思い出の中にいる人 2
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リーフ辺境伯邸は、温かい。
前世の私も、フィアーナとして生きてきた私も、知らなかった優しさに溢れている。
私はここで、すっかりぬるま湯に浸かって穏やかに生きて……。いなかった。
響き渡る爆発音。
それは、魔力の配分を間違えてしまったゆえに起きた、小さな爆発だ。
「フィアーナ?」
「だ、旦那様、これは……」
部屋をのぞき込んできたリーフ辺境伯。
怒られると思って身を縮めていると、そっと頬にハンカチが押し当てられた。
「ケガはしなかったかい?」
「うぅ、申し訳ありませ……」
「…………ふふ」
なぜか、さも可笑しいとでもいうように笑ったリーフ辺境伯。
「あ、の……?」
誰しもが、私が自由に興味があることをすることに、いい顔をしなかった。
前世の私も、フィアーナとしての私も、誰かが決めたとおりに生きてきた。
「毎日が、とても楽しいよ」
「え?」
ゴシゴシとこすられた頬。
黒く汚れてしまった白いハンカチ。
それなのに、目の前にいる人が私に向ける視線はとても穏やかだ。
「だが、魔道具開発には専門知識が必要だ。一人、その道で活躍する優秀な人間に心当たりがある。…………連絡を取ってみようかな」
「ぜひ!!」
「…………うん、多分僕もそろそろ折れなくてはいけない。今回は、いい機会なのだろう」
一瞬だけ、なにかを懐かしむように、少しだけ苦しそうに眉を寄せたリーフ辺境伯。
けれど、すぐにその表情は、いつもの穏やかな笑顔に掻き消された。
「それでは、彼が来るまで魔道具開発は休みにして、僕と読書でもしよう」
「……読書!」
私は、本を読むのも大好きだ。
辺境伯邸には、貴重な蔵書がたくさんある。
貴族令嬢には必要ない、といわれていた魔道具の本も、魔法の本も、恋愛小説まで自由に読むことが出来る。
「ここは、天国でしょうか」
「ふふ。似ているかどうか、先に行って確認しておくよ」
「……え? 何言っているんですか。ずっと一緒にいて下さい!」
「……君が望むなら、できるだけ長く一緒にいられるように努力しよう」
「約束ですよ!」
「ああ、約束だ」
ポンッと置かれた手に、優しく頭を撫でられる。
私が知らなかった、幸せな時間。
穏やかで、自由で、誰かに愛される時間。
でも、その時間には限りがあるってことを、リーフ辺境伯は、もう知っていたに違いない。
世間知らずで実際の年齢よりも幼かった私が、そんなことに気がつけるはずもなかった。
私を見る目は優しくて、それでいて誰かを重ねているようでもあった。
あとになって思えば、私の大叔母様がリーフ辺境伯の奥様だったのだ。
誰を重ねていたかなんて、明白なのだろう。
「幸せになりなさい」
「……今、とっても幸せです。全部、旦那様のおかげですね!」
「そう。嬉しいよ」
旦那様が笑うと、私もとても嬉しい。
辛かった思い出が、消えてしまうように。
それでも、耳の奥で消えないのは、「お姉様!」と呼ぶ可愛らしい声だ。
「レザールきゅん」
幸せであればあるほど、どうしているのかと、彼も幸せだろうかと気になってしまうのはなぜなのだろうか。
あの声が聞きたいと、会いたいと願ってしまうのは、彼が前世の推しだと知ってしまったからなのだろうか。
そんな私の独り言は、リーフ辺境伯に聞こえていたのだろう。
でも、その口から「思い人かな?」とこぼれた小さなつぶやきは、私の耳には届かない。
私の知らない間に、えん罪だったことは次々と証明されていく。
やり取りされた手紙。
リーフ辺境伯が、全ての力を使って、私の無実を証明してくれたのは事実だ。
でも、遠い辺境から出来ることは限りがある。
王都にいる彼が、リーフ辺境伯と手紙をやり取りして、必死になって私のために動いていてくれたことを知るのは、まだまだずっと先の出来事なのだった。
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