第20話 エヴァの過去
あの男と出会ってから、かれこれ20年になる。
幼かったエヴァの初恋の人であった。
昔はもっと身綺麗にしていて、素敵な人だった。
家が隣同士だったことから、家族ぐるみで付き合っていた。
幼いころから、年上の彼に淡い恋心を抱いていた。
いつか彼のお嫁さんになりたいと、夢を見ていた。
10代になって思春期を迎えると、彼と結ばれた。
純潔をささげたのだ。
彼にとっては、遊びだったのかもしれない。
でもそんなことには気が付かず、エヴァは浮かれていた。
彼の家が一家離散すると、あれほど親しく付き合っていたのに両親も兄妹も、あの男のことは忘れろと言って、一切の連絡を断ってしまった。
彼に会えず、エヴァは泣いて過ごした。
きっと生活が落ち着けば、手紙を寄越すと信じて、エヴァは待った。
年頃になると、エヴァにも縁談が舞い込むようになった。
彼以外と結婚する気がなかったエヴァは泣いていやがったが、ついに10も年上の男爵との結婚が決まってしまった。
抵抗できずにエヴァは花嫁となったが、その初夜でエヴァが純潔でないことが判明してしまう。
怒り狂った男爵は、エヴァを殴りつけ、その場で家から追い出した。
泣きながら歩いて実家へ帰ったエヴァを、両親は軽蔑の眼差しで迎え、さらに頬を打った。
傷物となったエヴァは、家から外に出ることを禁じられた。
そんな生活に嫌気が差し、出て行こうと決心するが、行く当てなどない。
そんな時に、かつての恋人が、エヴァを訪ねてきた。
「会いたかったよ」
そう言われて、エヴァは簡単に不実な彼を許してしまった。
画家となった彼は、生活に困っていた。
エヴァに援助を頼みたかったが、エヴァも自由になる金などなかった。
エヴァは男に言われるまま、家を出て、美人局のまねごとをして金を稼いだ。
新しいカモを探していた時に、ヴァンダーウォール伯爵に出会った。
妻を病で亡くして気落ちしていた伯爵を励まそうと、友人が開いたパーティーにエヴァももぐりこんでいたのだ。
エヴァは淑女を演じ、伯爵の悩みに気長に付き合った。
友人として、伯爵が心を開くまでそう時間はかからなかった。
いつもより大物の獲物が釣れたことに、男は喜び、欲が出た。
伯爵家を乗っ取ろうと言い出したのだ。
エヴァは顔をしかめた。
「欲張るといいことないよ。いつも通り小金をせびるくらいがいいんだよ」
「馬鹿言うんじゃねぇ!こんなチャンスを逃せるか」
「うまくいきっこないよ。考え直して」
男は醜く顔をゆがめると、エヴァの頬を思い切り殴った。
エヴァは床に倒れ込み、殴られた頬を押さえる。
唇が切れて血が垂れた。
「口ごたえするな!お前は言うことを聞いていればいい。わかったな!」
エヴァは震えながら、小さく頷くしかなった。
伯爵はそうとは知らず、親身に相談に乗ってくれるエヴァを気に入り、結婚を申し出た。
伯爵家の子供たちが幼いうちは、伯爵の食事に遅効性の毒を混ぜて、ゆっくり体をむしばんでいく予定だった。
しかし、伯爵はほとんど家に帰って来ない。
手を出しあぐねているうちに、エヴァは妊娠していることに気が付いた。
画家の男との子であった。
そこで、子供を産んで、伯爵家の正当な相続権を手に入れることに方針を変えた。
伯爵の子であると誰もが信じ、少しも疑われなかった。
生まれた子供を見て、エヴァだけは本来の父親に目元が見ていることに気が付いたが、他の者にはエヴァによく似た子供と映ったようだった。
子供が生まれると、だんだんエヴァも図々しくなり、伯爵家の子供を自分の目に入らないよう取り計らったり、きれいに着飾るために散財したりと好き勝手な行動を始めた。
ミネルヴァがもうじき6歳となり、正式に伯爵家の娘として登録されるのを目の前に、いよいよ伯爵と伯爵家の子供たちを始末することにした。
伯爵は滅多に家に帰らない。
長男のハリソンはスコルト国にいる。
アリステルを始末するのは、ごく簡単なことだった。
目の前で死なれるのは気分が悪かったので、眠らせて魔の森に捨てさせた。
今となっては、確実に息の根を止めておけばよかったと後悔しているのだが。
屋敷に戻って来たハリソンにはなかなか隙が見つからなかったが、町で雇ったごろつきどもに、ハリソンの乗る馬車を襲わせ、物取りの仕業に見せかけるよう指示してある。
ハリソンの訃報を聞いて駆けつけるであろう伯爵も、馬車の事故に見せかけ殺害する準備が整っている。
あと少しで、伯爵家のすべてがエヴァのものになる。
実権を握った後に、画家の男を婿に迎えるのだ。
その後は、本当の親子3人で幸せに暮らしていける。
それがエヴァの計画であった。
物思いに耽っていたエヴァは、ふと違和感に気が付いた。
馬車が停まったのに、御者が扉を開けに来ない。
訝しく思い、窓に掛けられたカーテンを軽くめくって外を確認すると、たしかに伯爵家のロータリーである。
エヴァは、御者の男に聞こえるように、仕切り板をコンコンコンと叩く。
「何をしているの。早く開けなさい!」
しかし、返事はない。
中から開けようにも、扉はびくともしない。何度も扉をドンドンと叩いてみても、やはり誰も開けてくれない。
「何事です!だれか!」
すっかり日が暮れて暗くなった馬車の中に、エヴァは閉じ込められたのだった。