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第1話 お茶会の誘い

 月明かりがわずかに届くだけの暗い森の中で、アリステル・ヴァンダーウォールは目覚めた。


 人が滅多に立ち入ることのない森には、立ち枯れた幹があちこちに突き立ち、さながら魔物の墓場のようである。


 アリステルが倒れている辺りには、場違いなほどかわいらしい黄色い花が群生している。


 森に捨ててくるよう命じられた使用人が、せめてこの場所に、とアリステルを置き去りにしたのだが、薬で眠らされていたアリステルに知る由もない。


 アリステルはぼんやりと辺りを見回すが、ズキリと痛んだ側頭部に手を当てた。


(ここはどこかしら。私はどうしてここに?)


 最後に記憶しているのは、継母のエヴァに招かれた茶会で勧められた初めての味がするお茶を飲んだこと。


 急にふわふわと視界が揺れて、その後ティーカップを取り落としたことも、倒れて椅子から落ちたであろうことも記憶にはない。



 ◆ ◆ ◆ 



 母が亡くなってから半年ほどで伯爵家にやってきたエヴァは常に美しく着飾り、たおやかに笑顔を絶やさない人であった。


 最愛の妻を病気で失ったヴァンダーウォール伯爵の心をなぐさめ、思春期を迎えた子どもたちの養育に助言を行い、この人ならばと後妻に望まれ伯爵家に迎え入れられた。


 母を失ったことからまだ立ち直っていなかったアリステルと兄のハリソンは、ひどくショックを受けた。


 懐かない子どもたちに、エヴァも表面上の優しさを取り繕うのが精々で、時折ひどく冷たい視線で2人を見ていることに、兄妹は気が付いていた。


 そのうち、伯爵とエヴァの間に娘ミネルヴァが生まれると、表面的な優しさを装うことも止めたようだった。


 16歳になったハリソンが隣国のスコルト国へ留学すると、残されたアリステルは敷地内の離れにある別棟にわずかなメイドを付けられ追いやられた。


 食事は一日に二度、豪華ではないもののきちんと食べられる物が出された。


 たった一人で食べるのは寂しかったけれども、無言のエヴァと食べるよりも却って気が楽であった。


 着飾る必要のあるお茶会やパーティーには参加しないので、ドレスなどは持っていなかったが、日常で着るワンピースなどは地味なデザインながら仕立ての良いものが与えられた。


 ごく稀に父が夕方に帰宅した時には、きちんと身だしなみを整えて、父におかえりなさいの挨拶をするために、本邸に呼ばれたりもした。


 別棟に来てから家庭教師の先生が来なくなったのは、アリステルをがっかりさせた。


 幼いころから学び、淑女教育と一般教養は履修済みだが、アリステルはもっと学んでみたかった。


 かつて教科書として使用した書籍をくり返し読み返すことだけが、アリステルの自由時間の楽しみだった。


 他に娯楽といったものはなく、メイドに教わって刺繍を刺すくらいしかやることもなかった。



 そんな生活を5年も続けていたので、エヴァにお茶会に来ないかと誘われたときは、不信感しか浮かばなかった。


 エヴァはおっとりと困ったような笑顔を見せ、アリステルに言った。


「あなたには冷たく当たってしまって、悪かったと思っているのよ。ミネルヴァを産んで私も気が立っていたのだと思うの。アリス、あなたもいつか母となれば、子を持つ母親の気持ちがわかるようになるわ」


 いつか読んだ動物学の本に、出産後の母親は子を守るため攻撃的になると書いてあったことをアリステルは思い出した。


 エヴァもそうだったのだろうか。だからと言って、長い間冷遇されていたことを簡単に許せるとも思えなかった。


「ミネルヴァもだいぶ大きくなったのよ。姉としてあなたにもミネルヴァをかわいがって欲しいの。アリス、あなたは立派な淑女だわ。ミネルヴァの良き手本となってくれるはず。ね、私たち仲直りをしましょう」


 半分血のつながった妹に少しの興味はあった。

 

 ほとんど別棟から出ないアリステルはミネルヴァを見かけることはなかった。

 

 自分や兄と同じように、ブロンドの髪をしているのだろうか。

 

 瞳の色は何色なんだろう。もうすぐ6歳になるのか。

 

 しかし、今さら妹に愛着を持てるかわからなかったし、仲良くできるとも思わなかった。


 そこまでのお人好しではないのだ。


「それに、そう、近いうちにハリーも帰ってくるわ」

「…お兄様が帰って来るの?」

「ええ、そうよ。ハリーが帰る前に、あなたとミネルヴァが仲良くなっていてくれたら、素敵でしょう?」


 生前の母は兄のことを、いつも目一杯の愛情をこめて、ハリー、と呼んでいた。


 そして、アリステルのことはアリスと。


 母と同じように継母がハリー、アリスと呼ぶことに、抵抗する気持ちはあった。


 しかし、あなたたちの母になりたいの、と悪意を感じさせない顔で言われると、愛称で呼ぶことを断れはしなかった。


 父などはすっかり感激し、感謝まで告げる始末であった。


 留学してから3年後、学院を卒業したハリソンはそのままスコルト国の研究機関に入所したらしい。


 いずれ家を継ぐために戻ってくるのは決まっているが、それまでは研究に没頭していたいのだろう。


 家を出てからこの5年間、ハリソンは一度も家に帰って来なかった。


 それが兄の意思なのか、継母がそうさせているのか、アリステルにはわからない。


 仕事が忙しく滅多に帰宅しない父には何も期待しなかったが、兄には会いたいと何度も願った。


 年に数度、兄から手紙が届いた。


 手紙には、学校でどのような勉強しているだとか、友達がどんな馬鹿なことをしただとか、楽しく学校生活を送っている様子が書かれていて、いつも最後にはアリステルを案ずる言葉で締めくくられていた。


 そこに兄の愛は感じたが、余計に寂しさが募った。


 兄はアリステルが別棟で生活していることも、だれとも食事を共にせず一人で食べていることも、腹違いの妹の、姿さえ見たことがないのも知らないのだ。


 跡取りのハリソンには、アリステルを冷遇している現場を押さえられたくないのがエヴァの本音であろう。

 

 アリステルもまた、兄に自分の不幸を見られたくない気持ちがあった。

 

 だからお茶会の誘いに応じたのだ。


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