第3話 灰色狼の群れ
※魔獣との戦闘シーンがあります。苦手な方は読み飛ばしてください。
国を渡り、様々な物を売り歩く商人のキャラバンが、魔の森をなぞる街道沿いの少し開けた草むらに、野営をしていた。
護衛に雇われた冒険者レオンは、寝静まったキャラバンのキャンプを背に、魔の森を警戒して夜番をしていた。
数メートル先には護衛仲間のエイダンが、同じように森を正面に座り込み、辺りを警戒している。
じきに夜も明ける。何事もなく危険な夜をやり過ごせそうだと、安堵しかけたその時であった。
レオンは森の暗闇の中にうごめく、複数の気配を感じた。木々の奥に、一瞬、獣の瞳が夜空に浮かぶ満月の光を反射して光った。
レオンは音もなく剣を握ると、森の奥へと意識を研ぎ澄ます。
獣らは大所帯のキャラバンを気にしつつ、何か別の…群れからはぐれた小動物か、獲物を追い詰めようとしていた。
弱肉強食は世の定め、助けに入ろうとは思わない。
キャラバンを守るという己の職務を全うするだけだ。
(弱いものは生きてはいけない・・・)
そう諦念にも似た思いに意識を沈めようとしたその時、はっと顔を上げたのは、小さな悲鳴が聞こえたからだった。
「きゃ・・」
人の声に続いて、木の枝がガサッと大きく揺れた。
襲われているのは人だ、とわかるや否や、レオンは抜刀し森に駆けた。
「あ、おい!」
エイダンの声が背中を追いかけるが、返事もしない。
野営地より20メートルほど奥まで一駆けで進むと、そこには今にも灰色狼に飛びかかられんとする少女がいた。
アリステルである。
レオンが持っていた剣を勢いよく投げると、灰色狼の首にズドッと音を立てて突き刺さった。
灰色狼は衝撃で弾き飛ばされながら息絶えた。
突然の乱入者に、灰色狼の群れは素早く反応し、1匹、2匹とレオンに飛びかかる。
レオンは胸元からナイフを取り出し応戦しながら、逆の手で倒れた灰色狼に突き刺さっている己の剣を力任せに引き抜き、次の灰色狼を切り伏せる。
針のように固い灰色狼の毛を物ともせず、剣はたいした労もなく灰色狼の首を切り落としているように見えた。
わずかな時間に4匹の灰色狼が切り倒され、残りの灰色狼たちはレオンを遠巻きに唸り声をあげながら、じわりと後退していく。
「去れ!!」
レオンの力強く一喝すると、灰色狼たちはサッと身をひるがえし、森の暗闇へと姿を消した。
剣を大きく振って灰色狼の血を飛ばし、鞘に納めると、振り返ってアリステルを見る。
木々の隙間からわずかに届く月明かりにうずくまる少女はまるで幻想であった。
(美しい―)
年のころは12~13か。華奢な体に水色のドレスをまとい、裸足であった。
背中まで豊かに流れるブロンドの髪は、木にひっかかり乱れていたが、その美しさは損なわれない。
顔の造りは美しく、なにより大きな潤んだエメラルドのような瞳には吸い込まれそうな魅力があった。
言葉を失い、ただ見つめるレオンに、アリステルは立ち上がり、汚れてしまったスカートの裾をちょこっと摘み上げ、きれいに礼をした。
「あの、助けていただいてありがとうございました」
レオンははっと現実に戻った。
「大丈夫か?けがは?」
「おかげさまで大丈夫ですわ」
アリステルは少し歩いて見せようとしたが、足首がずきりと痛み、思わず顔をしかめる。
「無理をするな。足をひねったのだろう。すぐそこに隊商のキャンプがある。簡単な手当てはできる。まずは手当だ」
そう言いながら、レオンはアリステルにそっと近づき抱き上げた。
アリステルはおとなしく横抱きにされながら、レオンの大きな体に守られていることに大きな安堵を覚えた。
ほっと息をつくと、ついに体力が限界を迎え、意識を手放した。
野営地に戻ると、エイダンが腕を組んでレオンを待っていた。
レオンの姿を確認すると、人好きのするアーモンドみたいな目を胡乱にすがめた。
「レオンさんよぉ、急にいなくなったと思ったら女の子を拾ってくるなんて、どうかしてるぞ」
「灰色狼の群れに襲われていた」
「おいおい、ここは国を分かつ魔の大森林だぜ。昼夜となく魔獣が歩き回る。冒険者だっておいそれと一人で出歩かねぇ。こんな所でそんな小さな女の子がなんだって灰色狼に襲われてるんだよ?やっかいごとの匂いしかしないってもんだ」
エイダンの言う通りではあった。
このような深い森に、たった1人で少女がいるはずもなく、ましてやドレスを着てうろつく場所などでは決してない。
「何か事情があるのだろう。目が覚めたら話を聞ける。それより、ケガの手当てをしたい」
「小間使いの女を起こすか?」
「いや、起こすのも悪いだろ。俺がやるよ。お前は警戒を続けてくれ。灰色狼の群れは戻って来ないと思うが・・・」
「了解」
レオンは護衛に割り当てられた天幕に入ると地面に敷かれた敷物の上にアリステルを横たえた。
血の気が引いて青白い顔を見ると、生きているのか心配になるほどであったが、時折ふにゃふにゃと寝言のような声が出ると、その愛らしさにレオンはふっと笑みがこぼれた。
両腕の肘から手首にかけて、かなり大きな擦り傷ができている。
清潔な布に水を含ませ、優しく洗い流してやる。一部やや深く切れてしまったところから、鮮やかな血がにじみ出てくるが、乾いた布を当て、傷を覆い包帯をすると、じきに血も止まったようだ。
素足で歩き回ったのか、足の裏にもいくつもの小さな傷ができていた。
両足の傷にも軟膏を塗り、布を巻いてやる。
念のため、スカートをめくりあげ、大腿部に傷がないかを確認して手当てを終える。
その時、ぱちりと大きなエメラルドの目が開き、スカートをめくるレオンに焦点が合う。
驚きで目を見開き、ハッと息を吸い込んだアリステルが叫び声をあげる前に、レオンは慌ててスカートから手を放した。
「ちがう、誤解だ」
アリステルは素早く身を起こし、スカートの裾をぎゅっと押さえた。
素足をさらしていることを思い出し、スカートの裾を引っ張って、折り曲げた足をなんとか隠す。
その顔は羞恥で真っ赤になっている。
「ちがう、本当に、ケガを見ただけなんだ」
レオンが誠実そのものといった表情で、困ったように頬を掻く。
「・・・大丈夫です。足の包帯、巻いてくださったのですよね」
「ああ」
「ありがとうございます。私はアリステルと申します。騎士様のお名前をうかがっても?」
アリステルは家名を名乗らなかった。
目の前の青年は命の恩人だし、アリステルの命を狙う継母とつながりがあるとは思えなかったが、身元を知らせるのはまだ早い。
「レオンだ。騎士なんかじゃない。ただの冒険者だ」
「レオン様。先ほどは危ないところを助けていただき、本当にありがとうございました。それにケガの手当てまで…。お礼を差し上げたいのですが、あいにくわたくしには差し上げられる物が何もございませんの。きっといつか、必ずお礼をいたします」
「いや、礼などいらんが・・・」
「そういうわけにはいきませんわ。どうにかしてお礼の品を用意いたします」
身なりとふるまいを見れば、どこぞの貴族の令嬢であることは疑いようもない。
はぐれた供の者に引き渡せば、確かに多少の礼くらいはもらえるだろう。
「お嬢さん、あんたはどうしてあんなところにいたんだ?」
「アリステルです。アリスと呼んでください」
「あぁ、じゃあアリス、供の者とはぐれたのか?」
アリステルは小さく首を振った。
「いいえ、わたくし、森に捨てられたのですわ」
「捨てられたとは物騒な話だ。人さらいにでもあったのか」
アリステルは継母に捨てられたことを思い出して、いかにも情けない表情を作ると肩を落とした。
「いいえ、親に捨てられたのです。飲んだお茶に何かのお薬が入れられていて、眠ってしまったところを運ばれて来たのですわ。気が付いたら一人で森の中に寝ていましたの。なんとか森を抜けてオーウェルズ国まで出られればと思って歩いてきたのですが、どうやらたどり着けたようですね」
レオンはわずかに目を見開いた。
「森を抜けてオーウェルズへ?ということは、ナバランド国から森に入ったのか?」
「…どこから森に入ったかは、わかりません。でも、最後にお茶を飲んだのは、ナバランド国のヴァンダーウォール領ディンドナだったのは間違いありません」
「ディンドナ…」
ディンドナはナバランド国の南西地区にある穀倉地帯である。
豊かな農地が広がり、大国ナバランドの食をまかなう一大食糧庫としての役割を担っている。
「あの…、ここはオーウェルズ国のどの辺りなのですか。港町サガンの辺りかしら?」
「いや、ここはスコルト国だ」
「スコルト国ですって?森を南下したつもりだったのですけれども、ずいぶん東へ歩いていたのですね」
まだ幼い少女であるアリステルが、正確に地理を頭に入れていることも、森に捨てられるという異常事態の中にあって冷静に物事を判断し実行したことにも、レオンは少なからず驚いた。
ただ美しいだけの少女ではないようだ。
「このキャラバンはナバランド国で物資を積んでスコルト国を経由し、オーウェルズ国で商売をする大隊商の野営地だ。日が昇ったら西へ進み、明日のうちにもオーウェルズ国へ入国する。ここから近くの町へ行くにもなんの準備もなく一人歩いて行くのは無理だ。一緒に連れて行ってもらえるよう話をつけよう。それでいいか?」
「ええ、お願いします」
「まずは体を休めろ。もうすぐ夜が明ける。それまで少しでも寝ておけ」
「ありがとうございます。休ませていただきますわ」
疲れ果てていたアリステルは、体を横たえると瞬く間に眠った。
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