番外編 リリーとアリステルのお買い物①
本編第7話に登場するエピソードです。
ガスター商会は王都では知らぬ者がいない大豪商である。
ナバランド国の鉱山に生産工場を構え、掘り出した宝石をオーウェルズ国内で加工し販売する。
貴族から庶民まで、幅の広い商品ラインナップで宝飾品を売買しているが、主な商談相手は下級貴族である。
王都内の店舗にはふらりと高位貴族が訪れることもあれば、貴族の屋敷に出向いて受注販売することもあったので、ガスター商会の従業員にはマナーの教育が徹底して行われていた。
ガスター商会の主はエイリク・ガスター。
王都の立地の良い住宅地に居をかまえ、妻のフローラ、長男のジェイコブ、長女のリリーと暮らしている。
平民階級ではあるが、領地のない下級貴族などよりよほど質の良い生活を送っている。
時には貴族家が主催するパーティーなどに参加し、商品の見本を披露する役割があるため、ガスター夫人は貴族の夫人と同程度のマナーが要求された。
そして娘のリリーは、まるで貴族のお嬢様のように育てられている。
リリーも年頃になれば、素晴らしい宝石を身に着け、様々なパーティーに出席しなければならない。
いずれは下級貴族の長男と結婚させたい、というのがエイリクの希望であった。
ジェイコブは学生時代にうまいこと子爵家の娘マルグリットと交際し、学院を卒業すると同時に婚約を結ぶことができた。
マルグリットは美しい娘である。
どんどん商品を身に着けてもらい、広告塔として働いてもらいたいところである。
ジェイコブは、下級貴族の日常使い用アクセサリーとしてやや質の落ちるB級品の宝石を使ったリーズナブルな商品をプレゼントするよう、父に言い含められていた。
マルグリットはプライドがとにかく高く、安物とわかってしまえば喜ばないのだが、さほど物の価値がわからないようで、B級品でも嬉しそうに受け取っていた。
常につんとしているマルグリットのことを、リリーはあまり好きではなかった。
貴族の令嬢はみんなわがままだよ、と兄に教えられたせいもあり、貴族令嬢全般が苦手であった。
大きくなったら貴族令嬢たちの輪に入っていき、商品を売り込まなくてはいけないなんて、憂鬱な未来でしかない。
そんなリリーのもとに、マナーや語学を教えてくれる家庭教師として、元貴族令嬢の娘がやって来たと聞き、リリーは怯えていた。
脳内予想では、完全にマルグリット的令嬢がやって来て、リリーをいじめることになっている。
父が家庭教師を探し始めたとき、平民相手に教えてくれるようなマナー講師などなかなか見つからなかった。
貴族のマナーを教える人も貴族なわけで、金を持っているだけの平民を小馬鹿にしているのだろう。
そんな愚痴をこぼした結果、エイリクと仲の良い商会長仲間のマーリクがいい人を見つけ紹介してくれたらしい。
紹介状を手にやってきたアリステルと会ったのは家令と父のみ。
二人の情報によれば、礼儀正しいお嬢さんらしい。
最近までは他国の伯爵令嬢だったが、理由あって今は身寄りがなく、一人で生きていくため職を探しているということだった。
父は大変気に入ったようで、採用を即決。しかも住み込み。
住み込みと言うことは、四六時中リリーの後ろをついて回って、これがダメ、あれがダメと注意されるに違いない。
この後、午後のお茶の時間にリリーと顔を合わせることになっている。
リリーは緊張して顔色が悪くなってきた。
家庭教師として紹介されたアリステルは、色白で目がぱっちり大きく、美しい人だった。
エメラルドの瞳に見つめられると、リリーはなんだか恥ずかしくなってしまい、母のスカートの陰に隠れた。
もうじき16歳だと言うが、小柄で童顔のためもっと幼く見えた。
しかし言葉遣いやしぐさが洗練されており、リリーにはまるで天使のように見えたのだった。
一方、アリステルも、母のスカートの陰から、上目遣いにアリステルを見てくるリリーのかわいらしさに胸がきゅんとしていた。
(なんて愛らしいのでしょう!)
アリステルは少しかがんでリリーの目線に高さを合わせると、にっこり笑みを作って声をかけた。
「はじめまして、リリー様。わたくしマーリクさんの紹介で参りましたアリステルと申します。よろしくお願いいたします」
リリーはもじもじと母のスカートをいじりながら、アリステルから目をそらした。
「リリーです。よろしくおねがいします」
消え入りそうな小さな声で挨拶をしたのだった。
「リリー様、仲良くしましょうね」
アリステルが優しく笑い、リリーはおずおずとアリステルを見上げて、はいと返事をした。
(全然マルグリット様と違う)
マルグリットは、いつも高慢そうにつんと顎をそらし、リリーが挨拶をしたって、ちらりと目線をやって無視をするのだ。
アリステルのように笑いかけてくれたことなんかなかった。
(貴族令嬢がイヤな奴なんじゃなくて、マルグリット様がイヤな奴なんだわ!)
リリーは大発見をして、自分のこれまでの勘違いをおかしく思った。
アリステルのような貴族令嬢がたくさんいるのなら、パーティーに行ってみてもいいかもしれない。
翌日から週に6日、家庭教師の仕事が始まった。
午前はリリーの部屋で勉強を教わる。
主に語学だが、我が国の歴史や貴族の成り立ちなど幅広く学ぶ。
時には、楽器を習うこともあった。
アリステルはピアノとフルートが得意とのことだった。
庶民にはまだピアノを弾く機会があまりなかったのだが、リリーもピアノを弾いてみたいと言って、父にねだった結果、ガスター家にグランドピアノが納品されることになった。
昼食はマナーを教えるためアリステルとリリーは同じテーブルに着く。
これまでも家族から教えられているので、だいたいのことはできているつもりだった。
しかし、アリステルの所作を見ると、自分とは全然違うことにリリーは気づいた。
物の扱いが丁寧で滑らかなのだ。
指先まで神経を通わせて、美しく、たおやかに。
よいお手本が目の前にいることで、リリーのマナーは格段に向上した。
そんな素敵なアリステルだが、とんでもない世間知らずであることが割とすぐに露呈した。
特に金銭感覚が皆無なことに、リリーは驚いた。
「え、じゃあアリス先生はお金を使ったことがないのですか?」
「ええ、そうなの。でも、お金があれば欲しいものとなんでも交換できるとマーリクさんに教えていただいたわ」
「そ、そう…ですね?」
「お金って素晴らしいものですわね」
「お金があったら、アリス先生はなにが欲しいのですか?」
「そうね…。わたくしお金が手に入ったら、本が欲しいわ」
「本…?」
「ええ、リリーに教えるために、教科書が必要でしょう?」
リリーはびっくりして、少し大きな声を出してしまった。
「先生!それって先生のお金で買う必要ないでしょ!ナタリー、そんなのは経費で落ちるわよね?」
メイド長のナタリーは、恭しく頷いた。
「リリー様の教科書でしたら、もちろん当家持ちで購入いたしましょう」
アリステルは首をかしげている。
「あら、それでしたら、わたくし欲しい物もございませんので、お給金はいりませんわ」
「いやいやいやいや、それはおかしいでしょ!」
「ここに住まわせていただいているのですもの。お給金は結構ですわ」
アリステルはにっこり微笑む。
リリーはヘンテコな顔をして、ナタリーに助けを求めた。
「失礼ながら、アリス先生。今すぐに欲しいものがなければ、使わずに取っておくのです。貯金です」
「ちょきん…?」
「左様でございます。お金は貯められるのです。食べ物と違って腐りませんから。貯めておいて、欲しいものができたときに使うのです」
アリステルは両手を胸の前で組んで、感激していた。
「ナタリーさん、すばらしいですわ!お金は貯められるのね!」
「でございますので、アリス先生もお給金を貯めておかれるとよいでしょう。家庭教師としてこのガスター家に雇われているのですから、きちんと労働に見合うお給金をいただかなくてはいけません。もしアリス先生が給金をもらわなかったら、次に雇う家庭教師が給金をもらえないではありませんか」
アリステルは驚いた顔をしていた。
「わかりましたわ」
こんな調子でお金そのものや、物の価値、相場と言ったものは全くわからないようだったのに、ある日突然、一人で買い物に行くと言い出したので、リリーはとても心配になってしまった。
「ナタリー、アリス先生はお買い物ができるのかしら」
「怪しいものですわね」
「そうよね。自分ではわかってないことがわかってないから。心配だから後をつけてみない?」
「リリーお嬢様。後をつけるなど、あまり感心できたことではございませんよ。ですが…行くしかございませんね」
「そうよ!急いで支度して!」
「かしこまりました」