第19話 エヴァと裏町の男
「奥様、・・・奥様!」
ヴァンダーウォール家のメイドが、エヴァの部屋に慌てて駆け付けた。
「何事です。そのように無様にわめいて」
「も、申し訳ございません。ですが、急いでご報告せねばならないと思い、こうしてやってきたのでございます」
「なんです。申してみなさい」
「はい・・・!アリステルお嬢様が見つかったと、ハリソン様が迎えの準備をしております!」
「なんですって・・・!」
エヴァは持っていた扇子をギリギリと握りしめた。
「魔の森に置き去りにされて生きているはずがない!それともあの御者め、言いつけ通りにしなかったか!」
「どうしましょう・・・!」
エヴァ付きのメイドは青ざめた顔でオロオロしている。
「ええい、静かになさい!ハリソンが迎えに行くというのならちょうどいい。計画が早まるだけのこと。あの者に連絡を!」
「かしこまりました・・・!」
エヴァはメイドが出て行くと、腹立ちまぎれに扇子を床に投げつけた。
(あの娘・・・!!)
生きているはずがない、と思うが、死んだことを確認したわけではない。
まさか本当にしぶとく生きているのか。
(まぁいいわ。もし生きていたとしても、すでにあの娘は除籍された。邪魔にはならない。あとはハリソンを・・・)
スコルト国から帰って来たハリソンは、以前の弱々しい印象がなくなっていた。
次期伯爵家当主としての自覚が芽生えたのか、顔つきも精悍となり、強い眼差しでエヴァを睨みつける。
家令もハリソンの支配下に置かれてしまった。
エヴァの権力はあっという間に奪われてしまった。
ハリソンが当主となったら、真っ先に家を追い出されるだろう。
確実にことを進めなくてはならない。
エヴァはドレスの裏に付けた隠しポケットに、入るだけの宝石を詰め込んで、家令に出かけると告げた。
「どちらへおでかけでしょうか」
「町へ買い物に行くだけですよ。なにか問題があって?」
「馬車を若様が使用されるので、古い以前の馬車でよろしければお出しできます」
「ハリーはどこへ?」
「さぁ、私にはわかりかねます」
「そう。いいわ、古い馬車を出してちょうだい」
「かしこまりました」
家令は丁寧にお辞儀をし、エヴァの願いを聞き入れた。
エヴァのために用意された馬車は、一見して頑丈そうで、雅な女性が乗るよりも、軍馬が率いる戦車のようでもあった。
「仕方ないわね」
御者に行き先を指示し、馬車に乗り込むと、ハリソンを罠にはめる作戦に考えを巡らせた。
予定が早まったが、雇った男たちはうまくハリソンを処理できるだろうか。
いや、できなければこちらが一貫の終わりである。
エヴァは抜け目のない女であった。
もし作戦が失敗したときは、娘のミネルヴァを連れて逃げ出す算段もつけていた。
しばらく走ると、馬車がスピードを落とした。
どうやら目的地に着いたようだ。
エヴァは扇を広げ顔を隠して、馬車を降りた。
目立たないところに馬車を止めて待つよう指示を出す。
さびれた裏町の一角にあるメゾネットに滑るように入り込む。
部屋には、伸びた前髪が目を覆い、表情が読み取れない男が一人、狭く汚いベッドに酒を飲んで寝っ転がっていた。
「あんた、また酒を飲んで寝ているの。まだ日も沈んでいないのに」
エヴァは伯爵夫人の仮面をかなぐり捨てて、男に近づく。男は下品に笑い、エヴァの体を引き寄せた。
エヴァは軽く男の体を押して離れた。
「ダメよ。それどころじゃないの」
「ちっ。なんだよ」
「ハリソンのことよ。今日決行するわ」
「バレたのか」
「いいえ。でも今日やらなければ、すべてバレるわ。あの娘が見つかったというの」
「アリステルだったか?死んだんじゃなかったのか」
「死んだと思っていたけど、わからないわ。とにかく、今日、ハリソンの乗った馬車を襲わせるわ。万が一失敗したときは、ミネルヴァを連れてくるわ。あなたも逃げる準備をしていてちょうだい」
「ああ、わかったよ」
そう言って男が面倒くさそうにまた体を横たえたのを見て、エヴァは目を吊り上げる。
「ねぇ、ちゃんとして。必ず準備するのよ」
エヴァはスカートをたくし上げ、隠しポケットに入れた宝石を、机の上にジャラジャラと出した。
男はそれを見て、だらしなく笑った。
「かならず、私が言った通りに、この宝石も貸金庫に入れておくのよ」
「わかってるって」
「じゃあ、もう行くわ」
乱れたスカートを手早く直すと、エヴァは表に出て、御者に合図を送る。
馬車は静かにエヴァの前に停まった。
「屋敷に戻ってちょうだい」
「かしこまりました」
エヴァが乗ると、馬車は滑らかに走り出した。
エヴァは馬車の中で、目を閉じて考え事をしていた。