人質
ナギサは一度振り返り、ふと考える。まだ先に進まずに、相棒の無事を確認した方が良いだろう。スバルがこのフロアに到着したのは、まさにそんな時である。
「待たせたな。というか、お互いマジでボロボロじゃないか」
クレナイとの戦いを終え、彼は満身創痍だ。このまま戦いを続行するのは危険な状態だが、ここで引き下がるわけにもいかない。
「これ以上、護衛がいないと良いね」
「ああ、全くだ。今回の護衛はマジの金持ちに雇われてるからな。地下闘技場のチャンピオンが雇っていた護衛とはマジで違う」
「地下でずっと戦ってるより、必要な時だけ戦えば金を貰える護衛の方が社会的地位も高いんだろうね」
地下闘技場の王者の無敗記録を破ったからといって、あらゆる敵を容易に倒せるほどの力が身に着いたわけではない。二人は歩みを進め、次のフロアへと向かった。
次に彼女たちの前に現れたのは、上半身裸の筋肉質な男とアンニュイな雰囲気を持った少女だ。男は海王星を表す惑星記号を模したネックレスを首に着用しており、耳にも同じ記号を模したピアスを着けている。一方で、少女はみすぼらしい恰好をしており、頭髪も無造作に跳ねている。
少女の腕を乱暴に掴みつつ、男は言う。
「黙ってここを出ろ! 警告を無視するごとに、このガキの指を一本ずつ切り落とすぜ!」
どうやら彼の横にいた少女は、人質だったようだ。ここでナギサの第六感によるチェックが入る。
「まずいね……スバル。彼は本当にやるつもりだよ」
彼女は嘘を見破ることが出来る。ゆえに彼女には虚勢による脅迫は通用しないが、実行を前提とした脅迫は通用する。罪のない少女を人質に取られている今、美学を持つ彼らには自由に動くことが出来ない。これにはスバルも頭を悩ませるばかりだ。
「全く……マジで卑怯な奴だな」
二人に作戦を練り上げている時間はない。眼前の男はナイフを取り出し、カウントダウンを開始する。
「十、九、八、七、六……」
このまま撤退しなければ、少女の指が一本切り落とされてしまう。しかし、ナギサたちは仮にも殺し屋だ。いかなる逆境も、彼女たちからしてみれば百戦錬磨である。
「この部屋……少し暑いね」
そう呟いたナギサは、その場で衣服を脱ぎ始めた。色白い肌が露わとなっていき、それから黒い下着が顔を覗かせる。彼女はブラジャーの中央に指を引っ掛け、胸元を扇ぐ。眼前の護衛は、彼女の姿にすっかり見とれていた。
「な、なぁ……テメェ」
「ん? どうしたの?」
「いきなり、どうしたんだ?」
彼は怪訝な顔をしていたが、それでも男だ。目の前で容姿端麗な美女が下着姿になろうものなら、視線を奪われてしまうのも無理はない。ナギサは妖艶な笑みを浮かべつつ、少しばかり屈んでみる。胸の谷間が更に強調され、護衛の視線を釘付けにする。
その時である。
「もう良いよ、ナギサ。ガキなら逃がし終わったから」
スバルは笑いながらそう言った。この一瞬の間にナギサは機転を利かせ、スバルはその意図を正確に汲んだのだ。ナギサは服を着直しつつ、今度は不敵な笑みを浮かべた。彼女が持つ武器は、異能だけではない。彼女には美貌という武器がある。
「死ぬ前に僕の体を見られて、君は実に幸せ者だね。さて、君の他に護衛はいるのかい?」
「テメェ! 卑怯な真似しやがって!」
「それはお互い様だよ。禁じ手を使われたら禁じ手で返す、欺かれたら欺き返す、誇りを傷つけられたら傷つけ返す……僕たちはそういう世界で生きてきたんだから。それで、君の他に護衛はいるのかい?」
「護衛は……後一人だ」
嘘を見抜ける彼女の前で、わざわざ護衛の人数に関する嘘をつく意義はない。
「それじゃ、スバル……ここは君に任せたよ」
そう言い残したナギサは、次のフロアへと向かった。