番外編 幼き日のレオン①
父アランの訃報が届いたのは、ある晴れた日だった。
父を失ったというのに、能天気に晴れ渡った空に腹が立ったのを覚えている。
レオンの父アランは、衛兵隊に所属する軍人だった。
煌びやかな軍服を着て王宮や王族を守る花形の近衛隊と違って、庶民階級が属する衛兵隊は、盗賊や山賊の討伐や、魔獣の討伐をしたり、他国との諍いがあれば兵力として駆り出される。
「父さん、今度の仕事は魔獣をやっつけるの?」
「ああ、そうだよ」
「魔獣ってこわい?」
「こわい魔獣もいるぞ」
「今度の魔獣は?強いの?」
「そうだな。とても強くて大変だから、父さんたちが行くんだよ」
魔獣にも様々な種類があり、強さも千差万別だ。
衛兵隊が討伐に行くほどの魔獣であれば、普通は町の冒険者たちが討ち取れないほどの強敵ということになる。
衛兵隊は整った装備と訓練され個々の戦闘力が高い兵が連携して戦うことで、手強い魔獣を討伐する。
時には長期戦になることもある。
災害級の魔獣ともなれば、ひとたび出没すると周辺の街は壊滅してしまう。
小さなダメージを与えながら魔獣の足止めをして、街への被害を食い止め続けなければならない。
剣術を極めた者だけが使える、闘気を武器に乗せて魔獣に大ダメージを与える技を、体力を回復しながら何度も繰り返しぶつけ、ようやく討伐するのだ。
「父さんは強いんだね!オレも大きくなったら衛兵隊員になる!」
「そのためには一杯ご飯を食べて大きくならなくちゃいけないぞ。好き嫌いなんかしてはダメだ」
「いっぱい食べてるよ!豆だって、頑張って食べてるよ!」
わははは、とアランは豪快に笑って出かけて行った。
父のいない間強くなってやると意気込んで、レオンは毎日、暇を見つけては木剣で素振りをする。
木剣はアランが、レオンでも振ることのできる軽い短いものを見つけてきてくれた。
持ち手に汗がにじんで色が変わるほど、毎日レオンは素振りをした。
5歳の子供にしては切れが良く、木剣を振るとブンといい音がする。
休みの日には、アランが稽古をつけてくれた。
レオンがいくら全力で打ち掛かっても、アランは軽くあしらってしまう。
やみくもに打ち込むだけでは一本も入れられない、と気づいたレオンは、懸命に頭をひねって、振り下ろした直後に横に薙ぐ連続技を習得した。
それでもアランにはいなされてしまい、またレオンは作戦を練る。
こんなことを繰り返すうちに、子供の中ではレオンに太刀打ちできる者はいない程度に強くなっていった。
その日も晴れ渡った空の下、レオンは額に汗をにじませ、木剣を振るっていた。
玄関に慌てた様子の商業ギルドのおじさんがやって来たので、レオンは何事かと寄って行った。
扉をたたく音を聞いて、母マリアも家から出てくる。
「ゲーリックさん、こんにちは」
商業ギルドで働いているゲーリックは、町のみんなへ遠方からの便りや品物を時々届けてくれる。
今日も白い封書のようなものを握っているので、きっと父さんからの手紙が届いたのだろうと、レオンは思った。
「マリアさんや、びっくりしないで聞いておくれよ」
「ええ、なにかしら」
ゲーリックは、マリアに封書を渡した。
「お宅の旦那が、魔獣狩りの最中に大けがを負って、死んじまったんだと!」
「「えっ」」
マリアは急いで封書を切った。手紙を持つ手が震えている。
レオンはマリアのスカートにしがみついて、マリアを揺すった。
「父さん、死んじゃったの!?ねえ、父さんは!?」
マリアは震えた手で手紙をたたむと、ゲーリックに頭を下げた。
「ご連絡をありがとうございました」
「気を落としなさんな。困ったことがあったらいつでも相談してくれよ」
「ありがとうございます」
ゲーリックは気の毒そうマリアを見つめ、その後、レオンの頭に手を置いた。
「坊主、これからはお前さんがおっかさんを守るんだぞ。では、私はこれで」
「ええ、ご苦労様でした」
マリアは気丈に礼を言うと、レオンを連れて部屋に入った。
扉が閉まると、マリアはペタンと床に座り込み、じっと壁を睨みつけ何かに耐えているようだった。
レオンはそんなマリアに取り付き、父さんは?と聞くレオンにマリアは優しく言った。
「お父さんは、仲間をかばって魔獣にかまれたのですって。最後まで勇敢に戦って立派に死んだのよ」
「立派に死ぬってなんだよ!いやだよ!」
「レオン。お父さんは軍人だもの。誰かを守るのがあの人の仕事だったの。立派にお勤めを果たしたのだから、あなたも胸を張らなくてはダメよ」
翌日から、マリアは仕事を探しに町へ出た。
国からの慰労金がもらえたが、ほんのわずかな金額で、とても親子が生活していけるような額ではなかった。
これが父の命の金額なのかと思うと、とても悔しい気持ちになった。
マリアの職探しは難航したが、ようやく給仕の仕事が見つかった。
昼から夕飯時の店が忙しい時間に給仕に出掛け、それだけでは給料が足りないと言って、夜遅くまで針子の内職をしていた。
休みなく働く忙しいマリアの負担にならないよう、レオンは家の仕事をなんでも手伝った。
マリアがいない時間が長くてさみしくなったら、アランのくれた木剣を持って、稽古に励んだ。
そんな生活は、しかし長くは続かなかった。
もともと丈夫ではなかったマリアが、体を壊して寝付くようになったのだ。
体調を崩し始めても、マリアは重い体を引きずって毎日仕事に出ていたのだが、ついに職場で倒れてしまった。
マリアを家まで送って来た店主は、マリアのことなど少しも心配してくれなかった。
「まったく、仕事中に倒れて、うちは本当にいい迷惑だよ。まるでうちがこき使ってボロボロにしたみたいで外聞が悪いじゃないか。ここのところは動きも悪くて失敗ばかりだったし、もうこれっきり、来なくて結構だよ」
「すみませんでした…」
青白い顔をして、マリアは店主に謝った。
店主はふんっ、と鼻を鳴らして去って行った。
「なんだよ、あのブタみたいなやつ。母さんをいじめやがって!」
「レオン、すまないね。母さん、少し横になるよ」
憤っていたレオンも、マリアの様子に一気に怒りは静まり、心配になった。
「母さんは寝てて。オレがごはん作るから」
「すまないわね…」
マリアはその後、起き上がるのもままならないだるさで、仕事ができなくなってしまった。
レオンはマリアに言われて、家にあった様々な物を質屋に持っていく。
マリアの服が一番高値で売れた。
服が売れるとその金で食べ物を買って数日をしのぐ。
だんだん箪笥の中が減っていき、売れる物はなくなった。
すると、マリアは指から指輪をはずしてレオンに持たせた。
結婚の記念にアランから贈られた大切な指輪だった。
レオンだって売りたくはなかったが、売るしかなかった。
指輪は服なんかよりもずっと高く買われたので、しばらくはこの金で生活できそうだった。
レオンは子供ながらに、この金がなくなったら生きていけないのでは、と不安になった。
自分が母のように仕事ができれば、金を稼げるのだけど。
この頃には、マリアはほとんど食事を口にしなくなっていた。
病のせいで食欲がなかったのもあるが、少ない食料を息子に食べさせたいと思っていたのかもしれない。
わずかな水を飲むだけのマリアは、見るからにげっそりとやせ細り、顔色が悪くなっていった。
ある朝、レオンが起きてマリアのもとへ顔を出すと、ひっそりと息を引き取っていた。
これでマリアは楽になったのかと、少しだけホッとした。
昼前になって、ようやくレオンはのろのろと立ち上がり、商会のゲーリックを訪ねた。
困ったことがあったら助けてくれると言ったから。
「おや、レオンじゃないか。おっかさんの具合はどうだい?」
ゲーリックは相変わらず人のよさそうな顔で、レオンに話しかける。
「死んだ」
「なに?」
「母さんは今朝、死んだ」
「なんてことだ…!それを知らせに来てくれたのかい?おお、辛いだろうに」
レオンはゲーリックに抱きしめられた。
大人の男の人に抱きしめられるのはすごく久しぶりだったから、レオンはちょっとドギマギした。
ゲーリックに任せていたら、あっという間にマリアは埋葬され、教会の神父様が死者のための祈りをとなえてくれた。
「故マリアの心に平安を…」
レオンは母と父が天国で出会っていればいいな、と思った。
これまで住んでいた家は借家で、このところ家賃も払えていなかったけど、大家が大目に見てくれていた。
でも、母さんまで死んだらもう貸しておけないと言って、レオンは出て行かなくてはいけなかった。
大家にも良心があるので、子供を追い出すのには抵抗があった。
かといって、子供を住まわせておくこともできない。
そこで、大家はゲーリックと相談して、レオンが孤児院に入れるように手続きをしてきた。
この町には孤児院がなかったから、少し大きな隣町の孤児院に頼んでくれたらしい。
迎えが来るまでの間は、家に住んでいていいと言われ、レオンは家に帰った。
しかし、レオンは孤児院に行くのが嫌だった。
町の人たちが、孤児院という言葉を出すたびに、眉を顰めたり、レオンを薄ら笑いを浮かべて見たりするのが気に障ったのだ。
孤児院という物がなんなのか、レオンはよく知りもしないで嫌悪感を持った。
そこで、レオンはこっそりと家を出て町中に隠れひそんだ。
食べ物を買う金はない。人目に付かない夜になると、食べ物を探して町をさまよった。
飲食店の裏に回ると、客の食べ残しや、腐った食材が捨てられているので、ゴミを漁った。
街はずれの裏山に入っていくと、木の実や草を取って食べられる物はなんでも食べた。
昼間は裏山で眠った。
地面に寝ると体中、何かの虫に食われてかゆくなったので、次の日からは木に登り枝の上で眠った。
何日も雨が続いて、空気がだんだん肌寒く感じられるようになった頃、レオンは空腹で路地裏で倒れ込んだ。
山の木々も実をすべて落とし、草も枯れ果て、食べられる物がなくなってしまったのだ。
ゴミを漁っていた店にも、そのことがバレてしこたま殴られ、寄り付けなくなっていた。
もう地面にたまった水たまりをすするくらいしか、口に入れられる物がない。
意を決してすすった水は、ヘドロの味がした。
(もう死ぬんだ)
レオンは不思議と死ぬことへの怖さを感じなかった。
ただ、大人になって軍人になる夢が、もうかなわないんだと思うと、少しだけ泣きそうになった。
しかし乾ききった体から、涙はこぼれなかった。
(父さん、母さん、ごめんね)
心で両親へ謝ると、レオンは静かに目を閉じた。