きくなっていったのは、不思議なことに離れているはずのレザール様のことだったと、今さら気がつく。
思わず、魔術師団本部に向かって歩き出していた。
正門近くから建物を見れば、一室だけまだ明かりがついている。
その明かりが、不意に消えると、周囲は真っ暗になってしまった。
「……こんな遅くまで、働いている人がいたのね」
こんな時間まで誰かが起きていて、しかも働いていたという事実に、なぜか自分は一人ではなかったという安堵を感じて建物に背中を向ける。
「帰ろう」
急に眠気を感じて歩き出したとき、魔術師団本部の正門が少々軋みながら開いた。
そして、ここではない世界、そして過去、現在、いつだって聞きたくて仕方がなかった声がした。
「フィアーナ?」
「…………レザールきゅん」
夜遅くまでパーティーに参加していたはずのレザール様は、夜中まで魔術師団本部で働いていたらしい。
働いてばかりのレザール様が心配になるけれど、それよりもただ会えたことがうれしくて……。
この気持ちに、そろそろ推し以外の名前をつけてあげなくてはいけないのかもしれない。
「どうしてこんな夜中に? 一人で出歩くなんて危険だ」
「…………ごめんなさい。でも、ちゃんと防犯アイテムは持ち歩いて……」
その言葉を最後まで伝えることは許されず、無言のままのレザール様に抱きしめられる。
それはまるで、この世界に私は一人ではないって、教えてくれるみたいだった。
「――――レザール様こそ、働き過ぎではないですか? そんなに忙しいなら、無理にパーティーに出なくてもよかったのに……」
「フィアーナを一人にしたら、きっとたくさんの人たちに囲まれて、俺のことなんか忘れてしまう」
まるで、子どもみたいに告げられた言葉と、苦しいほど強い腕の力。
(レザール様のことを私が忘れる?)
乙女ゲームで初めて出会ったときから好きだった。
違う世界で迎えた最期の瞬間だって、なぜか思ったのはレザール様のことだった。
王太子とのお茶会だって、密かに待ってたのは……。
(リーフ辺境伯領で暮らした日々は、とても穏やかで幸せだったけれど、いつだって会いたかったのは)
そっとたくましい背中に腕を回す。
こんな距離に近づけることをいつだって夢見ていた。
「好きです……」
素直に告げたその言葉は、ストンと私の心にあった隙間を埋めてしまう。
「レザール様のことが、忘れられなくて」
「え……?」
暗闇に慣れてきた目に映るのは、驚いたように見開かれた淡い水色の瞳だ。
気がつけば、ちょっとした小物にも、この色合いが多くなってしまった。
初めて目にしたあの日から、一番大好きな色だ。
「一人でいても、他の人といても、どんなに遠く離れていたって、忘れられなくて……」
「それは……」
「もう一度言わないと、分かってもらえないですか?」
不意に緩んだ腕の力。
そのまま私の髪を滑り降りてきた手が、耳元をかすめて頬に触れる。
「俺こそ、四六時中あなたのことばかり……」
そっと閉じた瞳。言葉の続きの代わり唇に落ちてきたのは、柔らかくて温かい感触。
「レザールきゅ……」
触れただけの唇が離れて、名前を呼ぼうとしたときに、もう一度深く口づけられる。
真っ暗な夜。世界に二人だけになってしまったみたいに感じたけれど、なぜか寂しいとは少しも思わなかった。
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